![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/154823751/rectangle_large_type_2_2f95a46dfff1bc70f6303b6f492d0798.jpeg?width=1200)
【エッセイ】工業地帯、ピナイ、Price Tag【西淀川物語】
2010年代。
私は大阪市の工業地帯、西淀川区に住んでいました。
『住宅地でないため、騒音配慮しかねます』
というトタン板の看板。
区全体の標高が、すぐそばを流れる淀川の水面よりも低い。
川の向こう岸にUSJも、梅田のビル街も見える。
それが西淀川区でした。
出稼ぎの外国人も多かったです。
今でも南米系、イスラム系の外国人コミュニティがあり、モスクやハラールショップまで立っていました。
しかし、当時最も大きいコミュニティはピノイ、フィリピン人のものでした。
会社の先輩が、阪神なんば線駅前の、狭苦しいマンションに住んでいました。
神内さんという、白髪交じりの小ぎれいなおじさんです。
一度宅飲みをしに行った時、大昔の関西ウォーカーを引っぱり出してきて見せられました。
「それ、俺」
指差したのは、きれいな女性と一緒に温泉へ入っている、ロン毛のモデル男性でした。
「はあ?」
声を発しながら見比べていると、神内さんは黒ぶち眼鏡を取ってキリッとしてみせます。
言われてみれば確かに、似ていなくもない。
すっかり中年になった今でも、神内さんはハンサムな方だ。
だけどまあ、ずいぶんとくたびれちまったなあ……
「彼女が入国管理局から、仮放免で出てくる」
ハイボールの缶を傾けながら、神内さんはそう話していました。
彼女は、ピナイでした。
在留資格が切れているのに、区内の食品工場で働き続けていました。そのため警察の摘発を受けて逮捕され、管理局に留置されていたのです。
神内さんは、彼女を釈放してもらうべく、休日の度に区役所まで押しかけていました。
婚姻実態がある、という証明を出してもらうためです。
「窓口で、二時間でも三時間でも座り込んで、騒いでやるんだ。ミナを自由にするためだったら何でもしてやる」
確かに、昔と変わらぬ男前のようです。
「ミナが出てきたら、すぐに子供を作ってやる。そうしたら、婚姻実態ができて、強制送還なんてされなくなる」
にひひ、と笑う神内さんは、かっこいいのかスケベなのか、よくわからなくなっていました。
会社の飲み会で二次会があって、みんなでカラオケへ流れた時、神内さんは管理局から釈放されてきた彼女を呼びました。
彼女は小柄で、ゴージャスな女性でした。華やかで、堂々としていました。
そうして臆することもなく、カラオケに曲を入れ、見事な美声で歌い上げました。
その曲はJessie Jの「Price Tag」でした。
Can you feel that? Yeah We're paying with love tonight /
(感じられる? 私たちは今夜、愛で支払うんだ)
It's not about money, money, money /
(お金、お金、お金の問題じゃない)
We don't need your money, money, money /
(あなたのお金、お金、お金なんていらない)
We just wanna make the world dance /
(私たちはただ、世界を踊らせたいだけ)
Forget about the price tag /
(自分についた値札のことなんか忘れて)
二人の出会いは?
「近所のコンビニでバイトしている時に、お客としてやってきたミナから、逆ナンされたんだ」
二人で顔を見合わせ、ふふと笑っています。
なんともはや、幸せそうです。
彼女さんは英語とタガログ語しか話せません。神内さんは英語を話せるので、話は早かったそうです。
話が早かったらどうなるの?
神内さんの宣言通り、二人の間にはすぐ子供が生まれました。
男の子で、SHINJIと名付けられました。
休みの日なんかに、近所の駅の島式ホームで、ベビーカーに乗せられた彼とよく顔を合わせました。
「はあい、シンちゃん。将来は、ヨーロッパでサッカー選手になるのかな。それとも、十四歳で初号機パイロットかな」
そんな風に話しかけると、おしゃぶりをくわえたまま、不思議そうな眼差しででこちらを見上げてきました。ハーフらしい、くりくりした可愛い目をしています。
「あそこもいい加減手狭だから、もう引越そうと思う」
と、父親らしく神内さんは言いました。
「どこへですか」
「俺の実家のある、四条畷あたりかな。本社も近いし」
「そうですか」
と、私はうなずき返しました。
「さみしくなりますね」
その後、私がその会社を辞めたので、神内さんとは一切連絡を取ることもなくなりました。
西淀川の家も引き払い、奈良へ引っ越しました。新しい会社の職場が、そちらの方になったからです。
あれから十年以上が経ち、あの西淀川区の町にはもう、自分の知っている人は誰も住んでいません。
それでも時々、急行電車で例の駅を通過していくと、駅前に立ち並ぶピノイの日用雑貨店が目に飛び込んできます。
そんな時、私は心の中で口ずさむのです。
It's not about money, money, money /
(お金、お金、お金の問題じゃない)
We don't need your money, money, money /
(あなたのお金、お金、お金なんていらない)
We just wanna make the world dance /
(私たちはただ、世界を踊らせたいだけ)
Forget about the price tag /
(自分についた値札のことなんか忘れて)…
![](https://assets.st-note.com/img/1726987755-DoPUxcKqLH1Ql7RjvW6NXfbY.jpg?width=1200)
いいなと思ったら応援しよう!
![大純はる](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/102596293/profile_4484c3a5b33e77635d04caf72d61deb6.png?width=600&crop=1:1,smart)