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電車のリュックvol.57

小学生のころ小さな身体にランドセルを背負って通学をしていたころから40年間で30年以上電車で通学や通勤をしてきた。10年間は、車で現場を移動していたのだが、昔と今では様子が違う。

始めて、背負っているものが周りには邪魔なものなのだと自覚したのは、小学校の中学年の頃、満員の乗車口で駅員さんに押し寿司の様に押されやっと乗れた社内で私のランドセルに腕を乗せ新聞を読み始めたおじさんに出会ったときや、私のランドセルの上におじさんのカバンを乗せられたときだったかと思う。

確かに低学年から中学年の頃のランドセルの高さはちょうどいい位置(約70センチ)なのだ。今考えると腕を乗せるにはいい位置だが、大人の股のあたりで硬いランドセルが当たり嫌な思いをしていたのだなと今ならば推察できる。がしかし、先の行為はモラルの欠如というか納得は今でもしていない。

通学時代を終え、10年ほど電車に乗らない生活(仕事)をしていたのだが、改めて乗る様になると話は少しそれるが、当時はなかった女性専用車両ができていたり、駅の屋根を支える支柱ごとにもくもく煙を上げる灰皿が撤去されていたり、禁煙タイム乗せ体があったり、電車の中が禁煙になったり、たくさんの変化を感じたのだが、一番なんだかわからないのが、リュックを前に背負う(字は『背』なので本来は『腹とか胸」と書いた方が良いのかもしれません)こと

車内のアナウンスでは『リュック等は抱えて周りに迷惑にならない様ご協力ください』という。

しかし、リュックの方の大多数は、(あえて)『腹負う』で、全然、抱えてはいない。

『背負っても、腹負っても』面積は変わらない。
前に『腹負う』ことで、周りの人に気を付けながら移動することができるだけで、ほかのメリットとしたら、満員の電車でスマホをリュックの上に起用に乗せ動画を見ることくらいではないのではないかと思う。

私の思うデメリット
リュックを『腹負って吊皮に捉まる方の大多数は、腹負ったリュックでできた死角で座席の前にいる方との距離を取り過ぎるがゆえに、座席の前に立つ方の列は2列になっていることが多い。

なぜ、前の座席の方と距離をとるかと言えば、前に出ることで、リュックが前に出過ぎて、着席されている方の膝上の空間にリュックが来ることになり
着席されている方の顔に近い位置まで近寄り圧迫感を感じさせてしまうので
前に行くことができず、立ち位置(リュックの位置)は自然と着席している方の膝より前に行かない位置に落ち着いている感じになる。

そんな時私は、『リュック網棚に乗せてくれ』と心で呪文をかけるのだが、エスパーでもない自分の声は氣づかれることなく到着駅までギュウギュウの状態でいることになる。

私はアナウンスの『・・・・抱えて下さるか、網棚へお乗せください』って意味理解していますか?と思い足元までリュックを下げ、身体の厚みより細い、足元に手提げの様に持っていくようにしているのだが、座席の前に立った時は素早く網棚に乗せることにしている。

じゃあなぜ大半のリュック腹負い族はそのどちらもしないのかというと、片手は吊皮、片手はリュックとなるとスマホが見れないから両手を開ける意味で腹負うということと、座席が空いたら椅子取り合戦よろしく、素早い移動ができなくなってしまうから。そうなるのであろうと思う。

気持ちもわからないではないが、邪魔な腹負い族は満員電車を超満員電車に変えてしまう迷惑な乗客だ。

 今はそれよりも長期滞在用のキャリーバックを持った、インバウンド族の方が大変な方がたなのだが、ベビーカーや車いすの設置エリアのような場所に移動して いただきた。

話がまたそれてはしまったが、とにかくラッシュ時は背負ったり腹負ったりせず速やかに網棚に乗せるようにしてほしい。



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