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映画「からかい上手の高木さん」を今泉力弥作品から考える

・どうして絵が描けなくなったのか

「パンとバスと2度目のハツコイ」


高木さん(永野芽郁)は絵が描けなくなってしまったから島に戻ってきたらしい。

絵を描くことは今泉監督で何度も恋愛と同時に描かれる。
今泉監督「パンとバスと2度目のハツコイ」のパン屋で働くフミ(深川麻衣)は美大に通っていたが絵が描けなくなる。


フミは付き合っていた彼にプロポーズされるが、「あなたを一生好きでいる自信がない」と断る。
フミは緑内障を患っていて失明の不安を抱えている。
何かを好きになれないままなのかという不安だ。
フミには美大に通っている妹の二胡(志田紗良)がいる。
ニコは「なんでかわからないが絵を描いてしまう」と言う。
逆にフミは理由や意味を求めすぎて、動けなくなったのだ。

おそらく高木さんも同じような理由で絵が描けなくなったのではないか。
子供の頃は無垢で純粋で「好きなことは好き」で終わるが、大人になると「自分はこれが本当に好きなのか?」「意味はあるのか?」「金になるの?メリットは?」と自意識で身動きが取れなくなってしまうのだ

・好きなものがない空っぽな自分

「かそけきサンカヨウ」と「愛がなんだ」

「かそけきサンカヨウ」の陸(鈴鹿央士)はバスケの部活に入っていたが、心臓の病気で激しい運動ができなくなる。
フミも陸もどちらも死に至る病気ではないが、好きなものがない不安が病気の不安と直結している。
陽(志田彩良)は美術部で絵を描いていてかなり上手い。
陽は陸に告白するが、陸は断る。
「僕には陽のような絵を描く才能も何もないから」と。
何もないといえば「愛がなんだ」のテルコ(岸井ゆきの)だ。
テルコはOLとして働いてるが、職場ではいつもやる気がなく、趣味もない。生きがいは自分勝手に呼び出してくる空っぽなマモちゃん(成田凌)だけだ。





・一方通行 片思い


「愛がなんだ」のナカハラ(若葉竜也)は葉(深川麻衣)のことが好きだ。
しかしナカハラもテルコがマモちゃんにされるように都合のいい時に呼ばれ、奴隷のように扱われる。
愛が返ってこないナカハラは葉を好きになることをやめるとテルコに相談する。
するとテルコはナカハラに怒りだす。
「てめーの好きはそんなもんか」と。
見返りがないから好きにならなくなるのは取引だと。
てめーは意味なんか求めてたのかと。

「かそけきサンカヨウ」の陸(鈴鹿央士)は陽(志田彩良)に告白されて、何もない自分と絵を好きな彼女では釣り合わないのではないか...と沙樹(中井友望)に相談する。
すると沙樹も怒る。
「相手の気持ちと自分の気持ちが同じかどうかなんてどうでもよくない?」と。

ナカハラも陸も「好き」に見返りや意味を考えてしまっている。

「告白は暴力」

「からかい上手の高木さん」のみき(白鳥 玉季)は自分が告白したせいで町田(齋藤潤)が学校に来なくなったと思い込んでいる。
しかし高橋文哉との会話の中で、「自分のせいだと思いたかったのかもしれない」
と気づく。
これはすごく奇妙なセリフだ。
おそらく告白の結果が宙ぶらりんなので、「好き」という気持ちの意味やそれに対する結果が欲しかったんだろう。それが例え彼が学校に来ないと言う悪い結果や影響だったとしても。
この勝手な思い込みや悪い結果を町田は「告白は暴力」と表現する。
人をからかうのも一線を越えればいじめだ。
テルコはマモちゃんのために仕事もやめてしまう。
どれもものすごく危険で一方通行な想いだ。
しかしそれほどに強い想いだ。

イノセントと意味を考えない無駄


からかい上手の高木さんの西片(高橋文哉)は中学生のまま大人になったようにピュアで汚れていない。
印象的なのは結婚式で高木さんのブーケがプールに落ちてしまったシーンだ。
正直ただのブーケだし、どうでもいいはずだろう。
プールに入れば正装したはずの服も濡れてしまう。
しかし西片だけがプールに飛び込んでブーケを取りに行く。
意味も理由も見返りも考えず、ただただ高木さんのために。
いや、高木さんのことすら考えていなかったかもしれない。

「窓辺にて」と無駄


町田(齋藤潤)は絵を描いてると何もかも忘れられると言う。
「窓辺にて」ではタクシーの運転手が稲垣吾郎にパチンコの話をする。

「時は金なりというが、時間も金もなくなってしまうパチンコは素晴らしい」と。
それを聴いた稲垣吾郎はパチンコをやってみて大当たりするが、玉城ティナから電話がかかってきてしまったので隣の女性にパチンコ玉をすべてあげてしまう。
しかしその女性は稲垣吾郎にもらったパチンコの玉の分を現金で返してしまう。
この女性の中でパチンコはもうお金を得るためのものではないらしい...

これらの絵もパチンコも本人達にはなんの意味もない無駄で好きだからやってるだけだ。
今泉力弥監督は映画で描かれる無駄が気にならないと言う。
高木さんで描かれるラストの永野芽郁と高橋文哉のなんという無駄な長回しのことか。
普通ではカットする間でさえも、映してしまう。
映画館でなきゃスマホを観てるだろうぐらいの無駄だ。
量産されるキラキラ映画を期待していったら少し変なものを観せられるだろう。
そもそも原作の話からして、男の子が女の子にからかわれるだけの話だ。そこに発展性もなければ、展開があるわけでもない。
なんという無駄。

・「好きよりももっと好き」とは


しかし先生(江口洋介)は言う。「好きって気持ち、それだけで素晴らしい」と。
町田(齋藤潤)は高木さんに「あなたにとってのからかいって何ですか?」と問うと「好きよりももっと好き」と答える。
これは誰かを好きとか恋愛することより、
もっと原始的な衝動のことを言ってるんだろう。
それこそ絵やパチンコを好きなことのような。
それらを好きな自分が好きということかもしれない。


ラストは高木さんが画面のこちら側を見て終わる。
第4の壁の突破だ。
画面を超えてキャラが喋りかけてくるといえばウディアレンの「アニーホール」だ。
「愛がなんだ」でも「アニーホール」のシーンは引用されている。

愛がなんだ
アニーホール

「アニーホール」は「なぜ恋愛をするのか?それは果実がほしいからだ。」と締め括られる。
失敗しても成功しても恋愛をすれば何かがその人の中に残るだろうと。
「愛がなんだ」のナカハラ(若葉竜也)は葉(深川麻衣)を好きになることのエネルギーを自分の好きな写真を撮るということに注ぐ。
彼の中に写真という果実が残る。

高橋文哉は高木さんがいなくなってしまった後やることもなく、見返すために筋トレをしていたという。(アホすぎる)
しかしそこから彼は体育教師になるという道を選ぶ。恐ろしいほど空っぽな彼だが、恋愛をしていなかったら路頭に迷っていたかもしれない。
彼の中に体育教師になるという果実が残る。

高木さんは見失った「何かを好き」と言う想いをイノセントな西片に会うことでもう一度思い出したのだろう。
言葉的にはおかしいけれど高木さんは「2度目のハツコイ」をしたのだ。

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