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恋の究極は崇拝

紅茶でカフェイン注入しないできょうの「予言の自己成就的」記録を付けてしまおう。というのもさっき起きたばかりなんだ。今年はあと二日図書館に行ける。だから明日何時に起きて何時に向かうかはまだ分からない。
愛がいちばん、とかいうアイフルのCMをさいきんユーチューブでみるけど、ああいう消費者金融のコマーシャル・フィルムをみるたび私は、金なんか両親もしくは友人知人から無利子で借りればいいじゃんといつも思う。というかもらえばいいじゃんか。金を借りたりもらったりして壊れるような人間関係は友人関係じゃないからね。たかが金でしょう。突き詰めればトークンだろう。そんなもののために首を吊るなんてジョークでしかない。金をじゅうぶんに持っている人のところから金をじゅうぶんに持っていない人のところに渡るのは当然だ。人と人の関係はおしなべて凸と凹なんだよ。荒んだ心のひしめく世上にあってはこんなのもキレイゴトなのかね。

朗読音声データでヤマザキマリ『男子観察録』を読み始める。著者の愛するいろんなぶっ飛び男子がつぎつぎ紹介される本。計算高く常識がありちゃんとした人生設計を持っている男より、何考えているのか分からない不合理系男子の好きな私としては、はじめのハドリアヌス帝の話から愉快痛快に読めた。いわゆる五賢帝ひとりであるローマ皇帝・ハドリアヌは妻がいたにもかかわらず最後まで実子はなく、あろうことかアンティノウスという美少年に心を射止められ自らの傍らに置き、そのアンティノウスがナイル川で溺死したさい大いに嘆き哀しみ、しまいにはその名にちなみアンティノポリという都市を建設してしまったという話は有名だ。帝王でありながらはるかに下の身分の少年の死にそこまで慟哭するというのは「異様」に映る。むしろ彼はその少年を崇拝していたのだろうと私は推察している。ハドリアヌスに私は親近の情を抱く。私もむかし佐野というレジ係の男子学生に全身打ち震えるようなフォーリンラヴを経験し、いまも彼のことを観音菩薩の化身と信じて止まないくらいだから。崇拝とは恋の純化されたかたちなのだ。彼の姿がこのどうしようもない濁世に現れたことじたいが無限に「ありがたいこと」であり、このことによって私は実存的救済の縁を得、いまでも高貴で優しいその相貌を想起しない日はない。ハドリアヌス帝に倣って私もその男子学生の名に因んだ都市を建設したいくらいだが、遺憾なことに権力と財源がいささか不足していてとても「現実的」とはいえないので、彼の名字に因んだ筆名で多くの著作を歴史上に残そうと決意している。きっと大丈夫だろう。いずれにしても菩薩が見守ってくれている。

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