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アパートメントに独りぼっち

夏がやってきた。

二人で暮らすようになって、初めての長い休暇。

私はただ、帰郷の支度をしているサルヴァトーレを傍で、眺めている。

以前は、一日の一部だけを一緒に過ごしていたけれど、今回は別。
少しは寂しいけれど、帰らないでと駄々をこねるほど私は、子供ではない。

他の土地にいるイタリア人学生にとって、長期休暇に帰郷するのは必須。
働いている人たちだって、週末に帰ったりする。

ご家族にどうぞよろしくと、笑顔で送り出す。

私はこの間、学校の主催する遠足に行ったり、友達と近くにあるアッシジや、フィレンツエに遊びに行ったり、、

短い間だったけど、近くにある、トラジメーノ湖のほとりのホテルで、バカンスに来ている家族の子供たちの、水泳の先生をしていた。

ローマから避暑に来ている家族の子供の質問が、愉快だった。。
’ねえ、Giappone(日本)って、ローマより遠いの?’

という訳で、夏休みはあっという間に過ぎた。

それは、日々の暮らしの様子を、サルヴァトーレは手紙で丁寧に知らせてくれたおかげかも知れない。

遠いところで勉強している学生を持つ親は、特に母親は、子供の健康状態を心配する。
’まあ~、こんなに痩せて、、さあさあたくさんめしあがれ!’と、お母さんは、腕を振るう。
母親冥利に尽きる瞬間。

ペルージャに帰って来た彼は、’今度は僕の事、痩せたねぇって、お母さん言わなかったよ’と、微笑みながら言ったサルヴァトーレの表情には、少し複雑な心模様が見えた。

お母さんの喜びは、自慢の手料理を、お腹いっぱい子供に食べさせて満足させることだから。

文句など言わない彼だし、私が作る料理を毎回、必ずおいしいと言って、全部食べてくれたので、私はその量でいいと思っていたけれど、彼は頑張っていたんだ。 そういえば、、ちょっと太ったかも。

’もう少し、少なくってもいいよ’、、、 それからは、なるべく適量を作るように、いろいろ工夫した。

今でも私は、適量を作るのが苦手。

その彼がある日、全く何も食べられなくなった日があった。
法学部の学生として、一生忘れられない事件が起こった。

ジョバンニ・ファルコーネ裁判官/判事が、暗殺された日。
その臨時ニュースを、私はサルヴァトーレと一緒にテレビを見ていて知った。

1992年5月23日、マフィア撲滅に生涯を捧げた、ジョバンニ・ファルコーネ裁判官/判事が、ローマからシシリアにあるパレルモ空港に到着後、護送車と共にパレルモ市に向かう途中で、マフィアによる綿密な計画によって、護衛の警察官、また判事でもある夫人と共に爆死するという悲惨な事件だった。

また、共にマフィア撲滅の為に戦った、裁判官のパオロ・ボルセリーノ氏も、暗殺された。

マフィアは普通、世間に知られないように、邪魔な人間を消す、という。

しかし、世の中にメッセージを明確に知らしめたいときには、分かりやすい殺し方をする、とも。
今回の一連の事件はそれだ。

その後、ファルコーネ氏関連の、ドキュメンタリー、映画などが作られ、イタリア中を震撼させた、決して忘れることのできない悲劇となった。

毎日を、細心の注意を払って生活をされていた数多くのエピソードの一つに、コーヒーの出前を必ず、複数オーダーする事。 
毒を盛り殺す標的を、絞らせないためだったという。

すぐそばに、自分を狙っている人間がいるのか分からない中で、生きていく為には、どんな強靭な精神状態を絶えず、保っていなければならないのだろう。
どんなに強い志を持っておられたのだろう。
53才で生涯を終えたファルコーネ氏。
無念。

映画でしか、マフィアという言葉を知らなかった私には、到底考えの及ばない大きな悲惨な大事件だった。

この事件の後、イタリアには、新しく’G. Falcone’ という名前が付いた道もある。 友達の一人が今、その通りに暮らしている。

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