「ラストマイル」観た。

 先に記しておくが、ファンの方にとって快いことを書くつもりは無い。だからタグも付けない。ご了承ください。

 さて、友人の誘いを受けて、映画「ラストマイル」を視聴してきた。視聴した日自体はほとんど1か月前になるが、上手く言語化できなかったものがようやく整ってきたので記してみようと思う。映画の内容に直接的に触れることもあるので、未視聴の方やネタバレを少しでも避けたい方はこの後の内容は読まない方がいいだろう。
 それとは話がズレるが、私は「アンナチュラル」ならびに「MIU404」を未視聴であり、友人からの聞きかじり程度にしか情報を持たない。なのであくまで、キャラ愛も脚本愛も持たない人間の感想である。

 端的に言うと、この映画は私向けではなかった、というのが正しい。大ヒット作と言うだけあって期待したのも悪かったのだろうが、心のどこかで納得を求めて色々な人の感想を漁ってもなお、私の違和感は拭えなかった。
 正直、この映画に何を求めていたのかは私にも分からない。ただ爽快感が欲しかったのかもしれないし、面白い映画と聞いて見に行ったものだから、純粋に面白さを求めてしまったのがいけなかったのかもしれない。少なくとも私は、説教をされるために映画館に来た訳では無い、というのが第一印象であった。
 説教をされたくなかった、と言うだけでは片付けられないので、もう少し掘り下げて考える。
 この物語は物流関係で働く人々がメインに据えられており、最も注目を集める位置にいるのは、倉庫内の人々、それから宅配を請け負うトラックの運転手だろう。

 どうでもいい話だが、私はしばしば物流倉庫で派遣の身として働いていたこともあったので、少し懐かしい気持ちになりながら見ることが出来た。仕事内容の描き方はかなり忠実であり、運送の方までがどうかと言うのは私には分からないが、少なくとも倉庫については、私はここで働いたこともあるかもしれないな、と思わされるほどの再現度であった。そこは素直に凄い、と思ったし、倉庫で働く人々が何をしているのか、その手がかりとして見ることを勧めたいとさえ感じた。
 それに限った話ではなく、この映画を見て私が驚いたのは、描写の現実性の高さである。あまりにも突拍子もない話であるし、最後まで見ても現実味がない物語だったなとは思わされたのだが、それすら覆い隠してしまうほど説得力のある画面は圧巻である。これは私が普段あまり映画やドラマを見る機会がないからということもあるのかもしれないが、そもそも映画やドラマを見なくなってしまったのは、その画面の嘘くささが耐えきれなくなってしまったからという側面もある。物語を見たいのに、それに没入するためのリアリティが圧倒的に足りていない作品、もしくは私が見ている世界とかけ離れているために没入できない作品が多く敬遠していた中、久しぶりに物凄いものを観た。

 話が逸れすぎたので元に戻そう。
 前述したとおり、物語の主軸は物流業で働く人々。恐らく大多数の人がどこかの位置で共感できるほど身近な世界と言って違いないだろう。そんな物流業の大手が日本に構えた倉庫で働く一人の社員を発端に、日本も、世界ですらも脅かしかねない大事件が巻き起こされる。というのが私の考える本筋だ。この展開自体は面白かった。大画面、大音量、それから先にあげたリアリティのある演出が繰り広げる壮大な事件の顛末は常にハラハラさせられるし、合間に挟まれる笑いもちょうど良い。特に、日常を生きる人々は皆応援したくなるほど真面目に日々を生きており、ささやかな希望に満ち溢れた世界を垣間みれた。
 感情移入できる、という点では、配送を担当していた運送業の親子が最もその位置に選ばれているのではないか?と勝手に想像する。物語の主要な起爆剤ともなっている彼らだが、描かれ方は至って特別なこともない親子そのもので、歳老いた父とその息子の関係が愛情深く表現されている。ハートフルな物が好きな層は思わず応援してしまうような、NHK番組というか、最近こういう親子を追う番組増えたよなというか、個人的な感想としてはその辺りがくる親子だろう。
 その親子が巻き込まれる事件の発端、倉庫側の人間。これがまた、親子と対比すると個人的にはあまりに感情移入しにくい関係性になっている。
 わざとかもしれないが、作中で明確に描かれた首謀者と思われる女性は海外へと足を伸ばしていることになっており、これに協力したと見られる、社内での権力を持っているらしい女性も海外から日本に渡ってきた人物だ。この時点で、キャリアの違い、それから経済的な階層の違いをひしひしと感じてしまう。その高低差たるや、作者が意図して落差をつけたのだろうか?と思うほどだ。
 ちなみに、海外渡航自体はそこまでマイナーでもないだろうと言われればそうなのかもしれないが、この映画を見る人のどれだけが海外の会社の人間に会う為だけに海外渡航をし、もしくは、超大手外資系企業の国外支部で職に就いているのだろう。下請け、として明確に描かれた運送業の親子とは異なり、倉庫側に出てくる人間には明らかに社員らしき人物が多い。ある人物は本社と思しき相手とのミーティングに参加していたり、またある人物は倉庫の稼働全般を見ていたり、捜査への協力体制を柔軟に変化させていることからもかなり立場が上の存在を描いているのだろう。まぁ、下っ端根性なので詳しいことは分からないが。
 そしてこの、感情移入出来ない側(と、私の中でさせていただくが)、に事件の重い部分はのしかかり、人間の悪も深く、細かく描かれていく。日々を暮らす人々をあれだけ必死に、幸せそうに描いていたにも拘らず、こちら側にはあまり幸せというものが感じられなかった。というのは私視点の偏見なのかもしれないが、少なくとも日々を楽しく、辛く、充実して過ごす温かさのようなものは一切存在しなかったのだ。
 書いていて気づいたが、こちら側の人に「家族」を思わせる描写はそういえば少なかった。というか、あったのかさえ疑わしい。私が見逃しているだけかもしれないが。
 人々の中には家族も恋人も、家という存在もかなりクローズアップして描かれたものが多いのに対し、倉庫側の人々は会社、仕事仲間、倉庫、ジムなど、家とは違う場所、温かみとはまた異なるロケーションが選ばれている。
 物語の展開上仕方の無いことなのかもしれないが、もしこれが意図されたものであるのならば見事だ。見事に、私はそこから冷たさを感じとってしまった。
 そしてこの映画、比重的に、倉庫側の人間の方がメインで描かれていることは言うまでもない。事件の発端も糸口もそちら側にあるのだから、それは当然の話である。だからこそ「説教臭い」と思わされる終が待っているのだろう。いい話では終わらない。温かみでは終わらない。薄暗い冷たさだけがそこに残るのだから。テーマ自体も現代社会にある問題を扱っているので、余計にそうなっている。とはいえ、意図したことが恐らくその説教にあるだろうから、これは本当に私に合わなかったと言うだけだ。

 私は、人の感情を見るのが好きだ。何かのために必死になる人が好きだし、何かのために悩み、苦しむ人が好きだ。それは人対人であればあるほど、人間の喜びを感じられて、幸せになる。
 これがこの映画からは感じられなかった。
 厳密に言えば、運送業の親子だったり、その他にも随所に出てくる生活を営む人々からは感じ取れるのだが、倉庫側の人々からは欲と利益、それから歪んだエゴイズム、こればかりが感じ取れて嫌になった。仕事とはかくも人を鈍らせるものなのだ、と友人は言ったが、何を言っているのか理解できない。運送業の人々があんなに豊かな感情を露わにしていたのに、上層部になるとそういうものはなくなるんだよとか、そういう話では片付けられないだろう。これがブラック企業の問題点だと言うならとんだ傑作である。ブラック企業は人の心をなくすとか、そんな簡単な話で片付けていいものでは無いだろう。

 なんだか、別方向に怒りが湧いてきた。
 私は感想を見ていても正直もやっとしたのだ。「考えさせられた!」とか「通じるところがあってハッとさせられた!」とか、何を?何が?という話である。誰も、いや、ネタバレ出来ないから、というのもあるかもしれないが、「考えさせられた」先のことは話さない。
 何を考えたのか?それを受けて、何かしようと思ったのか、はたまたしないのか、その行動を選択する意味は?
 所詮、私たちにできることなど無いのだ。誰もがみな世界を諦めた上で、知ってか知らずか「考えさせられた」という言葉を使ってしまう。いい映画だったなぁと心に残る、なにかの糧にはなるかもしれないが、私からすれば、世界も、社会もそんなもんだと言わざるを得ない。人間のためにこの映画を作るわけが無い。というか、映画を作る人が誰かのために作ってるかどうかは知らないので私の表現は的外れかもしれないが、少なくとも私には、この「ラストマイル」がそれに携わる人々の強烈なエゴイズムとして受け取れたわけである。

 誰もがみな倉庫側の人間であるわけが無い。人間とは、社会でのみ輝く生き物ではないのだ。資本主義のこの世ではそれも難しいことだが……とはいえ、自分一人、誰かと共に生きることはそこまで悲観的に捉えなくてはならない業ではない。
 それを真っ向から否定されたように感じて、私は居心地が悪かったのだろう。そんな映画だった。ひねくれていると言えばそうだし、でも、似たような感想の方はいるだろうとも思ってしまう。
 映画、一度しか見ていないので、間違って受け止めている部分があったら申し訳ない。
 ただ私は、二度目を見に行くことはないだろう。大画面と爆音で平穏を揺るがされるのはあまり得意でないので、大抵の映画は一度見たら配信されるまで待つ方だから。

 今日はそんなところの独り言だ。長くなってしまったし、内容にまとまりがないが、どうしてもどこかに書いておきたかったモヤモヤを置けて満足ではある。お付き合いさせてしまった方がいれば申し訳ない。
 良い一日を。

 追記
 なんだかただ共感力が低いだけなんじゃないか?と思えてきてしまったのでもう一度考えたが、やはりテロサイドに共感することは出来ない。百歩譲って飛び降りてしまった男に共感することは出来なくもないが、その後の展開はもう全くもってわからない。抱える辛さも苦しみも壮絶なものだったのだろう。恨みのあまり何も見えなくなっていたのかもしれない。それが例え、テロの計画だと理解した上で綿密に進めていたのだとしても。
 誰の感想だか忘れてしまったが、ネットで流し見している時に、結局死者が首謀と思われる女性一名(しかもこれは、爆弾が直接的な死因ではない)のみだったと指摘しているものを見た。しかし、だからなんだと言うのだろう?
 我々はいつでも同じようなテロに遭うかも知らない。それは真であり、目を背けてはならない真実だ。だからといって、殺傷力の低いものだったから良いということには全くもってならないし、同情の余地もない。「本当は傷つけるつもりもなかった」などの戯言は一切聞きたくない。それは被害者感情を殺す二次加害だろう。
 計画をまず最初に思いついたであろう彼女、その人となりは結局不明のままだ。作中では描かれていないから。会話もほとんどなく、きっと何かしら自殺をしようとした彼に特別大きな思いを抱いていたのだろう、ということだけ。それを、恋人だとか、結婚を見すえていたとかで表しているだけ。
 恋人だとか婚約者というものは、理不尽な理由で失ったらテロを起こしたくなるほどの存在なのだろうか?ここの感情をもっと知りたかった。簡単な枠組みではなく、二人の間の生活を、これまでを知りたい。
 そこが分かればもしかしたら、私もこの映画を飲み込めるのかもしれない。感想を書き終えてから、少しだけそう考えた。
 今度こそ、以上だろう。良い一日を。私はこれから、婚約者よりも大切な友人と遊ぶ予定が入っている。
 婚約者などいないけどね。

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