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清原和博、甲子園、虚像の番長

六月六日

最もたちの悪いことは、内面生活の素晴らしさ(そこには本物のインドや未知の国が存在する)と、日常生活の卑俗な面――たとえ卑俗ではなくとも――とのあいだの落差なのだ。無気力という言い訳がない場合、倦怠はより重くのしかかる。行動力に富む人びとの倦怠は最悪のものだ。

フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』(澤田直・訳 平凡社)

正午五分前起床。珈琲、デーツ二個。<隣源病>のせいかこのごろ寝つきも目覚めも悪い。ジジイが在室してること自体が動悸の原因だ。存在していること自体が許せない。まあオイラからすれば「人類」なんていますぐ全滅しろ、なんだけど。寝るまえヤニゴミジジイの眼をアイスピックでザクザク刺したあとイトノコギリで全身を凌遅刑的に切り刻みながら惨殺する妄想に耽っていた。ああああああああああああァ、あああがががががががとか叫んでた。へへへ、もっと苦しめ、もっと喚け。俺は貴様の吐く汚染空気のせいでもっと苦しんでるんだ。こういう脳内処刑、じつは誰もが日常的にやっていることなのだろうな。あらためて人間がこわくなる。僕はある時期からすべての他人に途方もない恐怖を感じるようになった。いっけん人畜無害な「社会人」のなかにどんな凄まじい邪悪妄想が渦巻いているのだろう。そういえば咳払いチック野郎が隣に住んでいたときも同じような妄想を逞しくしていた。鈍器で殴りまくっていたな。

休館日のきのう、主計町茶屋街経由で諸江のブック・オフへ行った。往復三時間。バルザック『滑稽艶笑譚』、ソログーブ『かくれんぼ・毒の園』、エスプロンセーダ『サラマンカの学生』、ダグラス・アダムス『宇宙クリケット戦争』、中上健次『十九歳の地図』、島田雅彦『忘れられた帝国』、中山千夏『子役の時間』、保坂正康『天皇が十九人いた』など計十二冊。

鈴木忠平『虚空の人(清原和博を巡る旅)』(文藝春秋)を読む。この著者による『嫌われた監督』には唸らされた。全プロ野球ファンの必読書とさえ思っている。前著ほどではないが、今回の本もけっこう楽しめた。好き嫌いはべつにして、清原和博はまぎれもなくスター選手だった。球界の「千両役者」だった。傍から見れば富も名声もじゅうぶんに獲得した成功者だ。だからどこへいっても注目の的だし、賞賛の的になる。現役時代の栄光と興奮の刺激に慣れきってしまっていた清原は、引退後もだらだら続く日常の倦怠に耐えられなかった。金のある有名人のまわりには魑魅魍魎がうごめきやすい。それで気が付けば彼はクスリなしでは生きられなくなっていた。およそそんな理解が「一般的」なのではないか。プロ野界というのは(あるいは芸能界も)は「異常な世界」だ。実力(成績‐数字)だけがものをいう。まわりをみわたせば幼いころから野球一筋の「化け物」ばかり。今日の試合でどれだけ活躍しても明日ダメならボロカスに言われる世界。どんなスター選手も一寸先は闇。むしろ現役時代こそクスリが必要なんじゃないか、と思う。清原といえば甲子園大会通算十三本塁打という記録がよく知られている。おそらくPL学園時代が彼の人生のピークでなかったか、と著者は言いたげだったが、「あこがれのジャイアンツに裏切られた」という後の彼の失望を思えば、それも的外れではない。あの事件以来、清原の「虚像性」について多く報じられるようになった。もうじゅうぶんである。つぎに知りたいのは、KKコンビのもう片方、桑田真澄のことだ。清原に比べてはるかに冷静沈着したたかな彼についてもっと深く掘り下げてほしい。

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