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【エッセイ】工業地帯、ピナイ、Price Tag【西淀川物語】

 2010年代。
 私は大阪市の工業地帯、西淀川区に住んでいました。

『住宅地でないため、騒音配慮しかねます』
 というトタン板の看板。
 区全体の標高が、すぐそばを流れる淀川の水面よりも低い。
 川の向こう岸にUSJも、梅田のビル街も見える。
 それが西淀川区でした。

 出稼ぎの外国人も多かったです。
 今でも南米系、イスラム系の外国人コミュニティがあり、モスクやハラールショップまで立っていました。
 しかし、当時最も大きいコミュニティはピノイ、フィリピン人のものでした。

 会社の先輩が、阪神なんば線駅前の、狭苦しいマンションに住んでいました。
 神内さんという、白髪交じりの小ぎれいなおじさんです。
 一度宅飲みをしに行った時、大昔の関西ウォーカーを引っぱり出してきて見せられました。
「それ、俺」
 指差したのは、きれいな女性と一緒に温泉へ入っている、ロン毛のモデル男性でした。
「はあ?」
 声を発しながら見比べていると、神内さんは黒ぶち眼鏡を取ってキリッとしてみせます。
 言われてみれば確かに、似ていなくもない。
 すっかり中年になった今でも、神内さんはハンサムな方だ。
 だけどまあ、ずいぶんとくたびれちまったなあ……

「彼女が入国管理局から、仮放免で出てくる」
 ハイボールの缶を傾けながら、神内さんはそう話していました。
 彼女は、ピナイでした。
 在留資格が切れているのに、区内の食品工場で働き続けていました。そのため警察の摘発を受けて逮捕され、管理局に留置されていたのです。
 神内さんは、彼女を釈放してもらうべく、休日の度に区役所まで押しかけていました。
 婚姻実態がある、という証明を出してもらうためです。
「窓口で、二時間でも三時間でも座り込んで、騒いでやるんだ。ミナを自由にするためだったら何でもしてやる」
 確かに、昔と変わらぬ男前のようです。
「ミナが出てきたら、すぐに子供を作ってやる。そうしたら、婚姻実態ができて、強制送還なんてされなくなる」
 にひひ、と笑う神内さんは、かっこいいのかスケベなのか、よくわからなくなっていました。

 会社の飲み会で二次会があって、みんなでカラオケへ流れた時、神内さんは管理局から釈放されてきた彼女を呼びました。
 彼女は小柄で、ゴージャスな女性でした。華やかで、堂々としていました。
 そうして臆することもなく、カラオケに曲を入れ、見事な美声で歌い上げました。
 その曲はJessie Jの「Price Tag」でした。

Can you feel that? Yeah We're paying with love tonight /
 (感じられる? 私たちは今夜、愛で支払うんだ)
It's not about money, money, money /
 (お金、お金、お金の問題じゃない)
We don't need your money, money, money /
 (あなたのお金、お金、お金なんていらない)
We just wanna make the world dance /
 (私たちはただ、世界を踊らせたいだけ)
Forget about the price tag /
 (自分についた値札のことなんか忘れて)

 二人の出会いは?
「近所のコンビニでバイトしている時に、お客としてやってきたミナから、逆ナンされたんだ」
 二人で顔を見合わせ、ふふと笑っています。
 なんともはや、幸せそうです。
 彼女さんは英語とタガログ語しか話せません。神内さんは英語を話せるので、話は早かったそうです。
 話が早かったらどうなるの? 

 神内さんの宣言通り、二人の間にはすぐ子供が生まれました。
 男の子で、SHINJIと名付けられました。
 休みの日なんかに、近所の駅の島式ホームで、ベビーカーに乗せられた彼とよく顔を合わせました。
「はあい、シンちゃん。将来は、ヨーロッパでサッカー選手になるのかな。それとも、十四歳で初号機パイロットかな」
 そんな風に話しかけると、おしゃぶりをくわえたまま、不思議そうな眼差しででこちらを見上げてきました。ハーフらしい、くりくりした可愛い目をしています。
「あそこもいい加減手狭だから、もう引越そうと思う」
 と、父親らしく神内さんは言いました。
「どこへですか」
「俺の実家のある、四条畷あたりかな。本社も近いし」
「そうですか」
 と、私はうなずき返しました。
「さみしくなりますね」

 その後、私がその会社を辞めたので、神内さんとは一切連絡を取ることもなくなりました。
 西淀川の家も引き払い、奈良へ引っ越しました。新しい会社の職場が、そちらの方になったからです。
 あれから十年以上が経ち、あの西淀川区の町にはもう、自分の知っている人は誰も住んでいません。
 それでも時々、急行電車で例の駅を通過していくと、駅前に立ち並ぶピノイの日用雑貨店が目に飛び込んできます。
 そんな時、私は心の中で口ずさむのです。

It's not about money, money, money /
 (お金、お金、お金の問題じゃない)
We don't need your money, money, money /
 (あなたのお金、お金、お金なんていらない)
We just wanna make the world dance /
 (私たちはただ、世界を踊らせたいだけ)
Forget about the price tag /
 (自分についた値札のことなんか忘れて)…

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大純はる
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