ネオネグレクトと親の遺伝子
今、中学受験が空前のブームらしい。
ネオネグレクト…この言葉をたびたび見かけるようになった。私は歳の差子育て中で、正直、このネオネグレクトなる言葉に当てはまるのは、今の小学生の親世代、そう、今、1番感じる傾向にある。
「私、子供の塾に全部任せているから、受験のことあんまり分からないの。塾の先生にお任せなの。」
この言葉を聞くようになったのも、下の子の親御さんから。上の子の時はほぼ無い。
親は当然共働き、夫婦共に子供のご飯だけ用意してそのまま出勤し、帰ってくるのは夜が更けてから。子供は自分で鍵で家に入り、そのまま塾に行き、帰ってきてからは子供との会話もなくすぐに宿題に向かわせる。
また、金銭的に余裕もないのに、必死にパートを二つ掛け持ちしながら、このネオネグレクトの状態を続け、受験に挑む親もいた。正直、本末転倒な状況のようにしか感じられない。
ネオネグレクトの子供は、親の見えないところ、特に携帯のSNSなどに逃げたり、親に嘘をつき、平気で人を傷つける行為をする、こんなことも目にするようになった。
この言葉を発信していたのは、矢野耕平氏。彼の記事の中にあった具体的な例は学級崩壊を起こすタイプの子供だったが、印象としては、先生に目立った反抗をするというより、見えないところで問題を起こすタイプ、先生が注意できないようなところで…が今は主流のように感じる。
ある時、「親の遺伝子で子の学歴の高さが決まる」という記事を読んだ。頭では分かってはいるが、これを口にすることは御法度な気がして…話のネタにも出した事はない。なぜなら、この日本において、それを口にすれば、「鳶が鷹を産む」可能性がなくなるから。
私の周りの中受させる親の多くは、両親が並走したり、問題を一緒に解くことも多かったように思う。つまり、難題を解ける頭脳の持ち主でないと中受に並走できず、また、親の遺伝子も自然と意識しているので、子供に過度の期待もしていなかった。そう、今から10年以上前は。
日本において、いわゆる高学歴というのは、高偏差値の学校に通うと言う事。良い学びができ、本人の得意分野を伸ばし、学校が有名なのではなく、その人の能力そのものを褒めることが本来は1番必要なのに…。
どこどこの学校に通う事がステイタスではない。その学校でどんな学びができるのかが1番必要な情報なのではないか。
また、ネオネグレクトがある状況は、今の日本において、男尊女卑をなくさずに、母親1人で子育てすることの限界がきているからほかならない。
日本のGDPが世界4位になったことを嘆くが、もう、今、待った無しの状況が目の前に差し迫っているように思う。正直、逃げ出したくなる状況だが、仕方ない。この国に住んで、未来ある子供達にいかに良い学びを与えられるのか、これこそ親の「本当の賢さ」が問われている気がする。