サルヴァトーレが帰ってきた!
クリスマス休暇を終えて年明け、サルヴァトーレが帰ってきた。
再会を単純に喜ぶ私に、彼は言った。
'マキコ、きみはここに、イタリア語を学ぶために来たよね? 提案なんだけど、これからはイタリア語で会話してみないか?’
き、、きっと私のためを思って言ってくれているんだ、そう、私はここに、イタリア語を学びに来たんだもんね。
わかった、そうする。
こうして、彼との再会の喜びもつかの間、学校だけでなく、彼と過ごす時もまた、拙いイタリア語を駆使する日が始まった。
クリスマス休暇を、イタリア語尽くしで過ごした彼はきっと、思ったに違いない、’マキコと話すときにも、イタリア語にしよう!’
彼が自国に居て、母国語で話すのは、当たり前のこと。
命令調でなく、提案してくれた、サルヴァトーレは優しい。
しかし、この時から、私と彼の立ち位置が、少々変わってきた。
英語で仕事をしていた私は、彼より少々英語がうまく操ることができ、’優位’にいたけれど、この時から彼は、’サルヴァトーレ先生’となった。
間違ったことを言っても、丁寧に正してくれるし、ときどき彼の故郷の方言も教えてくれる。
イタリア語を、身近な環境で使うようになると、テレビを見ていても、いろいろな文章が、解るようになってくる。 解らないときは、会えば教えてくれる先生がいる。 想像していたよりももっと、楽しい変化。
また、外国語を学ぶことは、その国の歴史を含めた文化を知ることに繋がる。
言葉はその国を知る一つのツール。
例えば食文化で言えば、私説ですが、日本料理では、料理に煮物など、砂糖を使うので、苦みのあるお茶を飲む。
イタリア料理では調理に砂糖は加えず、最後にデザートやフルーツを食べたり、砂糖を入れたエスプレッソで食事を終える。
だから、日本の家庭料理を食べた後に、デザートなど、甘いものを食べるのは、きっと糖分過多ではないかと。
好きな人の育った国の文化を、イタリア語を話し始めて更に、奥深く知りたいと思うのは当然の事。 全てを知ったわけではないにしても。
今から考えると、彼の提案はほんとうに、有意義だった。
そして、、
彼は頻繁には言わないけれど、
’I love you’ が、’Ti amo’ に変わった。