生活をいとなむ。

 このnoteはタイトルを付けないで書き始めている。といっても、タイトルから読まれる方がほとんどだろうから、なんのこっちゃという話だが。

 私はたいてい、というか投稿したnoteは全てタイトルから書き始めている。それは律儀だとかそういう話ではなく、そうしないと話がどんどん逸れてしまうからだ。書きたいテーマがある訳ではなく、思考をそのまま文字に起こしているだけだから、基本はとっちらかっている。脳内多動と言うのかもしれないけれど、私の頭の中では常に何かしらの音楽が流れていて、好きなものについてだったり、これから食べるご飯だったり、仕事の事だったり、大抵2個3個の考え事が並行して進められている。ひとつの事には集中できないタチだ。だから、その時考えていたことからひとつテーマを決めて書くようにして、先にタイトルをつけて、たまにタイトルを見ながら書き進めるのだ。読んだ本の話を聞いていたと思ったら急にサラダチキンの美味しい作り方になったりしたら流石に読み返していて驚くだろうし。

 では何故タイトル無しで書き始めたのか。
 なんて大層なこと言うまでもなく、タイトル付けなかったら私は何を書くのかなと思って少し気になったからである。結局、タイトルについて書いているから面白い。
 
 考えていることを書く、というのはどういう事なのかなと、noteを書きながら考えることがある。
 あ、オススメの曲の話だが、打首獄門同好会というバンドの「カンガルーはどこにいったのか」が考えることについて踏み込んだ言及をしていて面白いから聞いてみて欲しい。
 で、考えること、それを書くことについて、有り体に言えば、自分を見つめるということだろう。常に流れていく雑多な思考を一度捕まえて、私は今何を考えていた?とさらに考えること。なんでこんなことが起こるのか、そもそもこの作業を他の人がやってるのかどうか私は知る由もないが、要領が悪いのでいちいち立ち止まらなければならないのだ。言葉が言葉になる前に流れていくと言えばいいのか、そんな自覚的に思考すること、そもそもないし。そういう考え方をすると私は口に出てしまうタイプなのだ。難しいな、伝わらないだろう、これ。

 それで、今何を考えてたかちょっと引きずり出してみた。風呂上がりなので、いつ髪乾かそうかな、とか、体重と体温計らなきゃ、とか、雷鳴ってるなぁ、タイピングどうやったら上手くなるか、仕事どうしようかなぁ、足細くなりたーい、とかまぁ。俗物的で何よりだろう。平和な人間、そんなふうに生きられているのは個人的には有難いことだ。
 あと、ゲームセンターCXという番組のイベントがもう近いので、何着てこうかな〜とかも迷ってる。イベントに着ていく服とか、持ってくものとかはいつも迷う。その迷うのも楽しみな時間だから好きなのだが、迷う割に当日忘れ物が多発するのは何故なのだろうか。
 眠たくなってきた。私ってば、ものすごく呑気な人間である。テーマを決めないとこんなものだね。そんな話でした。

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