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フリーライフ 第1話

 私は、もともと会社勤めをしていたけれど、会社に黙って、ネットショップを副業としてはじめたことから、生き方が大きく変わってしまった。

 初めは、本当にお小遣い程度の売上だったけれど、やりはじめて2年を過ぎた頃から、会社員としての給料より多く稼げるようになったので、一大決心で会社を辞めた。もう完全に、収入源はネットショップ一本にすることにしたのだ。

 確かに安定した収入があるわけではないけど、年間で平均すると、私には十分な収益だったのだ。住んでいる家賃もちゃんと払えるし、食費だって問題ない。それに、ちゃんと貯蓄もできるくらいになっていた。一番大きいのは、自由な時間。往復の通勤時間はまったく不要になった。これはとてつもなくすごいことなのだ。だって、1日往復3時間、1週間で15時間、1ヵ月で60時間、1年で720時間の自由時間ができたのだ。つまり、30日間オールフリーなわけなのだ。

 ネットショップの実質労働時間は、1日2時間程度なのだから、時間的自由は会社員時代からするとかなり多くなった。これも計算すると、52日間オールフリーとなるのだ。通勤とあわせて、82日間も自由時間が増えたのだ。

 でも、面倒くさいことも多い。社会保険や税金などの支払いは、全部自分でしないといけないし、必ず、確定申告も必要だ。でも、そういうことの知識は、最初に覚えてしまえば、そんなにたいしたことはない。会計ソフトも最近はかなり便利になったしね。

 私は地方都市の駅近のセキュリティの良いマンションの高層階2LDKに一人住まいをはじめた。ここなら交通の便は非常に良い。生活に必要な場所などは全部徒歩圏内に揃っている。つまり、車なんて所有する必要もないのだ。

 いつもは午前中に仕事を終わらせて、午後は自由にいろいろ活動してる。男の料理はいい加減なものになりがちだ。特に自分は、ということなのだが、ちゃんとバランスの良い料理が作れればいいと思って、ちょっと習ってみたが、どうも自分の性に合わない。そこで、1日2食を配達してもらうことにした。私は届いた料理を温めるだけでいい。きちんとバランスのよい内容になっているので、安心だ。調理の時間的節約にもなる。費用対効果は自分なりに納得している。

 そうなると、しっかり運動もしたくなる。はじめはフィットネスクラブに通っていたが、近くになかったので通うのに時間がかかるので、止めてしまった。で、どうしてるかというと、いくつかの運動器具を購入して、これを利用するようにした。朝起きてすぐに10キロほどのロードワークに行って、シャワーを浴びて朝食。それから、仕事を昼までやって、午後は筋力トレーニングをする。夕方はのんびり読書や趣味の時間に充てる。まあ、そんな感じが私の一日になっている。

 でも、よく考えると、あまり外へ出向くことは少ない。だから、他人とのコミニュケーションは普通の人に比べ、かなり少ない。誰かからの誘いがないと、外食もしない。会社時代との比較では、圧倒的に他人との接点がなくなった。ネットショップをやっているときは、売れたものを送付するために外にでることも多かったが、そのうち投資だけで生活できるようになってきたので、ネットショップも止めてしまったので、外にでるのは朝のロードワークと、必要なものの買い物だけだ。でも、まあそんな生活だけど、特に問題ないだろう。

 最近、自分の不得意をどうにかしたいと思いはじめている。とても掃除が苦手なのだ、自分では、ほとんど掃除をしたくないし、たまにやっても部屋を丸く掃くという感じで、隅に埃が残ってしまう。完璧にはほど遠い。やはりこれは、専門家に頼んだ方がいいだろうと思って、週1回、クリーニングサービスをお願いすることにした。私にとって、毎日が同じなので、どの曜日でも問題はない。とにかく、基本の3時間で、各部屋の掃除と台所、風呂、トイレの掃除をお願いした。曜日はいつでもいいとお願いしたら、担当の方の都合で、金曜の午前中ということだったので、9時から12時までとなった。

 初めての掃除の日、私は年配の女性が来ると思っていたら、やってきたのはまだ若い女性だった。

「初めまして、クリーニングサービスの斎藤里香と言います。よろしくお願いします。」
「高木です、よろしくお願いします。」

申し遅れましたが、私は高木智志(たかぎさとし)と言います。

「今日から毎週金曜、9時から12時まで、各部屋のお掃除と、台所、お風呂、トイレのお掃除と承っていますが、お間違えないでしょうか?」
「はい、その通りです。お願いします。」
「掃除場所の確認をさせて頂きたいのですが、よろしいですか?」
「はい、案内します。」
「お願いします。」

 私は彼女に各部屋と台所、お風呂、トイレを確認してもらった。

「でわ、早速、取り掛からせて頂きます。」
「お願いします。」

ネットショップをやっていた頃は午前中仕事をしていたが、今はそれすらない。週1回ほど、投資に関する仕事を1、2時間する程度なのだ。だから、図書館へ行くことにした。

「あの、ちょっと出かけてきます。12時までには帰ります。」
「承知しました。受取り等、ございましたら、受け取っておいていいですか?」
「多分、ないと思いますが、もし、あればお願いします。」
「承知しました。でわ、いってらっしゃいませ。」

いや~、こういう風に送り出されるというのも、いいもんだ。私は、近くの図書館へ行った。受取り連絡が来てたので、それを受取り、そのまま図書館でその本を読むことにした。そうなると、時間なんかあっという間だ。

 私はお昼前に家に帰った。
「ただいま、帰りました。」
「お帰りなさいませ。」
「ちょうど、すべて終わったところですので、もしよければ、ご確認をお願いします。」
「そうですか、わかりました。」

私はリビングのテーブルに本を置き、彼女についていった。お掃除をお願いした箇所は完璧だ。私のように丸く掃くなんてことはないし、水回りの水垢もない。綺麗なもんだ。

「すごいですね。」
「いかがでしょうか?」
「ありがとうございます。毎週金曜日が楽しみだな。」
「そう言って頂けるとうれしいです。」

私は彼女が用意した書類にサインをした。料金はこのあと、振り込むことになっている。毎週1万円でこの綺麗さだ。費用対効果抜群だろう。若い人だから多少の不安があったが、そんな不安は吹き飛んでしまった。斎藤さんの仕事は完璧だ。さすがプロなんだなと思った。おかげでこの週末は気分よく過ごせる。この1万円は有意義だ。

 トイレはめちゃ綺麗なんで、使うのがもったいないくらいだ。お風呂は、水垢のないカガミがいい感じだ。蛇口もピカピカで感動さえ覚える。台所は使ったコップや食器を洗う程度しか使っていなかったが、これまた綺麗で最高だ。部屋の隅にも埃ひとつ落ちていないので、気分がいい。ほっておいたら、私の毛が散乱しているところだ。私は私なりに、使ったところをふき取ってはいたが、こんなに綺麗になることはない。

「おはようございます、クリーニングサービスの斎藤です。」
「お待ちしていました。今日もよろしくお願いします。」
「承知しました。」

二回目の掃除の日、私はパソコンでの作業があったので、リビングで作業をしていた。斎藤さんは各箇所を掃除してくれているようだ。リビングの掃除の時だけ、移動したが、あとはのんびり作業ができた。

「あの、よろしいでしょうか?」
「なんでしょうか?」
「今日は、早めに作業が終わったので、お茶でもお入れしましょうか?」
「そうなんですか?じゃ、一緒にコーヒーでもいかがですか?」
「ありがとうございます。」

私はコーヒーの場所を教えて、淹れてもらった。すでに挽いてあるコーヒーなので、お湯を注ぐだけだ。

「高木様、これはもしかすると、ブルーマウンテンでしょうか?」

それは、たまたま知り合いのお店から多少値引いてもらったブルマンだった。

「そうですよ。」
「すっごくいい香りですね。」
「たまの贅沢ですよ。」
「私も頂いていいんでしょうか?」
「全然。ひとりより、ふたりの方がおいしいでしょ。」
「ありがとうございます。」

 コーヒーを淹れてもらって、ブルマンを味わいながら、聞いてみた。

「斎藤さんは、まだお若いのに仕事はプロですね。」
「入社した時に、徹底的に仕込まれるんです。ですから、誰でも同じようにできます。」
「そうなんですか?」
「はい。」
「あの、私も聞いていいですか?」
「どうぞ。」
「高木様は、今日は在宅勤務ですか?」
「いえ、会社勤めはしてないんですよ。」
「では、何を?」
「自営業だったんですが、それもやめて、今は無職です。」
「えっ、でも、それでは、毎週、私どもにお支払いできるんですか?」
「心配ないですよ。なんとかやっていけますから。」
「あっ、ごめんなさい。立ち入っちゃいけなかったですね。」
「構いませんよ。」

 その程度な話だったけど、楽しい時間を過ごせた。掃除が早く終われば、こんな時間を持ってもらえるとわかると、なんだか楽しくなってきた。毎週金曜が待ち遠しい感じだ。私は毎週、その時間を楽しみに過ごしていた。ある日、クリーニングサービスの営業マンがやってきた。

「どうしたんですか?」
「少しお話をお伺いできないかと思いまして。」
「ああ、いいですよ。上がって下さい。」

どうやら、斎藤さんの仕事について聞きにきたみたいだった。

「いかがでしょうか?弊社の斎藤の仕事は?」
「さすが、プロって感じですよ。」
「不満とか、ございませんか?」
「全然、問題ないです。」
「そうですか、よかったです。実は・・・」
「はい。」
「次回からは斎藤ではなく、田中というものに交代になります。」
「えっ?」

そんな、あまりに急過ぎだ。

「何か、ここに来たくない理由とかあるんですか?」
「いえいえ、そんなことはありません。」
「寿退社することになりまして・・・」
「そうなんですか。もう会えないのであれば、私からおめでとうございますと伝言、よろしいですか?」
「はい、伝えておきます。」

そういうわけか。なんか淋しいなあ。でも、仕方ないことだよな。次の田中さんも話やすい人ならいいなあ。

「初めまして、クリーニングサービスの田中真理子と言います。本日からよろしくお願いします。」
「はい、よろしくお願いします。」

すでに引継ぎを行っているとのことで、私は案内することもなかった。田中さんは恐らく50前後の既婚者のような気がした。あとでわかったことだが、ちゃんと指輪をしてたんで、既婚者だった。

 私自身、私とかいう言葉を使っているので、それなりの年配者かと思われた方も多かったと思うが、実はまだ20代。とはいうものの30手前の29歳なのだ。

 田中さんも自宅で家事をされているのだろうから、さすがに掃除のスピードは速い。でも、斎藤さんに比べ、ちょっとしたところに見逃し箇所があった。まあ、それは田中さんが帰ったあとで気が付くことだったけど。3時間と言っても、早く終われば、さっさと帰ってしまう。時間までは、契約以外のこともやってもらえたのに。頼んだことが3時間以内で完了すれば、私も文句はないけど、なんとなく面白くはない。やっぱり、人によって変わってしまうんだろう。こういう仕事は、人に依存することが多いんだろうと思った。そうであれば、私も淡々と機械的に対応するだけだ。出来てないところはできてないと言うだけだ。

 ある日、買い物にでた時に、斎藤さんを見かけた。なんか、顔が暗い。雰囲気に以前の明るさがない。どうしたんだろう。

「こんにちわ。久しぶりですね。」
「あっ、高木様。」
「もう、様ではなく、さんでいいですよ。」

彼女はいきなり大粒の涙を流した。

「どうしたんですか?」
「・・・」

私はスーパーのイートインスペースの端っこに連れていき、椅子に座らせた。

「大丈夫ですか?」

髪の間から青い肌が見える。よく見ると、手の甲も赤く腫れている。これって、DV?

「もう、お仕事ではなく、お友達として、うちに来ませんか?コーヒー淹れますよ。」

斎藤さんは小さく頷いた。私は彼女を連れて帰った。

「いつもの席に座って、ゆっくりして下さいね。」
「ありがとうございます。」

彼女は小さな声で言った。

 それから、しばらく無言だった斎藤さんだったが、ぽつりぽつり話をし出した。

「初めはいい人だったんです。でも、・・・」
「結婚してから、いきなりひどくなったんです。」
「警察にも相談したんですけど、何もしてもらえなくて。」
「こんなことを聞いてもらえる友人もいないので・・・」
「ここならいつでもいらして下さいね。」
「でも、DVとなると、問題ですね。」
「・・・」
「そんなにひどく殴られているなら、警察だって・・・」
「無理です。聞いてくれません。」
「そうなんですか?」

だけど、このままだと、えらいことになるんじゃないかな。彼女はとにかく、私にすべてを吐き出した。ちょっとは楽になったみたいで、笑顔にもなった。

「そろそろ、帰んなくっちゃ。」
「大丈夫?」
「はい、なんとかなると思います。」

そう言って、彼女は帰って行った。

(つづく)

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