戦争抑止に、防衛力と反撃力の認識を
日本は20世紀後半から80年近く、戦時下となることも、焦土とさせられることも起きなかった。
その理由は①堅固な日米同盟による防衛体制が確立していた、②旧ソ連が崩壊したこと。それまでもソ連の関心は欧米にあって、東欧のワルシャワ条約機構の強化であった、③中国は発展途上であり、今日ほどの軍事大国ではなかった、ことなどが挙げられる。
ところが、これらの要因がすべて崩壊した。
いま日本は、軍事独裁の人権抑圧国家に囲まれている。アメリカが「世界の警察官」を放棄し、軍事的プレゼンスが期待できないなど、日本は国際環境の激変への対応が迫られている。
何といっても、国土に戦火が及ばないこと。それには相手国から戦争を仕掛けられても排撃できる「意志と能力」を持つことである。それを疎かにすれば、戦争を呼び込む危険性が生じる。
日本国民の「生命・自由と財産権、幸福追求の権利の保障」には、国家として自衛力・反撃力を保持することであり、それは避けて通れない。
つまり他国から戦争を仕掛けられないことが、平和構築のカギである。日本を狙ったとしても、それ以上の不利益を覚悟しなければならないと思わせることである。
◆弱ければ侵略を誘い、無力であれば、自国の政策を放棄させられる
昨年11月末にキッシンジャー博士が100歳で逝去された。
東西冷戦時代、ソ連(当時)包囲網の構築へ米中接近を画策したヘンリー・キッシンジャー博士(1923~2023年)は、その著『キッシンジャー秘録』(全5巻、小学館刊)で、「弱ければ必ず侵略を誘い、無力であれば、結局は自国の政策を放棄させられる」「力がなければ、もっと崇高な目的でさえ、他国の独善行為によって、押しつぶされてしまう危険があることは、事実なのである」と喝破していた。
また同著で「外交技術というものは、軍事力を補強することができても、軍事力の身代わりをつとめることは決してできなかった」 「実際には、力の均衡こそが、平和の前提条件をなしていたのである」。(いずれも『キッシンジャー秘録』第1巻257ページ)
外交に正義や道理は、全く無力なのである。パワー・軍事力なしでは相手から譲歩を引き出せない。
「歴史を通じて、国家の政治的影響力の大小は、およそ、その国の軍事力の程度に比例してきた」(同著)。
約80年前に、日本は武装解除され、当時は日米同盟もなかった。
韓国の初代大統領に李承晩(イ・スンマン1875~1965年)が就任すると、韓国内の親日派の人々を追放し、虚偽と捏造による歪められた歴史観を韓国の学校で教え込ませた。
武装解除した日本に、李承晩大統領は、昭和27(1952)年1月18日、突如として「李承晩ライン」という領海線を敷き海洋主権を宣言した。そして島根県の竹島を、勝手に韓国領土だと主張して占領した。サンフランシスコ講和条約の発効3ヵ月前である。
当時の日本は軍隊がなく、アメリカの統治下(軍事占領下)にあり、韓国は国際法を踏みにじり、安心して竹島を無血占領できたのである。
この李承晩ラインによって、韓国は328隻の日本漁船を拿捕して、3,929人の漁船乗組員を抑留し、銃撃などによって44人が殺害された。
当時も今も「弱い日本は狙われている」。
そもそもアントニオ猪木に、けんかを仕掛けるヤクザはいない。
憲法13条は、生命・自由および幸福追求に対する国民の権利について「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とされており、憲法9条も、その趣旨に沿った解釈をすべきである。
自衛隊や日米安保にも否定的な宮澤俊義、芦部信喜、小林直樹など東大法学部の学閥による憲法解釈は、憲法13条と整合性が取れない。
たしかにキッシンジャー博士は、中国贔屓と言われ、中国がモンスター国家になったことに無頓着であった。
そのキッシンジャー博士ですら、「軍事力・国力を伴わない外交は無力」「力の均衡こそが、平和の前提条件をなしてきた」と、冷徹に見据えていたのである。