5/28(雨)

休みがないとかいうが、休みとはなんだろう。

一般的には、その人が現在形でしていること(occupation)が、ない。という“日”(一日)によく使われている気がする。

しかし例えばその“日”は、俺なら部活があったり、学生なら労働(俺でもたまにあるんだよ?)があったりする。その“日”は“休み”なのだろうか。
労働は分かりやすいが、だいたい“休み”ではない気がしないだろうか。みなさんお気づきのように、なんなら俺は“休み”の日の労働より普段の学校の方が1億倍“休”める。
部活は、やりたくてやっているが、少なくとも身体を“休”められてはいないので、“休み”ではないという体感。(やりたくてやっているので精神が休めているといういいぶんは分かるが、私は、身体が休めていなければ休めている体感はない。)
友人と遊んだり、プロスポーツ(断じてプロスポーツです)の観戦(断じて観戦(字義)です)をしたり、女の子とデートしたり、それは、それも、私はあまり“休”めてはいない。(やりたくて以下同文)(でも、部活もそうだが、休みを献上してでもやりたいので、それは仕方ないことだ。)

これは理屈だが、例えば学生がやっている勉強を、社会人が“休み”の日にすることはある。この例はもっと理屈だが、異性とのデートが"occupation"な方々もいる。

加えて、“日”(一日)単位の計上も納得がいかない。学校がGBで、その後は予定なし!という日はなかなか“休め”る。それこそ予定のある休みの日より。

となると一般的に使われる“休み”(の“日”)はあまり正しい意味にならないと思う。

ここからがもう一つのイイタイコト(筆者のイイタイコトをつかもう。)だ。

その日が“休”めるか、“休”めないかは、その日のコンディションに大きく依存するのではないか。(そろそろ「休」がゲシュタルト崩壊してきましたが)
今日は雨だ。ちなみにここまで読んでくれた人には教えてあげるけど曜日は火曜だ。加えて、今は困ったことが多い。女の子のこととかその他のこととか。今日はそうではないが、寝不足だったりも最大の要因のうちの一つだ。
こういう日は例えGBでも一日オフでもたいして“休”めない。家にいたら大変憂鬱だし外に出るのはめんどくさいし、そもそも家でゆっくりしようが外で楽しいことをしようが、気圧が低くて頭が痛い。なぜか背骨が痛い。悩みで悶々とする。雨で濡れる。日本経済は停滞する。女にフラれる。傘を持つ自分の手を見る度に、俺はなぜこんなものを持っているのだと放り投げたくなる。

反対にカラッと晴れて、悩みも少なくて、ゼミの女の子からDMが来て、そんな日は一日活動していても上記のようなわけのわからない日に比べてよほど疲労が蓄積しない。

この両者の狭間で、分かりにくい、例えば友人と遊ぶとか、デートとか、そういうのが““休み”に殉ずるもの”としての機能を果たせるかどうかは揺蕩っておる。(スポーツ観戦は、雨の日は行かないのでね。)

そんなわけで、こんなに長い文章で文句を書いているんだから今日降っている雨は反省してくれ。

あと日記らしいことを書くと、あの傘をレンタルできるサービスを今日初めて使ったね。あれはいいよ。いたずらにビニール傘を買うよりコスパも良いし地球環境にも良い。
あと、本当にたった今隣に座ってきたサラリーマンがとても汗臭いのですがどうしたらいいのでしょうか。今日は雨でじめじめしていますし、私の経験が示してくれる“汗臭い人”の成りではないので、まあ今日たまたまなんだと思います。なので寛大な心で許したいと思いますが、思いますが、離れて欲しくはある。

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