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麦畑と電車

金色に輝く麦畑を私はずっと見ていた───

小学校6年生の時の遠足は、みんなで電車に乗って、遠くの山の方へ行った。
私たちは学校から駅まで二列になって歩いて、そこから電車に乗る。
駅がいつもとは違って見えた。
改札口だって切符を見せずに、いや、そもそも切符は買わずに通りすぎた。
3両編成の電車がちょうど収まるぐらいのホームで、みんなで電車を待つ。
子供の時の私には広いホームだったが、今日は小学生たちでいっぱいだ。
待っているとすぐに電車が来て、私達はお行儀よく電車に乗り込んだ。
そこは、ふだんこの駅を使っている、この街の子供達には慣れたものだ。
いつもと違うのは、今回の遠足では、終点の駅まで行くことになっていることだった。
そこまで行くのは初めてだ。
私はウキウキしながら車窓の風景に見入っていた。
窓には、見慣れた街の風景が次々と流れていく。

私はちょっと変わった子だったようだ。
いつからか、遠足や写生大会等の学校行事がなんとなくイヤだった。
歩いたり絵を描いたりするのはいいのだが、
そういう時、お昼のお弁当の時間は、たいてい一人になる。
一人が嫌だとか、一人が寂しいとかじゃない。
何かに夢中になっていると、気づくと、たいてい一人になっているのだ。

クラスでの席替えもそうだった。
仲良しグループでまとまろうとすると、私ははじかれてしまう。
誰とも特別、仲がよかったわけじゃない私は、たいてい一人になった。

この遠足でもそうで、担任の先生がそんな子達(クラスには私みたいな子が2、3人はいた。)を集めて、一緒にお弁当を食べてくれることになっていた。

車窓を流れる景色はいつしか、見慣れた街の景色から田園風景に変わっていた。

本当に麦は金色に輝いて見えるんだわ!

私はそんなふうに思いながら、線路の脇に続く麦畑に見入っていた。
目眩く映像のように次々と麦畑が現れては消えていく。
それは私にとってはずっと見ていられる光景だった。
私は飽きもせず、電車が描いている景色を思い、電車とともにそれを辿っていることに喜びを感じた。
ただ、小学校6年生の中には、、、少なくとも私のまわりにはそんな子はいないように思った。

私はやはり寂しかったのだろうか?

確かに誰にもわかってもらえない寂しさはあったかもしれない。
だからこそ、誰かにわかってもらいたい。とあんなに切望したのだろう。

でも私の心の映像に残るのは、一面の光り輝く麦畑の中を走っていく、3両編成のあの電車だ。

それも上空から見ているように見えるのは、長い年月をかけて、記憶の中のいろいろなことを、俯瞰して見られるようになったからなのかもしれない。

あの電車は私の記憶の中で、美しい金色の麦畑の中を、くねくねと曲がりながらいつまでも走っていた。


こちらの企画に参加しています💓

小牧さん、いつもお世話になります🙏
どうぞよろしくお願いいたします😊🙏💞

画像はlucydogさんにお借りしています。
lucydogさん、ありがとうございます🩷

みなさん、素敵な連休をお過ごしくださいね🍀


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