見出し画像

十七夜月

月の色はどこか温かだった。
これから昇る太陽の光を浴びているせいだろうか。

私は主人と一緒に、朝早く愛犬を連れて、家から東の方にある、バス停の方へ向かって歩いていた。
時折、西の方を振り返っては、まだそこにある月を確認する。
朝焼けに染まる東の雲と、まだ夜の明るさをかろうじて保っている西の空の月は、なんとも言えず美しかった。

大丈夫…まだ沈んでいないわ。  

私はなぜかそう思って、昨日までの実家での生活に思いを馳せていた。

一週間ほど、私は遠くにある実家へ一人で帰っていた。
一人だけでこんなに長く家をあけるのは、長女の出産の時以来だ。
そしてこの一週間は、普段の生活から離れて、一人だけでいろいろなことについて考える貴重な時間でもあった。


私の母は、この春から施設で暮らしている。
長く入院していた病院を退院して、そのまま施設へ移った。

帰省して会いに行っても、初めは、どことなく知らない人に会うような感じだったが、それでも外出に連れ出すと、母は乙女のような笑顔を私に向けて笑った。
母が食べられそうな、柔らかい季節のスイーツを一緒に食べ、母が喜びそうな昔話をしたりして、二人で笑いあった。

それから次の日も、私は母を短い外出に連れ出した。
手術をして片脇のリンパを全て取ってしまった私には、トイレ介助をしないですむぐらいの時間がちょうどよかった。
昨日のスイーツがとても気に入っていたので、その日もそれを一緒に食べた。

私はふと、自分の秘密を打ち明けたくなって、母にnoteを初めてもう一年になることを話した。
そして、先日投稿した、母とのことを書いた記事を、朗読して聞いてもらった。
母は、うん、うん、と頷きながら、私が紡いだ言葉を聞いて、嬉しそうに私の朗読を聴いている。

こうして面と向かって朗読を聞いてもらうのは、少し恥ずかし気がしたが、以前、

「私が若い頃には、文章を書いていたのよ。」

そう言っていた母には、今、私がこうして文章を書いていることを知っておいてもらいたかった。
すぐに忘れてしまうとしても、話しておきたかった。

そんなふうに母との時間を過ごして、最後の日、施設へ送っていく車の中で、

「甘いものが食べたい。」

母がポツリと言った。

さっき外出先の実家で、妹の差し入れやスイーツなど、甘いものはたくさん食べてきたのだが、母が暮らす施設では、差し入れがない入居者には、お茶の時間に甘いものが出てこないらしい。

私は通りがけのお菓子屋さんに車を停めて、母を残して、一人でお菓子を買いに走った。
車で母を一人にするのは少し躊躇ったが、後部座席だし、エアコンをつけたままで、すぐに戻ってくれば大丈夫だろう。

そんなふうに思って、店内へと急いで入った。
時期的に、兎やすすき、お月さまなどが描かれた和菓子が並んでいる。

そうか、もうすぐ仲秋の名月だわ。

そんなことを思いながら、私は先ほどの和菓子と、日持ちのしそうなお菓子もいくつか買って、母のもとへと急いで戻った。
和菓子は明日まで、個装されたお菓子は二週間ほどはもつそうだ。

母は、

「気がねやわ〜」

俯いてそう言っていたが、私は、

「めったにないからね〜」

と笑いかけた。

「あとでスタッフさんに渡しておくから、少
 しずつ食べてね。」

そう言って、またハンドルを握った。

「なかなか来れんけど、なんかあったら、ス
 タッフさんに言ってくれたらすぐに来るか
 らね。ちゃんと言うんだよ〜」

私は何度も母に言って聞かせた。
母は、うん、うん、と何度も頷いていた。

そうこうしているうちに、車が施設に着いた。
スタッフさんが2人、車椅子を持って出てきてくれる。
ちょうど見知ったスタッフさんがいて、お菓子の賞味期限のことなどを伝えてから、

「なかなか来れないと思いますが、よろしく
 お願いします。」

そう言って、私は深く頭を下げた。

すぐに車で出発する私を、車椅子に乗せてもらった母は、スタッフさんたちと一緒に見送ってくれた。

私はなんとも言えない気持ちになった。

もうなかなか来られないかもしれない。

そう思うと、切なかった。


帰りがけに、高校時代の友人と会う約束をしていた。
彼女はもうご両親が他界している。
私は彼女と母の話をしながら、少し申し訳ないような気持ちになっていた。
人の一生の中で、長い年月を重ねて、私たちももうそんな年なんだと思う。

彼女は別れ際に、

「また帰ってきたら連絡してね。また会おう
 ね。」

そう言ってくれた。

一人きりで実家にもどってきたものの、言うに言われぬ気持ちが湧き上がってくる。
私は気を紛らわせようと荷物をまとめて、もう使わないものは車に積み込んた。
そのあと、掃除機をかける。
一週間とはいうものの、それなりにゴミがあった。
ゴミ収集日にあわなくて、出せないゴミもまとめた。

次の日、予定をすませて、そのまま帰ってしまおうか、と思ったものの、着くのは夜中になってしまいそうだ。
まだそこまで、一人で車を運転して帰る自信はなく、その日は早めに寝ることにした。

朝早くに目覚めた私は、急いで身支度をして、残りの荷物を車に積み込んで出発した。 

私はいったい何故、こんなに急いで帰ろうとしているんだろう。 
一人きりの実家では、何もすることはなく、もうあの頃の母はいない。
私はたぶんこの先、年老いても施設には入らないだろう。

そんなことを思ったりした。

今、母が暮らす施設は、宗教的な理念に基づいた運営をされていて、母にとってはこの上なく素晴らしい環境だ。

でも私の思い出の中で、自由を愛した母は、もうそこにはいなかった。

以前、母が入院していた病院では、コロナが流行する中では、ほかの多くの病院がそうであったように、様々な制約があり、県外で暮らす私は、母に会いに行くことすらできなかった。
母は、同じ市内に住む妹一人だけを頼りにしていて、数年ぶりに会った時には、妹の気持ちに敏感になっているのがわかった。
そんな母を見ていると、時に、幼子が母親の言動に敏感になるような感じさえして、私が言えた義理ではないのはわかっているものの、それでもやるせなかった。

そんなことを思い出しながら、休憩のために高速道路のサービスエリアに立ち寄った。
車を降りて見た西の空の月は、いつもより大きく、美しかった。

そうか、今日が満月だったのね。

私はお月さまへ向けてシャッターを切った。辺りの照明が煌々と輝いていて、写真に撮ると、どれがお月さまかわからなくなりそうだ。

それでも満月は、確かにそこにあった。

今朝のこの少し欠けた月と同じように…

私はこの寂しさを埋めて生きていくのしかないのだろうか。
いや、いつかきっと、

今のこの思いさえ愛おしい。

そう思えるようになるのだろう。

私は愛犬とともに、主人をバス停近くまで見送って、帰路についた。

こちらの企画に参加しています💓

小牧さん、いつもお世話になります🙏
どうぞよろしくお願い致します😊💞

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?