学会遠征編 5日目 バンコク上陸
前半のあらすじ
名古屋市在住の大学院生が学会発表のために出張へ。発表は2本あり、1つは徳島、もう1つはバンコクで行われるが、その2つの学会の開催日が近かったのと、中部国際空港でうまく飛行機の予約が取れなかったことを理由に、途中で帰らず連続で行くことにした。前半では徳島に行き、徳島大学にて無事発表を終えることができた。また、少しできた時間を使って徳島県観光したり、ヤケクソで淡路島に行ったりと旅行を満喫してきた。そんな今は関西空港にてバンコク行きの便を待ち構えている状態。人生初の海外渡航に心を躍らせている。離陸は日付を跨いで5日目の2024年3月17日日曜日、0:45(日本時間)である。
スワンナプーム空港行き 直行便
僕、CRAZY、そして仲良くなったアジア系の男性は飛行機に乗った。同じ便とはいえ、それぞれ予約した席は全然違うので事実上ここでお別れとなる。CRAZYとは入国審査後にまた合流することにした。そして機内へと侵入。この搭乗の手続きは国内便と変わらないが、最後に飛行機に乗ったのが1年前なので新鮮な気分になった。まず中に入った感想としては、思っていたより広いということだ。基準が国内便だったので、そのつもりで行くと段違いの大きさだ。これでもさらにビジネスクラスやファーストクラスという更にランクの高い席が用意されているのかと思うと、飛行機ひとつとっても世界は広いなと思った。そして半券に記された自分の席を見つけた。左のブロックの、通路側の席だ。交通費は研究室の費用から出るということで格安便ではなく安全度・衛生面において信頼しているJALを選んだのだが、その料金は後から振り込みという形なので事前に飛行機代は用意しておかないといけない。他の諸経費等も含めて予め用意できる軍資金には限りがあるのでエコノミークラスだったのだが、案の定箱詰めのような狭さだ。こんな窮屈でくつろげるのだろうか。帰りの便は予約の段階で席を指定で来たので右の窓側にしたのだが、行きは席の予約ができなかったのでこの席になった。とはいえ、これだけ狭いのならトイレ等で席を外すときに通路側の方が動きやすいのでむしろありだったのかもしれない。リュックは上の荷物置き場に置いたが、機内で使いそうなものは手元に残しておいた。具体的には、待合室で買った飲み物と本、充電するためにスマホとモバイルバッテリーも出しておいた。前の座席についているあみあみの荷物入れは、降りるときに忘れてしまいそうなので注意が必要だと思いながら、とりあえずはくつろぐ方法を模索した。念の為座っていても眠れるよう自分で空気を入れるタイプのU字型枕を持ってきてはいたが、席の一つ一つに枕が用意されていたのでそれを使うことにした。そして乗客がそろったところで気づく。通路を挟んで右隣には、なんと空港の待合室で仲良くなったあの男性が座っていたのだ。事前に打ち合わせていないのに、こんな奇跡が起きるのであろうか。お互いこんな偶然が起きるとは思っていなかったので少し喋った。彼は僕があのCRAZYと一緒にいないことを疑問に思ったらしく、そのことを聞いてきたが、予約したタイミングが違うから席も違うと答えた。そもそもギリギリになって飛行機を取ったCRAZYは同じ便に乗れたことが奇跡だと思う。そんな偶然が起きたのも、CRAZYが待合室で話しかけたからこそ起きた奇跡なので、彼の外向性には驚いた。この旅で彼を使いこなせば海外だろうと恐くないだろう。スマホの電源を切り、飛行機は無事離陸することができた。席が通路側なので外の景色はよく見えなかったが、この離陸時の間隔は結構好きである。自分はこれから違う国に行くんだ、まったく知らない土地を歩くんだ、と恐怖よりも好奇心が多かった。学会の方も、まあ何とかなるだろう。とりあえず今は休むことが最優先だ。ちなみに、タイでの観光を最大限に楽しもうと考え、朝から動ける便ということでこの時間にしたのである。帰りも同じような時間だ。おかげで2泊分の宿泊費が浮いてしまった。夜行バスみたいなイメージだ。経理担当の人に提出した旅程は誰が見ても圧巻の予定になっていた。8日のうち2回も機中泊になっているからだ。体力は持つのだろうか。5泊8日の長旅、後半である。
機内での出来事
深夜の便ということもあって機内はすぐに暗くなった。手元に読書灯はあるものの、今は寝ることの方が大事であるため、結局本は読まないことにした。帰ってきてからのお楽しみにしよう。自分で膨らませるタイプの飛行機用枕は、ひれみたいなものがついているせいで首に装着すると違和感をまとわせてくる。頭には機内の枕を使用し、膨らませてしまったU字は腰の疲労を軽減するクッションとして使った。ちなみに、初日のフェリーでも試用したが、同じような感想だった。後でしぼませるのが大変なので、少し早めに起きた方がいいのかもしれない。出発は日本時間0:45に対し、到着は現地時間朝5:00だ。時差は2時間なので6時間15分の空中浮遊となる。とここで機内アナウンスが入る。そして着陸の2時間くらい前に朝食が配られるそうだ。人生初の機内食だ。機内食はあまり美味しくないと言われることもあるそうだが、日本の航空会社ならそのあたりは気にしなくてよいだろう。熟睡しているとスルーされるそうなので、このタイミングでは起きているようにしたい。
寝ようと試みたが、今までホテルの気持ち良いベッドで寝ていたので、なかなか眠りにつけない。せめてリラックスだけでもすることにした。そういえば、精神科で処方してもらった睡眠薬(ラメルテオン)を持っていることを思い出した。しかしそれは上の荷物置き場にあるリュックの中である。毎日毎日使っているものではなく、必要な時だけ飲めばいいと言われているものなので無理する必要はない。それに、それを飲めばひとたび6時間はぐっすりなのでみすみす機内食を逃してしまう。もっと飲むべき時のために今回は飲まないことにした。実際はただ単純にリュックから取り出すのが一苦労なだけである。また、上空まで飛んだところでwi-fiが使えるともアナウンスが入った。国内便では経験したことなかったので少し驚いた。とはいえ日本にいる知り合いは皆ねている時間なので現状報告しても迷惑なだけだろう。今ブルーライトを浴びてしまってはますます寝られなくなるということでデジタルデトックスの時間とした。左隣のおじさん(日本人)が席を立ちたがっていたので頑張ってスペースを作った。窓側の席はトイレに行くのも一苦労だ。そのおじさんが戻ってきたときは先に自分が席から外れておじさんが中に入りやすいように配慮した。このような連係プレーが必要なくらい狭いのだ。機内サービスの飲み物はオレンジジュースにしておいた。ノンカフェインでさらっとしたものと言えばこれだろう。いつでもよく見るミニッツメイドの紙パックの奴から注いでくれたのだが、これがやはりめちゃくちゃおいしい。オレンジはさっぱりしていて逆に目が覚めるのかもしれないが、それでも飲みたいものを飲むのが一番だ。
数時間後、暇だったので瞼を開けてみた。個人用モニターで、現在の飛行機の位置を調べてみたら、ちょうど台湾の上空を通過した後だった。つまり、3時間もあれば台湾に行けてしまうということである。国内便で中部国際空港から那覇や千歳までだいたい2時間くらいと考えると、全然無理せず行ける時間である。こんなの、地元の岐阜から車で東京まで行く方が苦行なくらいだ。いつかは台湾も行ってみたい。そして時間を待たずに部屋が明るくなった。CAさんから餌付けされる時間である。順番にお弁当が配給されていった。恒例の"Beaf or fish?"を期待していたが、選択の余地などなかった。そのメニューは、ロールパンに卵焼き、チキンに、ヨーグルトと一口フルーツ各種という、洋風の朝食であった。ドリンクは日本茶にしておいた。思っていたよりおいしく、力がみなぎってくる気がした。日本茶もお替りした。睡眠時間は短いものの、アドレナリンが分泌されたかのように体が軽く眠気もなく、元気な状態になってしまった。そんな万全な状態で予定時刻よりも少し早く着陸した。まだタイ時間で5時前なので暗くてよくわからないが、確かにここはタイである。降りるときは左隣のおじさんと少し会話をした。どんな用事で来たのかと聞かれたので学会発表があると答えた。聞き返したら、彼は出張のようだった。おそらく、月曜日からの用事で、前日入りしたかったのだろう。僕と同じようなものだ。そして、荷物を回収し、忘れ物が無いかをチェックして飛行機を降りた。今度こそあの右隣のアジア人とはお別れだ。今後に度と会うことはないのだろうと思うと悲しいが、連絡先を交換するほどでもなかったのだ。ここから先は、日本語が通用しない。日々訓練してきた英語力が試される時だ。
入国審査
飛行機を降りた瞬間から蒸し暑さがやってきた。これに備えて飛行機にはそんなに厚着せずにいたのだが、もっと薄くてもいいだろう。その服はスーツケースに入っているので荷物回収をスムーズに実行したい。その前に入国審査を済ませる必要がある。長い長いベルトコンベアの途中でCRAZYと再会した。いつも通り元気そうだ。彼は僕以上に出入国には慣れていると思うのでわざわざ言うまでもないが、君はビザも必要だと言っておいた。ケニア人なので入国にはビザが必要である。その後看板の指示通りに移動し、列に並んだ。手順はよくわからないが、日本人はパスポートと搭乗券を持っていればどうにかなるだろう。CRAZYは別のゲートに呼ばれていたのでいったん離れて、僕の番が回ってきた。パスポートを見せ、その後半券を出そうかと思ったが、ウエストポーチの奥底の方にクシャクシャになっていて取り出しにくいだろうなということで急遽領収書のコピーを出したらそれで許された。若干慌ててしまったが、無事入国できたので良かったのだが、問題はCRAZYの方である。別に怪しいものを持ち込んだりはしていないだろうが、審査が通るのが非常に遅い。結局15分くらい待った。ゲートを抜けて合流するや否やスマホの画面を見せつけてきた。そこには、Google翻訳で日本語訳された、「ここは最悪だ、差別のレベルが非常に高い」と表示されていたのだ。こればかりは仕方がないので怒ることではないが、彼は審査の厳しさに非常に腹を立てていたのだ。しょっぱなから人生最悪の国認定してしまったらしい。その後僕はトイレで着替えて日焼け止めを塗り、虫よけスプレーもかけた。CRAZYにも使うかと聞いたが、必要ないと答えた。確かに、皮膚は日本人より強そうである。次にすべきは両替だ。タイ国内では基本的にクレカで買い物しようと思っていたが、屋台も多いので現金もあった方がいいだろう。ちなみに、出発前の時点でHKDから330バーツは受け取っていた。数年前の学会に行った時の余りらしい。その時点では1バーツ=3円だったらしいが、現時点では1バーツ=4円程度だ。たった数年度そこまで変わるのかと驚きながらも、手持ちの日本円2,000円をバーツに替えた。空港内で変換するのがいちばん手数料が少ないらしいので、ここでの軍資金調達がカギとなる。CRAZYにも現金の変換を促したが、「オカネガアリマセン」の一点張りだった。確かにクレカでおおむね対応できるだろうが、現金は使うつもりがないのだろうか。ひと悶着起きたが、とりあえず100バーツだけ小遣いとして持たせた。次はsimカードだ。これも僕は1週間使い放題の物を用意しておいたので空港内で取り換えるだけで解決したが、用意の甘いCRAZYは未解決問題だ。空港内で売っているものでいいから3日分契約して来いとこちらが言っても伝家の宝刀no moneyで乗り切ろうとする。宿泊するホテルや学会会場内・空港ではフリーwi-fiが使えるとはいえ、それ以外は無しで乗り切ろうというのか。CRAZYが折れてsimを買おうと店に行き、並んだふりをして帰ってくる。買ってこいと突き返す。これを2,3度繰り返し、やっと購入したところで "Are you happy?" と煽ってきた。これには非常に腹が立ったが、一応解決はした。この煽り文句はイラついたとはいえ汎用性が高そうだとも勉強になった。空港でやることは終えたので外に出ようということで、空港の出口のドアを開けた。
その瞬間から熱気と湿度が再び我々を向かい入れた。そう、この外は完全にタイである。日焼け止めも虫よけも無かったらここでダウンしていたことだろう。2人ともスーツケースを転がしながら駐車場を横断していった。何百台と停まるタクシーの数々。荷物を預けるためにホテルへ向かおうと思っていたが、その交通手段は当初僕からは電車を提案していた。ホテルの近くに駅があるし、安いからだ。しかし、この大量に停まっているタクシーを見てCRAZYはタクシーで行こうと言い始める。お金が無かったのではないのか。いろいろと意味が分からなかったが、タクシーの運転手に運賃を聞いたらやっぱり電車の方が安そうなので駅を探すことにした。時刻は午前の7時前だというのに、もう既に30℃近くある。まだ日が出てきたばかりではないか。そう思いながらもGoogleマップをもとに外から駅を探した。いかついスピードで走る車の合間を縫って道路を横断した。2人とも元気はあるので車はよけられるだろうが、スーツケースがあるので無理はできない。危険な道路横断だ。謎の大きな建物に大量の自転車が止まっている施設を見つけた。よくわからないが、記念にそれぞれ写真を撮った。もう汗だくだ。離陸前に買っておいたペットボトルの水とコーヒー1本ずつがしばらくのライフとなる。広く、危険で舗装されていない道を2人で歩き、目的地とされる場所に近づいていくが、一向に到着した感覚がしない。ただただ広い土地があるだけに見えるからだ。これはどういうことなのか。駅とされる場所に到着したが、そこは駐車場だった。この時間はときどきバスが出入りする程度で、電車の要素は全くない。もしやと思い、近くの警備員さんに尋ねたら、駅は真下だと教えてくれた。電車は空港内の地下にあるということなのだ。やらかした。仕方がないので危ない道をまた引き返すことにした。
タイの景色
またタクシー地帯を通り抜け、空港の中に戻った。よく見れば電車の駅への道を示す看板があったのだ。なんだ、やっぱり地下にあるじゃないか。ということで地下に降りた。降りるときはエスカレーターというよりかは、長くて緩い坂のベルトコンベアだった。少しゆっくりできる。CRAZYは自分のスーツケースに腰かけてニヤニヤしていたので、「息子が見たらどう思うだろうな」と皮肉交じりに行っておいた。CRAZYはこれだけ周りを振り回すわんぱく小僧だが、それでも故郷に妻子がいるので立派な人の親である。いい年しているが、僕からしたらその息子と同じくらいの精神年齢の子どもの面倒を見ているかのようだった。
駅を発見した。スワンナプーム国際空港駅だ。この駅は「エアポートレールリンク」という線にあり、目的地がシーロム周辺なので途中で乗り替える必要がある。改札の通り方が分からなかったのでCRAZYが駅員さんに尋ねた。ここで2人分の値段を払えば通過できるので、すぐに1人45バーツずつ払った。これは降りる駅によってどんどん値段が加算されていくシステムになっており、おそらく終点まで行く値段だろうなと思ったが途中で降りても問題ないだろうということで気にしなかった。もらったのは500円硬貨くらいの大きさの、黄色いコインだった。これが日本でいう切符のようなものだろう。改札のセンサーにかざすとゲートが空き、ホームへ行くことができた。ここが始発なので電車が止まっている。もう座る場所はすべて取られていたが、東京のようなおしくら饅頭にはならず、立ったままとはいえ快適な空間をキープできた。そして扉が閉じて出発だ。乗り心地は期待していたよりもよく、なめらかにレールの上を走っていった。徳島よりも快適だ。レールは出発して間もなく地上へと突き出した。空港の駅以外は地上、いや橋の上を通る路線のようである。空港の周りは比較的緑の多い土地が多かったが、ときおり住宅地も見受けられた。青い屋根ばかりの家の群れだったり、赤っぽい建物が多かったりと日本とは違う生活空間が展開されているように感じられた。もちろん生えている植物は熱帯系の濃いものばかりである。余ったところにクソデカ看板が設置されているのは地元の田舎と大して変わらないが、1つ目、2つ目の駅を過ぎたあたりから金ぴかに輝く寺院が存在し始めた。これがタイの景色だ。当たり前ではあるが冷房が完備されており、電車内破壊的すぎて眠くなりそうだった。とはいえ日本以外の国で社内で睡眠しようものなら何かしら掏られてもおかしくない。タイの治安はいかほどなのか計り知れないが、ここは頑張って目を覚ますことにした。A6と表記されたマッカサン駅で乗り替えだ。改札ゲートには自販機のような小銭を入れる部分があったので黄色いコインを入れてみたら無事通過できた。「MRTブルーライン」という線に乗り替えなのだが、ペッチャブリー駅というところまで歩いて再度改札を通る必要があるのでそこまで歩いた。そのペッチャブリー駅にはなんとコンビニのローソンがあった。海外旅行中に日本人に出くわしたかのようなテンションになった。君、こんなところにもいたのか、という具合にだ。でもどちらかというと隣のパン屋さんの方が気になったのでCRAZYに
「ここで少し食べたい」と言ったら、
「オカネガアリマセン」の一点張りで会えなくスルーすることとなった。
次の改札はカードが出てきた。線によってコインだったリカードだったりとユニークで面白い。最後は必ずゲートに吸われるので持ち帰れないが、あったら面白い土産話になるのになぁと少し悔しかった。サムヤン駅で降り、ここからは歩いていける距離になった。僕のホテルの方が近いのでまずはそちらに2人とも行くことにした。主にGoogleマップを頼りにするのだが、太陽の方角から計算しても辿り着けそうだ。建物の文字はタイ語ばかりで全く読めないが、道は整備されていてわかりやすい。定期的に金ぴかの寺院が現れるので記念写真を撮りながら目的地へと向かった。金色のゾウさんもオブジェとして君臨している。マクドナルドやスターバックス、ケンタッキー・フライド・チキンといったおなじみの顔ぶれは当然ながら存在していた。しかもけっこうな頻度で出没している。どんな味なのか、日本とそんなに変わらないのかと気になったが、ここまで来て日本でも食べられるものを食べるのはもったいない気がしてパスした。その代わり面白そうな喫茶店があったので入ってみようとCRAZYに言ってみたが、必殺の呪文「オカネガアリマセン」でまたもやスルーとなった。どうやら昼食までは食事はお預けのようだ。それにしても暑い。1kmもない道のりが無限に遠くなる気がした。と思っていたらそれらしき建物を見つけた。中に入ってみたら一部の電灯がついていない、薄暗い廊下だった。何か店になっていそうな部屋はいくつかあったが、どれも閉まっていた。ここが本当に自分の泊まるところなのだろうかと迷っていたら、清掃員の方がいたので訪ねてみた。その人が言うには、この建物も合ってはいるが、エントランスは2階だということらしい。親切にもエレベーターで2Fまで案内してくれたのでエントランスまでたどり着けた。なんと涼しいことか。猛暑の照り輝く道に蒸し焼きにされてきた我々にとってここはまるで回復ポイントのようだった。ラウンジのような来客用ソファもいくつもある。ここまででけっこう疲れていたので腰かけることにした。なんと座り心地の良いことか。ふかふかすぎてこのまま安眠モードに移行しそうだったので深くは座らずにほどほどにしておいた。おそらく、自分のように汗だくで来た人たちが寝転がっているのであまり気良くないだろう。研究室にあるベッド12月と3月にある大掃除の時にしか洗濯をしないが、ここのソファも負けず劣らず汚いことだろう。汚れというのは、見えないところで湧き出てくることも多い。それ以外にも、このホテルはエントランスを見渡すだけで高級そうなところだった。レストランにバーまである。自分自身初めての海外旅行なのでホテルくらいは安心できるところに泊まりたいということと、どうせ宿泊費が研究費から出るならその最大額ギリギリで泊まれるところにしようということでここにしたのだ。朝食・夕食はつけていないプランだが、もうこの時点で最高評価である。涼しさと快適なソファのおかげで少し元気を取り戻せたので受付でチェックインを済ませた。この時点でまだ時刻は10:30頃だが13時になるまで部屋のカードキーはもらえないということだった。それでもデポジットまで払ったのでここのサービスは使えることになる。僕の荷物を預けておくことにした。その横でCRAZYはここで安く泊まれないか交渉をしているようだった。そんなことを尋ねても、予約の段階で高かったものが当日泊でもっと安くなることなどまずないだる。交渉はうまくいくはずもなかった。
CRAZY TIME
今ここにいる僕のホテルは、シーロムの通りにある、明日の学会会場から600mで道一本の好立地だ。対してCRAZYが予約したところはここからもっと西にあるところである。とはいえ2km以内なので全然歩いて行ける。CRAZYの荷物も預けたいのでそちらに向かうことにした。またもや猛烈な暑さの中をかぎ分けるのである。南の方角に歩いていると、そこでは多くの人が路上で物を売っていた。こちら側も向かい側も食べ物や衣服が数多く売られている。中でも我々の目を引いたのが小道具を売っているお兄さんだった。ちょっとしたぬいぐるみやアクセサリーなど、観光客がお土産にと喜びそうなものばかり並べていたので2人して止まってみていくことにした。なんともかわいらしいグッズばかりだ。早速だがここでお土産を買ってしまおうということで各々気に入ったものを買った。僕はゾウさんのぬいぐるみ2つとゾウさんの小銭入れを買った。どれも20バーツという破格の安さである。これがこの国の物価ということなのだ。また、4個入りのマグネットをCRAZYとお金を出し合って2個ずつ分ける取り決めをした。彼は彼で息子に物をあげたいのだろう。彼は基本的に問題行動ばかりしているが、時折息子思いになるところはやはり人の親だ。もう少し進むとなんとコンビニのセブンイレブンもあったのだ。しかも日本の都会のコンビニのように、建物の一角に狭苦しく存在しているのである。ちょうど2人とも飲み物が切れてきたので新しいものを買うことにした。店内は冷房が効いていてむしろ寒暖差で鳥肌が立つくらいだった。やはり日本とは物価が全然違う。十数バーツもあれば飲み物なんて買えてしまう。幼少期の自販機よりも安い。その商品も思っていた以上に日本語で書かれたものが多く、日本人観光客の多い年なのだなと改めて実感した。僕はその日本語で書かれたヤクルト飲料と、少量のドライマンゴーを買うことにした。どうせこの後どこかしらでまたドライフルーツは口にするのだろうと思いながらも、空いた小腹の面倒と味見をしたいスケベ心に押されて選んだのだ。安いしいいだろう。先にレジに並んでいたのはCRAZYの方だった。ジュースを1本持ってレジに並び、支払いをクレカで済まそうとしていたが、
「300バーツ(=1200円くらい)以上でないとクレカは使えない」
と言われ渋々現金で支払っていた。タイ国内での支払いをすべてクレカで済ませようとにやついていたCRAZYにとっては痛すぎる出費だ。それを見て僕も100バーツ札を崩すことになった。店を出たらコンビニ前にATM的な機会が設置されているのを見かけた。そういえば、ここに来るまでに同種の機械はいくつも見つけた。何かあればここで現金を引き出せばよいのだろう。大事をとってCRAZYにはいくらか現金を持っておくことを勧めたが、またもや
「オカネガアリマセン」でアドバイスを水に流された。
地図を見る限りCRAZYのホテルはこの大きな川を越えなければいけないようである。日本の皮に比べて横幅が広く、水の流れも遅いため茶色く汚い。この川こそが有名なチャオプラヤ川だ。こんなのに足をつかれば聞いたこともないような伝染病に体を蝕まれること間違いなしだろう。船を使って渡ることができそうだ。面白そうなので乗ってみたいという気持ちはあったが、オカネガナイCRAZYのために無料で川を超える方法も見つけておきたいということで、川の上を大きくまたぐ橋を使うことにした。歩いて渡るにはけっこう長い橋だった。補導があるのでそこを安全に歩くのだが、車道を飛び交う車やバイクは野蛮だった。よく見るとホンダやイスズなど日本の製品が多かった。ちなみにタイではバイクのことをホンダと呼ぶこともあるらしい。橋の上から記念写真を撮ったが背景はドブより汚い濁った茶色である。今の自分なら淀川をクロールで横断できそうだ。暑さに悶えながらも橋を渡り切ることができた。
車道は少し高いところを通っていたので階段を下りて歩行者ルートを通った。川沿いには屋外ジムや公園があり、さらにはフットサルに興じる若者たちまでいた。元サッカー部の僕からすれば一緒に混ざってやりたいという気持ちも湧き出たが、こんなクソ暑い中本当にやりたいのかとすぐに冷静になった。確かに、真夏の練習中に何人の部員が倒れたことか。これを思い出せば冷静になるのに時間は要さない。川の向こうも似たような世界が広がっていた。路上ミュージシャンもいたが、同じレジャーシート上に寝転がる女の子はニンテンドースイッチに夢中になっていた。子守のために連れ出しているのだろうが、全く興味を持たれていないのには少し吹き出してしまいそうになった。地図の確認のために歩みを少し止めていたりすると路上バイク「トゥクトゥク」に乗ったおじさんから「乗っていくかい?」とよくナンパされるが、あと少しなので歩くことにした。こうしてCRAZYのホテルにも自分たちの足は運んでくれた。CRAZYがチェックインを済ませる間は近くのソファに腰かけて待っていた。順番を待っている間、またもやCRAZYは近くにいた男女に話しかけていた。"How are you? "からはじまり、楽しく会話していた。彼らはオーストラリアから来た人だと言う。その後は思っていた以上に外が暑いだというようなありきたりな会話で盛り上がり、すぐにチェックインの順番が回ってきた。こちらはもう部屋のカードキーを貰えていた。部屋に行けるならそこに荷物を置いていきたいということで一緒にCRAZYの部屋まで向かった。エレベーターに乗る前、その向かい側に青く透き通ったプールが見えた。
「ワタシは時間がないのでプールへ行きません。」
とCRAZYは頑張って日本語で伝えてきた。それもそのはず、いまだに明日の発表資料が完成していないからである。これはすなわち、発表資料を事前に教授に打ち合わせていないということでもある。それは怒られるのも無理はないだろう。
エレベーターで上がった階はまだ掃除中だったが、部屋に入れるなら入りたい。渡されたカードキーを使って開錠しようとするがなかなかうまくいかないので、清掃員に使い方を聞いたら開け方を教えてくれた。差込口にカードを一瞬させばよいのだ。僕も部屋に入ってよいとのことだったので入室した。なかなかに良い部屋だ。赤色ベースの絨毯に見通しの良い景色。大きめの現代アートが額縁に入れて飾ってあり、CRAZYは気に入っているようだった。ここまで来て疲れたので休憩したいとCRAZYは言い、ソファに横になった。寝すぎてもよくないので30分休むのだが、その間僕は暇になるので冗談でベッドを使わせてくれと言ったら本当に使わせてくれた。あまりそういうのは気にしないタチなのだろう。念のため汗拭きシートでさっぱりしておいた。ついでにスマホも充電しておいた。数分くらいゆっくりとしていたら、CRAZYのスマホに電話がかかってきた。ゆっくり休んでいたCRAZYが嘘のように元気になり、饒舌に話し始めた。会話の仕方から察するに息子と話しているのだろう。タイ時間で現在は11時台なのでケニアはその4時間遅れの7時台だろうか。早朝から父親と会話しようとしているのが健気でかわいらしい。僕もその息子と少しだけしゃべった。その後もCRAZYはウキウキと電話していたが、僕は30分間休んだ。頭も体もすっきりしたところで再出発だ。
現地の飯
荷物も軽くなったところで食事処を探すことにした。前述のとおりマクドナルドなど有名なチェーン店ならどこにでもあるが、ここまできたなら現地のタイ料理を食べてみたい。何が有名なのか、下調べが浅かったのは要反省だが、ここまでの道もそうだが歩けば飲食店はいくらでもあった。バンコクは人口の多い首都なのでそのあたりに関しては心配いらないだろう。ただ、Googleマップを見たところでタイ語でしか書かれていないのでどこが何の店なのかわからない。実際にその店の前にある展示物やメニュー表などを頼りに飲食店かどうか、何が食べられるのかを判断するのだ。ドリアンや謎のフルーツが外で売られていてユニークだ。路上で買い食いでもいいが、ここから午後も長いのでエアコンの効いた涼しいところで食べたい。1ついいところを見つけたのでここはどうかとCRAZYに提案した。CRAZYは店の入り口から定員さんに少しやり取りをし、不満そうに出てきた。ここでは食べないらしい。どうしたものかと聞いたらどうやらクレジットカードが使えないとのことだった。そうなるならなおさら現金を持っておけと忠告したが頑なに断ってきた。歩けばATMはそこら中にある。そこでやれと強く言い、CRAZYは日本円を変換しに行くが、何の成果も挙げずに戻ってくる。うまくできなかったらしい。それでも変換しようとしたことに対して納得してほしかったのか、
"Are you happy?"
と煽ってきた。さすがに腹が立ってまたもや喧嘩になった。彼は日本に留学に来てからは働いておらず、お金が厳しいというのはよくわかる。怒ってはいけないと思いながらも自分の都合でこちらが食べたかったこと、やりたいことを封じられるのは不満が残るので勘弁してほしいという、複雑な心境に立たされていた。前半の徳島一人旅がいかに気が楽であったことか。特に彼とは性格が真反対なのもあってこういうアウェー戦ではイレギュラーに対して反発が起こりやすくなるのも仕方ない。仕事上の相性は良くてもプライベートでは馬が合わないのだろう。支払う手段がないのはどうしようもないので、ここの店は諦めることにした。
その道中、一匹大きい犬を見かけた。僕の腰にその犬の胴体があるくらいの巨大な体だ。ホルスタイン柄だったので野良牛と呼ぶことにした。遠目に見れば子牛である。そういえば、高校の地理の授業で先生が、アジアの暑い地域では街の中を野良犬が平然と闊歩していると話していたのを思い出した。日本でもなくはないとはいえ、ここまで大きく育っていると恐怖すらある。こいつに嚙みつかれたら狂犬病にでもなるのだろうか。もともと犬は苦手なので、通り過ぎた後も十分遠くなるまでは自分の警戒心を強めに設定しておいた。しかしその野良牛はお皿に入った水を飲んでいるところだったので、誰かが面倒を見ているのだろう。ちなみに周りの現地人は気にも留めていなかったのでこの光景は珍しいことではないのだろう。彼らにとっては生活の一部なのである。
もう少し歩くと、またもやいいお店を見つけた。CRAZYがお店に入りまた質問をするので、今度はその様子を見ていようと近くにいたら、
「VISAツカエマスカ?」
と日本語で聞いていた。店員さんが首をかしげるので僕が
"Is a cresit card available?"
と英語で補足したらYesと返答がきた。なんで僕が英語に通訳しているのか。CRAZYにとってアジアでは日本語が共通言語だとでも思っていたのだろうか。どちらかというと彼の母国語の一つである英語の方が伝わる可能性は高いだろう。英語の方が伝わると思うと彼にアドバイスしたが、あまりわかっていないようだった。英語での意思疎通のためにCRAZYを連れてきたつもりだったが、これでは完全に僕が試されているではないか。とはいえ、慣れない言語でも会話ができれば楽しいし自信がつく。お店はガラガラで店員さんは客席でくつろいでいたが、営業中なので我々2人を歓迎してくれた。
メニュー表を開くと、タイ語の他に英語でも書いてくれていたのでわかりやすかった。ちなみにVISAを使える店は店頭に貼りだしてあったりするのでわざわざ聞かなくてもいい場合が多いが、あえて英語で会話することで、店員さんが英語でやり取りできる人なのかを判別することができる。これはつまり、観光客に慣れているかどうかを測ることができるのだ。もちろんクレカが利用可能という時点で観光人に目を向けていると推測できるが、店に入ってからこちらの意思が伝わらないのはまずい。この店はここの課題はクリアしていた。この店はタイ料理屋だが、その中でも特に米を使ったものが多かった。これがうわさに聞くタイ米だろうか。炊くとおいしくないと地理の授業では聞いていたが、実際のところどうなのだろうか。CRAZYは牛肉が好きなので牛入りのものを注文していた。卵は抜きと言っていた。それに対し僕はエビペーストの鶏肉入りフライドライスを注文した。写真で見ておいしそうだと思ったからだ。卵は有にした。おそらくチャーハンのようなものなのだろう。料理が提供された。これが現地の味というものだろうか。縦に切ってある唐辛子が丸ごと入っていたのでとてもスパイシーだが、ごろっと入った鶏肉と卵、エビの旨味とスパイスの数々がいい味を出していた。タイ米も炒めれば美味しいということだろう。おそらく日本人受けはいいだろうと思った。CRAZYの方もおいしく食べていた。先ほどの店はスルーしたものの、ここでも満足という感じだ。ただし、やはり辛いものは辛いので顔から火のように汗が出る。日本と違い水もおしぼりも提供されなかったので、持ち込んだペットボトルの飲み物を飲み、ハンカチで汗を拭いた。とはいえ水分が足りないのでお水を注文したら瓶に入った500mlの飲料水とグラスを2つくれた。意外にも人生でボトルに入った水は見たことがないので新鮮な気分になった。飯もうまいが、暑い日に飲む水も負けず劣らずおいしい。路上の物売りからは僕がCRAZYの分も買ったので、こちらではCRAZYに2人分払ってもらった。満足感とともに店を去った。
巨大施設
午後の観光は自分たちのホテルから遠くないところで行けそうなところということで、アイコンサイアムに行くことにした。空港で出会った男性に教えてもらったところの一つだ。歩いて向かったのだが、道中にも様々な寺院が存在していた。2人ともタイ語も仏教も歴史にも詳しくないのでありがたみがよくわからないが、金ぴかで何か凄そうということだけはひしひしと伝わってきたので、お参りしてみたくなってしまった。中に他の観光客がいたので大丈夫だとは思うが、本当に入っていいのかわからなかったので近くを通る人に聞いてみたら問題ないと言われた。実際に入ってみるとお供え物の裏からねこが現れた。ここに来たことを祝福してくれたかのような喜びだ。しばらくこのねこを追いかけ、余すことなく写真に収めることができたので、お参りした意味は十分にあると言えるだろう。ここの他にもいろいろ寺院に寄ってみた。時折オレンジ色の服を着た修行僧もいたので、本気度の違いを見せつけられた。
こうしてアイコンサイアムに着いた。大きく「UNIQLO」と掲げられた看板の場所を指していたので、本当にここで合っているのか、これは果たして観光地なのかと気になったが、それはそれで楽しそうなので入ってみることにした。入口は2Fにもあるようだが、さっさと涼みたいので一番近い入り口から入った。中はお土産販売店や衣類の店などがぎっちぎちに詰まった、巨大なショッピングモールだった。その大きさと言えば日本でよく見るイオンモールの2~3倍はあるとみてよいだろう。田舎者にとっては近くにそういう施設しか享楽が無かったのでこういうところの楽しみ方はよくわかる。高い階でソファを見つけてまったりと下を見下ろすのがいちばんの楽しみ方だ。とはいえ元気のあるうちは買い物をしてもいい。1階には特にお土産用の物が多く売られていたが、ドライフルーツ屋さんが目に入った。いろいろな種類を手に取って見ていると、店員さんが、
「コレハチョットスッパイデス」
と日本語で説明してくれた。観光客慣れしているということだろうか。少しは日本語が話せるらしい。僕を日本人だと認識できるようだ。隣にいるのは生粋のアフリカ人だが、そこは店員にとって疑問に感じるところではないのだろう。調子に乗ってベラベラ日本語でまくしたてると応対できず言語マウントのようになってしまうかもしれないと思い、無理のない英語で話すことにした。ちなみに、すっぱいと言われたものはマンゴーだったが、同じマンゴーでも味付けが複数種類あるようだった。味見もさせてくれた。まるで京都の漬物屋に来ているかのようなぜいたくだ。味見だけで一食賄えるかもしれない。そんなに多くを頬張ることはせず、自分の買いたいものを決めた。バイト先用のお土産としては王道のドライマンゴーがいいだろう。それと、研究室にぶちまける用のものも必要である。僕とCRAZYから2袋買うことにした。それも、皆で分けやすいよう個包装のものがいい。僕からは甘いマンゴーのキャンディ、CRAZYからは謎の飴を買うことにした。この飴は味見をしていないのでどんな味かわからないが、袋の裏を見ても説明が一切なかったので何者かわからないままだった。こういうドキドキ味のお菓子は海外土産の定番と言えるだろう。他にもパインやバナナなど南国系のフルーツが悉く水分を抜かれ乾ききっていた。店を離れる際は日本語でありがとうと店員さんに伝えた。他にも酒屋があったりしたが、どれだけ珍しいものがあっても持って帰るのが大変なので買わないと最初に決めておいたので見るだけにした。
服を買おう
上の階へ。エスカレーターを上がった先の2Fは品出しされる前のような、段ボールで山積みの状態の店が窮屈に存在していた。人がぎりぎりすれ違える程度の細い通路だけ残し、2Fにはどこにも入るなと言わんばかりに3Fへのエスカレーターへと誘導されたのだ。3Fでは、見える景色が更新されたかのように思えた。日本でよく見る大型ショッピングモールと言えば、吹き抜けのような形になっていることが多かったりするだろうが、ここは違った。2Fまではそのようになっているが、3Fで一度また広い床が広がっているのだ。そこから見上げると、また巨大なショッピングモールが広がっていた。もしかしたら入口のところは地下だったのかもしれないとすら思ったが、この旅においてはここが何階なのかというのはどうでもいい※1。そこに拘っていたのは大塚国際美術館のときくらいだ。そして、中に格納されている店々は、見渡すばかり衣料品売り場だ。UNIQLOにH&M、無印良品など、一生着ても着足りないくらいの衣類が売られていた。ここで服なんか見てどうするつもりだと思う人は多いかもしれない。しかし、ホテルにあんな豪華なプールを見てしまっては、とても泳がずにはいられないのが人の性というものだろう。今のところCRAZYのホテルでしかプールを拝見していないが、僕のホテルにもプールはある。なんなら、予約の段階でそのことを知ったからこそ選んだまである。夢にまで見た南国リゾートのプールだ。先ほどの段階では軽く書き流してはいたが、本当はプールを見た瞬間内心ブレイクダンスをするかのごとく舞い上がっていたのだ。それなのに泳ぐのにふさわしいパンツを持ち合わせていない。ここまでの旅は着替えを一組だけ持ってきておいて、毎日交互に着てもう片方を選択・乾燥させると言った形でやりくりしていた。非常時のために使い捨てパンツもあったが、素材があまり好きではないので非常時だけにしておきたい。いまこそその非常時だ、履き慣れたパンツを水着代わりにしろというのは暴論だ。海外で捕まったらいろいろと大変だろう。大人しく水着を買おうと思ったが、価格は安いものでも2,500バーツ(=10,000円くらい)あって大きな買い物になりそうだった。確かに、競泳用水着はすごく高いと耳にしたことがある。本格派ではないものであったとしてもバカにしてはいけないのだ。それならUNIQLOでちょうどいい短パンでも見つけてこればいいではないかと思い、そちらに寄ることにした。内装は日本の店と同じような感じだった。価格帯も円換算で日本と同じくらいなので、相対的にタイでは高級店のような値段に見えてしまう。中にはヒートテックまで展示されているのを目撃してしまった。中身が同じと言っても同じすぎではないか。こんな暑い地でいったい誰が着るというのだろうか。もちろん寒い地方に出かけたい人にとってはありがたいことだろう。とはいえ需要の狭さに対してショーケースが大きすぎる。タイでは厚着というのはどんな高級ブランドよりも魅力的な衣装だということだろうか。もしかしたら彼らはモコモコのダウンを着てマフラーを巻き、凍えながら外を歩くのが憧れだったりするのかもしれない。そう考えれば理想の一部としてヒートテックが飾られていても納得できるだろう。思うことはいろいろあったが、今の自分には必要ないのでスルーした。短パンも見つけた。だいたい700バーツくらいだろうか。他の店ならもっと安いかもしれないということでいったんここでは買わないことにした。CRAZYは最初から何も買う気はなさそうだ。何故なら泳いでいられるほど彼には時間が残されていないからだ。せっかくここまで来たのに夕方以降は残業をしなければいけない。さっさと発表資料くらい作ればよかったところを、彼はいったい何をしていたというのだろうか。そうなれば僕が一人で楽しむだけである。それにしても外は灼熱なのに施設内は涼しいという極端な温度差もあってか、緊張感が緩和し、深めの眠気がやってきてしまった。緊急省エネモードに体が切り替わり、座れる場所を無意識に探していた。CRAZYには他の店がないか探そうと伝えて歩き回るのである。上下の移動はエスカレーターだが、疲労がたまっているので一苦労だ。やっとの思いで空いているソファを見つけ、休憩のつもりで腰かけたら、少しの間転寝してしまったようだ。その様子をCRAZYはニヤニヤしながらパパラッチしていた。おいやめろと止めてもよかったが、そこまでする体力も残っていない。研究室のグループラインに共有されても構わないと覚悟しながら、今はこの眠気を取っ払うことを優先した。5分も経っていないが、ちょっとウトウトすれば気分はリフレッシュできた。ちなみにCRAZYも休んだようだが眠くはなっていないらしい。さすが、暑さに強い体質なのだろうか。それとも国際便に慣れていて、飛行機で十分寝たのだろうか。相変わらず元気である。6歳の息子と精神年齢は変わらない。まるで子守をするかのようだ。
無印良品に入った。内装も商品も日本の物と変わらない。何なら、製品の説明が日本語でも書いてある。本当に現地人向けの店なのだろうか。僕としてはありがたいのだが、ここで見たいのは短パンだけである。店内を隅々まで見て回ったら短パンは見つかった。ここもUNIQLOのものと似たような素材で、同じく700バーツだった。価格競争は均衡状態にあるのだろうかと思い、ここで購入することにした。クレカも使えた。他にもタイで着ればちょうどいいようなシャツもたくさんあったが、荷物になるのでこれくらいにしておく。他にもLOFTだったり寿司屋だったり、観光客にも現地人にも嬉しい店が揃っていた。CRAZYがここにきてようやく焦り始めた。発表資料を完成させたいらしい。すべてを見て回ることができなかったが、引き返すことにした。
汚い川
上の階から出ると、謎のオブジェが外にあったので記念撮影をしておいた。CRAZYは向こうだと言って歩道橋を渡ろうとしていたが、最短で買えるなら渡らない方がいい。とはいえ行きに通らなかった側の道なので面白そうだと思い、そちらを歩くことにした。確かに、道路から見て左側を歩いていると路上のタクシーに乗らないか?としつこく付きまとわれるので右側を歩くのは手かもしれない。またもや謎の寺院を見つけた。ここはここで名所の一つらしい。結局もっと歩いた先の歩道橋で横断しなおすことになったのだが、その歩道橋から手が届くぐらいの距離に、電線や通信線などが何十本と通っていた。ゴムで被覆しているとはいえ、いくら何でも危なすぎではないだろうか。それに線が多すぎる。何が何の線なのか業者はしっかり理解しているのだろうか。まるでデスクトップの並ぶ会社の事務所のコンセント回りのように線が混雑していた。これ以上この電線達を観察していると触りたくなってしまうと考え、もう見ないことにした。渡った先のセブンイレブンで飲み物を買い、ホテルへと向かった。また川を渡る必要があるのだが、今度はせっかくなので船に乗ることにした。CRAZYのホテルは川を渡らずに行けるが、明日の発表会場を下見したいそうなので途中までは同行することになった。相当お金がかかるのかなと覚悟はしていたが、向こう岸にわたるだけならたったの5バーツでいいということだった。船に乗っていろんなところをめぐるものもあるようだが、今回我々に用があるのは向こう側だ。ちょうど向かい側からの船が到着したところだったのでそんなに待たないだろうなと思っていたが、けっこう待たされた。時刻表など最初からあてにしていないので良かったが、急ぎなら最初から橋を歩くかタクシーに乗った方がいいのかもしれない。ちなみに、船の大きさはそこそこあるが、川そのものが大きいので無理もないだろう。CRAZYにこれはshipかboatか聞いたら、boatだと答えた。確かに、フェリーや輸送船のような規模ではない。遠くから船を見ればゆっくり動いているように思えたが、いざ乗ってみるとそれなりにスピードは出ていた。他の船もそれぞれ独自のペースで川を泳いでいる。汚い川とはいえ景色は新鮮で気持ちの良い船旅だ。四国の鉄道よりも揺れが少ない。雨のあまり降らない時期で本当に良かったと思うばかりだ。
船から降りて少し歩いたところに、またもやあの路上ライブ夫婦がいた。日夜ずっと歌い続けているということだろうか。相変わらず子どもは興味なさそうにスイッチに夢中になっていた。帰り道は数時間前に通ったところと同じで、路上の物売りがいたところだ。改めて見回しても、やはり屋台が多い。CRAZYはこれまで散々お金が無いだとか忙しいから服を買わないだとか騒いでいたが、暑いのでTシャツが欲しいと屋台周りを練り歩いていた。僕もサングラスや帽子が安く売っていたら買ってもいいかなと途中までは同行していたが、CRAZYがあまりにも自分勝手に動き回るので途中から見放して単独行動することにした。どうせここで買っても家で荷物が増えるだけだなとこの時点で賢者モードになってしまったので、服は買わなかった。短パンに関しては、帰国後も新しい運動着として使えるのでこれは無駄な買い物ではない。道中おいしそうな焼き鳥の屋台があったので、買うことにした。いくらなのか店員に英語で聞いても英語では答えてくれず困っていたら、20バーツ札を取り出してこれだと示していたので、20バーツを出してみたら1本買うことができた。若鳥の照り焼きのような見た目でとてもおいしかったが、少し骨のような固い部分もあった。本当に1羽丸焼きにしているということなのだろう。多少骨っぽい点を除けばほぼタレ味の焼き鳥だったが、何の鳥なのだろうか。英語で聞いてもわからないのでその場から離れてただひたすらに食べ歩きを楽しむだけにしたが、スズメとかだったりするのだろうか。なんでもいいが、そろそろCRAZYの心配でもしようか。もう僕は道路を横断した後だったが、奴はまだ向こう側にいた。彼のやりたかったことはできたのかはわからないが、こちら側に走ってきた。合流はしたものの、今日のところはCRAZYとお別れだ。彼には早いところ発表資料を完成させてほしい。明日の発表は午後からなので、その午前中にも一応時間はとれるが、あまりその時間の仕事量を当てにするのは良くないのだろう。
高級ホテル
預けていた荷物を回収し、ホテルのキーももらった。僕の部屋は12階だ。エレベーターまではホテルの人が案内してくれた。なんというおもてなしの精神だろうか。こうして自分の部屋までたどり着いた。カギの開け方はわかる。カード挿入口にシュッと一瞬入れればいいのだ。CRAZYのホテルで学んだことである。そして部屋に入って一つ目の感想。高級すぎないかと思わんばかりに興奮した。初めての海外旅行でホテルの衛生面には覚悟を決めていたところだったが、一瞬でその心配は吹き飛んだ。先ほどのチャオプラヤ川を忘れるくらいに清い空間だ。もうエアコンがついていたので涼しくなっている。キングサイズのベッドに、街を一望できる大きな窓。シャワールームはガラス張りでユニットバスになっていたが、ちゃんとしたシャンプーやボディソープも完備されていた。その上、瓶詰の飲料水が4本も用意されていた。これなら安心して寝られそうだ。このホテルを早めに予約しておいて本当に良かったと思う。出発の直前に予約していてはこんないいところには泊まれなかったことだろう。研究費以内で行けてなおかつ会場に近いという条件下では最高と言って差し支えないだろう。とりあえずスマホとモバイルバッテリーを充電して、僕はホテルのキーとアイコンサイアムで買った短パンだけ持ってこの建物を詮索してみることにした。
エレベーターでエントランスの2Fまで降りる。そのエレベーター内には各界の施設案内が書かれていたが、どれだけじっくり見てもPOOLの文字列を発見できなかった。いったいどこにあるのだろうか。そう思っていたら2Fに着いたのでエレベーターを降りた。この階にもいろいろ面白い施設があるので練り歩いてみることにした。端っこの人気のないところは、空いているドアをよく見ると謎のパーティを催そうとしているところだった。なるほど、ここは団体客の貸し切りなのか。引き返して広いエントランスへ。何やらお土産店のようなところがあったので入ってみた。部屋は電気がついていて明るく穏やかな空間だったが、誰もいなかった。かわいらしいお人形やカーペットが並んでいるのをじっくり見ていると、奥からヨーロッパ系の男性がやって来た。見てるだけとは言ったが、そんなに見たいならとカーペットを広げて色々見せてくれた。何百もの絵柄と需要に合わせた複数の大きさ、さらには切り売りも可能といろいろ見せながら教えてくれた。彼女のアパートにはカーペットが無かったことを伝えたら、オススメのものも教えてくれた。しかし、金額は決して優しいものではない。その上、今の手持ちはホテルのカードキー1枚と短パンのみだ。金目のものは1つもない。スマホすら部屋の中だ。購入できそうもないのでズボンと短パンのポケットも全部見せて今は買えないと悔しそうに断ることにした。そうしたら、クレカ払いも可能で、店自体は18時まで営業していると宣伝してくれた。さらに、日本人でこれだけ英語で会話してくれる人はなかなかいないと興奮までしてくれたのだ。僕自身まだまだ英語は練習中だと答えたが、ここでこれだけ会話できたのはいい経験になっただろう。買い物ではなく英会話の場として思い出になった。
部屋に戻って夕飯の場所でも考えようとエレベーターに乗ったら、少しばかり違和感を覚えてしまった。このエレベーターは2Fの次が6F以上しか無いのである。奇妙だなと思いながら12Fで降りたが、いくら探しても僕の部屋番号は見つからなかった。ほんの一瞬の間に異空間ヘワープしてしまったのだろうか。スマホが無いので調べることもできない。仕方がないので2Fからやり直そうともう一度エレベーターに乗ったところで気づく。6Fにプールがある!!この勢いで直接6Fに来てしまった。おそらく、2Fだけ繋がっている、別々の建物ということなのだろう。納得したので安心してプールに入れる。僕としては乗るエレベーターを間違えたら寧ろ捜し求めていたプールを発見してしまったのでむしろプラスである。着替える場所は無かったが、スタッフの人に着替えてから来いと言われたのでトイレの個室を借りた。
プールサイドに足を踏み入れるのは何年ぶりだろうか。思い返せば高校1年の体育の授業で入った以来かもしれない。泳ぐのは好きだが、プールは久しぶりだということだ。そこはCRAZYのホテルにもあったような、まるで南国リゾートの楽園に来たような場所だ。靴箱はあったが服を置いておくロッカーは無かった。最初から裸で来いということだったのだろうか。それなら更衣室が無いのも理解できる。入口で入場者のサインをするとバスタオルを1枚もらえた。寝転がれるベンチがいくつか空いていたので、そこに脱いだ服とタオルを置いておいた。人は何人もいたが、意外にも泳いでいたのは小さな子どもの3人くらいだった。それでもいい。水に入らないとこの先一生後悔してしまう。少し体をほぐして入水してみたら、思っていたより浅かった。浅いところは深さが0.8mほどで、深いところは2.0mになっていた。気持ちがいいので、少し泳いでみた。ゴーグルがないので顔を外に出して泳ぎたいということで、顔出し茶番平泳ぎを敢行した。タイムもフォームも気にせず、ただ楽しむための遊泳だ。久しぶりに泳いだが、溺れることなく端から端まで泳げたので安心した。途中で足でも釣ったりしたら悲しくなるところだった。2m側は足がつかないのでもう一度浅瀬まで泳いだ。なんて気持ちの良い時間なのだろうか。本当は僕も泳ぐのは好きだったのかもしれない。体育の授業は水着の持ち帰りが大変だったり、着替えやぼさぼさになる髪の毛が煩わしかったり、その後の授業が眠くなるのがあまり好きではなかったが、それらを気にしなければこんなに楽しいことはない。気持ちが上がったところでベンチで休むことにした。ここでごろっと寝転がってうっとりするのもまた至福である。学会に行くまでどれだけ論文の執筆や前準備に忙しくしていたことか、出発してからアウェーでどれだけ未知のイベントに立ち向かってきたか、3か月ぐらい前からずっと過密なスケジュールだったため、「何もしない」という時間がいかに幸福か、いかに重要であるかを思い知ることとなった。清清しいほどに青くきれいな空を見ながら、体に付着する水が暑さを和らげながら、のんびりと過ごした。10分くらい寝たかもしれない。プールサイドの奥にはバーもあった。お酒やトロピカルジュースでも飲みながらうっとりしろということだろうか。あいにくこちらに金目のものはないので何も飲むことはできなかった。17時になりそうな頃、プールではおじさんが2人泳いでいた。負けじと僕ももう一往復だけ泳いでおいた。バスタオルで体を拭いてここを退出した。
この別棟6Fにはプールの他にも様々なアミューズメントパークがある。ジムだ。毎週3回筋トレしている自分にとってはありがたいことこの上ないサービスである。この徳島・バンコク遠征では(和歌山で1か所通り過ぎたが)行きつけのジムが無くて行けなかったので、そろそろ筋トレをしたいという禁断症状が出るころである。その代わりたくさん歩いたじゃないかというのは確かにそうだが、あれはあくまでも有酸素運動である。スクワットがしたい。ベンチプレスがしたい。デッドリフトがしたいのだ。そう思ってジムへと続く道を歩んだ。横にテニスコートもあったが、ラケットがないのでスルーした。この階の奥にジムジムランドは存在していた。旅行までしてこんな辺境の事務に足を運ぶものなど、当然ながら筋トレに脳を侵食された生粋のマッチョだけである。自分もベンチプレスの1パーツにされるのではないかと思いながらも、まずは手堅くダンベル運動からやってみた。25kgのダンベルを両手に1つずつ持ち、デッドリフトっぽいことをする。いつもは60kgでやっているので軽く感じたが、ここまでの疲労を加味すれば十分すぎる負荷である。下半身はプールでぬれた短パンなので、多少乾いているとはいえ何かに座るタイプの運動はさすがに自重した。そのためあまりたくさんのことはできずにここを去ることにしたのである。とはいえジムに行けたというだけで満足なのだ。ジムもプールもなかったらこのホテルの満足度はもう少し低かったことだろう。
食べに行こうか
夕食の場所を探す前に荷物を整理することにした。これまでは財布に日本円もタイバーツも一緒に入れていたが、これでは支払いのときに困るということで分けた。ちょうど、路上で買ったゾウさんの小銭入れがある。これにバーツとクレカ、キャッシュカード、ホテルキーを入れて持ち歩くのだ。自分用に買ったお土産が早速有効に使えて嬉しい。あとは洗濯物を持っていくことにした。少し歩くが、外にコインランドリーがあるらしい。その道中で良さげなレストランも探すという作戦だ。
早速出発した。薄暗くなる時間だが、電光掲示板には気温が33℃と書いてある。こんな時間でも容赦はしてくれないらしい。ところどころ工事中なのか、道のタイルが剝がれたままになっていたが、おそらくあまり気にしてはいけないのだろう。それとコンビニのような出現率でタイ古式マッサージの店があった。その店の前では必ず女性が何人か待機している。どんなものなのかはネットで調べた程度には知っているが、今は空腹を満たす方が先と考えスルーした。こんなところでサービスを受けてしまったら自分は究極生命体になってしまい、後々大変になりそうだ。
コインランドリーは大通りから小道へ、不審なところへ入り込んだところにあった。店内は日本のコインランドリーと大差無く、洗濯機の複数ある部屋だ。違う点といったら、洗剤を横の自販機で購入して投入する点だろう。つまり、洗濯・乾燥+洗剤代が必要なのだ。そこまでは事前に調べてあったのでわかっていたが、具体的な使い方はわからないので手探りでやってみた。まずは洗濯物を中に入れよう。その後は…40,50,60と表示されたタッチパネルが横にあるが、タイ語が読めないのでよくわからない。おそらく、これを押せば始まるのだろうとは容易に予測できるが、どんなサービスなのか理解していないのは沼だ。この数字はおそらく金額だろう。お金はあるが、できれば最小金額に収めたい。とはいえ最低サービスでは満足いかないかもしれない。ここは恐怖の選択(洗濯)だ。どうしよう…
今までの自分は忘れていた。Googleレンズで読めばいいじゃないか。というか最初からそれである程度対応できたじゃないか。そんなことは今気にする必要ないが、アプリをインストールして早速使ってみた。なるほど、金額の違いは水温の違いだったのか。40バーツは冷水、50はぬるま湯、60は熱湯らしい。汗をかいただけで、そんなに熱水を必要としていなかったので40にした。洗剤と合わせれば50バーツだ。これでやっと動くと安心できた。開始したら謎のカウントダウンが始まったので少し奇妙に感じたが、それでもまぁ動くだろう。プール後虫除けスプレーをしていないことを思い出したので一旦引き返した。あれ、もう汗をかいているじゃないか。なんのために洗濯を持っていったというのだろうか。高々数百mの距離を往復しただけじゃないか。これは無限ループだ。今着ているやつも洗濯しようと外へ出るとその次着る服が汗まみれになる。もうこれは受け入れるしかないと思って外に出た。汗もプールの水のようだ。
気を取り直して再出発。どうせなら明日の会場の下見も兼ねてその方角で探してみた。よくわからないがメニュー表が外に置いてある店があったので気になって覗いてみた。すると中から店員さんが出てきて営業してきた。クレカは300バーツ以上から使用可能ということを聞き、そこで食べることにした。ここもタイ料理のお店だ。皆水色のポロシャツを着ている点が気になった。思い返せば、街の外でも高確率で水色ポロシャツ人とすれ違っていた。これは国民の服なのだろうか。昼は米料理を食べたので今回は麺に挑戦してみたい。あとはスパイシーなカレーもだ。物価の安さと300以上という制約から、2品くらいは食べても良さそうなのでこれらを注文した。店員さんが辛いけど大丈夫かと聞いてきたので少し辛めでと頼んだ。念の為ラッシーもつけておいたが、これが地獄の始まりだった。
料理はどちらも美味しそうだった。しかし、この「美味しそう」という直感は、深みのある赤系統の色から掘り起こされた感想だ。つまり、見た目の時点で辛そうだということである。僕自身は辛いものがそこまで苦手というわけではない。日本でもジャワカレーはよく食べるし、キムチも常備してある。ただ、激辛を愛しているかと言われると、頷いたら悲しくなりそうだと思っている。痛いのは好きではないからだ。あくまでも美味しく食べたいだけだ。しかし、現実は僕に試練を課してきた。スープカレー一口目から、ゴールの遠さに絶望したのだ。ここまで辛いとは思っていなかったので、正直にギブアップしようか、するならどのタイミングにするのか、そんなことばかり考えていた。部屋はエアコンが聞いて涼しいはずなのに、一人だけ顔の周りから大量の汗をかいている。お手拭きの紙を何枚使ったことだろうか。今ならドラゴンのように火を噴ける。ヨガファイヤーも使えるような気がした。本当にこの辛さであっているのだろうか。隣のテーブル席を見ると、アメリカ系の夫婦が美味しそうにカレーを食べていた。どうして彼らは平気なのか。そうか、ナンだ。ナンと一緒に食べれば助かったはずなのだ。麺を頼んだから炭水化物はもういいかと踏んでしまったのが間違いだったのである。今日はカレーと決めてカレー複数種類をナンと一緒に食べればよかったのだ。というより、辛くないようにと注文すればよかったのだ。後悔してももう遅い。出されたものは美味しくいただきたい。そんな愚かな自分を救ってくれたのはラッシーだった。カプサイシンには乳製品が効くというのは嘘ではないようだ。麺の方も、実際は旨辛いのだろうが、舌がひりひりしすぎるせいで「辛いもの」としか認識できていなかった。おそらく、ビーフンのような旨味があったことだろう。ラッシーで口の中を回復した直後のみそう感じ取ることができた。隣の夫婦はコカ・コーラも注文していた。ペットボトルと銅製のマグカップが提供されていたのだ。面白い提供のされ方でユニークだなと感心しつつも、自分の口内業火の鎮火に全力を注いだ。いける、いける、辛い!!ラッシー!!!こんなのを何回も繰り返し、ついにはすべて食べきることができた。火炎放射も習得できた。それでも総評としては美味しかったと思う。大変だったが満足感は高かった。しかし、お店を出した後も辛さの残党は僕の体に存在をアピールし続けていた。なんだか胃の中に違和感があったのだ。いくらなんでも刺激が強すぎることだろう。吐き気ではないが、スパイスには限度というものがあるんだなと自炊する時の参考にはなった。
シーロム通り
このシーロムの通りをもっと東に進むと、とても文化的なスポットがあるという。それが、バッポン通りだ。辛さの余波にヒィヒィしながら歩いていると、突然誰かが自分に声をかけてきた。はいはいタクシーね、と最初は無視したが、それでも声をかけてくるので振り返ると、全然知らない人が歩いて近づいてきたのだ。顔ぶれを見るにタイ現地の人ではなさそうだ。スリかもしれないと警戒しつつ、少し英語で会話することにした。周りにグルはいなさそうだ。念の為貴重品の入っているウエストポーチには手を置いたままにしておいた。お金の類とスマホ、ホテルキーだけは最低限死守したい。それ以外は最悪どうでもいいが、荷物はほとんどホテルにおいてあるのでそこまで気にする必要もなかった。用件はというと、タイで使えるお金はどれかわからないということだった。ドバイから来た人らしい。入国するときに現金は交換しなかったのか、(いつ来たのかはわからないが)今の時間までどうやって過ごしてきたのかなど不審な疑問はいくつも沸いたが、ただただ困って動揺している人だった。
「タイではお金は何が使われていますか?」
「バーツだよ。」
その後彼は自らの財布からお札を何枚か出して聞いてきた。
「これがそのバーツですか?」
「君が持っているのは韓国のウォンだよ。」
どういうわけか韓国語が書かれた紙幣を持っていたのだ。ますます意味が分からない。彼ですら事の経緯が把握できないのに、僕は状況が何もつかめなかった。彼に何が起きたのだろうか。じゃあタイのお金はどんなものか見せてと言われた時、納得した。こうやって掏っていくのかと。彼には申し訳ないがこちらの安全のため最大限警戒した。まずはもう一度回りを確認。彼が逃げた時、もしくは後ろから襲われた時のために誰がどれくらいの距離間でいるのかを把握した。そして足元の確認。彼が逃げ出さないように体でブロックするか、1歩目で足をくじくためにこちらもチェックだ。この動き方はサッカーのディフェンスに近い。まさかこんなところでサッカーの経験が生かせそうだなんて思ってもみなかった。フィジカルは僕が勝てそうなので、お金を取られることよりも不用意に彼を傷つけないことを優先した。そして、極めつけにはお金を出すとき、財布をポーチから出してからではなく、ポーチの中で財布を開けて出してからお金を見せた。これは最悪お金を取られても、財布ごと取られないようにするためである。20バーツ札1枚ならまだマシだ。そうやって20バーツ札を見せてあげたら、彼は納得したようで去っていった。本当にお金がどんなものかわかっていなかっただけのようだったのだ。僕ですらあまり旅の下調べはしていなかった方だが、お金についての知識すらない状態で彼はここに来たと言うことだろうか。だとすれば逆に感心するものがある。いや逆に何か闇深い理由でもあるのだろうか。そう考えるころにはもうかれはどこかに消え去ってしまった。何だったのだろう。
もう少し進むと、左側に学会会場のホテルが現れた。見た目は会社のビルのような細長い建物である。ここはここで豪華な感じがした。シーロムはバンコクの中でもビジネスに力の入ったところなのだろう。僕のホテルから道1本で曲がらずにここまで行ける。場所が分かったのでさらにその奥へと突き進んだ。
バッポンに近づくにつれ、徐々に治安の悪さが露呈してきた。くたびれた服装で座り込み、コップをもってこちらを見つめてくる人が何人かいた。これがいわゆる物乞いと言われる人たちなのだろう。変にからかうと足をつかまれたりするかもしれないと思い、少し離れて歩くことにした。彼らにお金をあげることはしない。商売や仕事で全うに稼いでいる人に対して失礼だと思ったからだ。かわいそうかもしれないが、政府などもっと大きな組織に頼ってほしいものだ。しかしそう思っていた矢先に手足が一部欠損している人も見かけてしまった。確かに、このような状態ではいくら働けと言っても無理がある。僕の前を歩くヨーロッパ系の白人はいくらかお札を恵んでいた。僕は何もあげなかった。まだあのドバイ人に分けた方が気分が悪くならずに済む。とはいえ露骨な社会問題だと思ったのでネットで調べてみると、
・彼らは中国から連れてこられた人で、現地人ではない
・手足が無いのは偽装、子連れに見えても偽装家族
・最近になって物乞いは違法になった
などの情報が得られた。真偽は確かではないが、関わらないのが身のためだろう。バッポンはすぐそこを左に曲がったところだ。
バッポン通り
ひときわぎらついた通りがこのバッポンだ。ソフトに言えば夜市を開く場所となるが、もっと踏み込めば夜の要素がふんだんに含まれた場所ともいえる。なんというか、はじめて歌舞伎町を見た時のような感じだ。激しい騒音と昼より眩しい光が夜の世界を構築している。ここはゴーゴーバーという夜のお店が有名であり、下半身に脳を支配された男たちが多数吸い込まれていく。どんな場所なのかというと、若い女の人がたくさん踊っていて、一緒にお酒を飲んだり、持ち帰ったりするのだ。お店がいかつすぎて、どれだけむしり取られるかわからなくて近寄れなかったが、今思えば中に入ってみてもよかったかもしれない。どちらかというと美女よりも美女に発情するおじさんたちを観察する方が面白い。三ノ宮から難波までの電車で見かけたあのパパ活疑惑男女※2を観察していた時のような面白さである。お店の前で看板を持った女性たちがズラッと並び、近くにいるおばさんが1発どうだいと言わんばかりに紹介してくる。これが所謂、「買う」ということなのだろう。夜遊びは経験がないので怖いもの見たさで気になる気持ちはあるものの、通りの奥まで見ていきたい気持ちを言い訳に、ここはいったんスルーした。
奥へ向かって歩いていると、突然女性が2人ほど腕に抱きついてきた。ああ、やっちまったな、ゲームオーバーである。日本人なら金持ってるだろうとでも思ったのだろうか。男一人で歩いていたのが失敗だったかもしれない。オープンスペースの飲み屋に連れていかれたので、1杯だけ飲むことにした。2人とも一般人ではなく、お店の回し者だろうとはだいたいわかる。店員と何かしら喋っているが、その雰囲気からそう判断しやすい。となれば、奴らの作戦はこうだ。
① 客(僕)に飲み物を注文させる。
② ハニートラップを駆使して女の子の分のドリンク代も要求する。
③ ここから先は大人の世界
タイに来てからお酒を飲んでいなかったので、ビールを1杯注文した。徳島で吐いてしまったことをまだ反省していたが、もう許されるだろう。ここから先は駆け引きである。案の定女の子たちはドリンクを欲しがった。メニュー表を裏にすると女の子用のメニューが並んでいる。やはり黒色の組織だ。しかもそのドリンク代の方が少し高かった。なるほど、まずは酔わせて金銭感覚をマヒさせるのか。2人ともタイ語なのでよくわからないが、メニュー表に指をさしてねだってくるのでそういうことだろう。店員のおばちゃんも英語でこちらに話しかけてくる。
「この子達の喉が渇いているのが分からないの?」
しかし臆することはない。こちらにはあのCRAZYから伝授してもらった秘儀がある。
"I have no money!!!"
これで苦難は切り抜けられるのだ。もちろんおばさんはこんな奴に対していい顔をしないが、意外にも女の子2人は嫌がっていなかった。断られるのは鳴れているのだろうか。それとももう既にたくさん飲んでいて正直飲みたくないのだろうか。理由はともあれ不満げな店員を尻目に飲むビールは美味しい。こんなへんてこ日本人なので、女の子が簡単なボードゲームを持ってきた。先攻・後攻交互にそれぞれのチップをボードに入れていき、縦横斜めのいずれかに4つ並べたら勝ち、というルールの物である。とにかく時間を稼いでお金を払わせようという算段だろうか。面白そうなのでやってみることにした。会話は通じないので翻訳アプリを介して行っている。最初からこの国でのすべての会話はこれでよかったのではないかと思ったりもしたが、英語の練習もしたかったので全くこの手は使っていなかった。とはいえ彼女らは英語が通じなかったので仕方がない。特に興味がわかなかったので当たり障りのない会話でやり過ごした。途中で謎のおじさんがピーナッツのたくさん入った袋を渡してきた。僕はピーナッツアレルギーなのでどれだけ貰っても嬉しくないが、押し付けられたので受け取ってしまった。そうすると、横の女の子が翻訳アプリで
「そのピーナッツを受け取りましたか?」
と聞いてきたので、これはまずい、押し売りだと勘付き、すぐさまおじさんに押し返した。今もなおゲームは続いている。一緒にゲームしている女の子は1ゲーム終わるごとにすぐにチップの色分けをし、間髪入れずに次の対戦が始まる。もはやドリンクをおごってほしいとかではない。勝ちたくて熱中しているようだった。これが面白くなって僕もしばらくゲームに応じる。最初の1戦目はルールが分からず負けてしまったが、2戦目以降はコツをつかんだのか全勝してしまった。もはや申し訳なくて1戦くらい勝たせてあげてもよかったのではないかと思ったりもした。しかし横から定期的におばさんが次の飲み物を注文させようと水を差してくるのが鬱陶しくなってきたので、伝家の宝刀no moneyを乱発し、お会計に移った。自分の飲み代1杯分くらいは払ってもいい。女の子にもっと粘られるのかと覚悟していたが、意外にもここはあっさりしていた。金づるにならないのなら損切りは速いということだ。確かに、もっと財布のひもが緩い人を狙うのが得策である。結果的に、僕は美味しいビールをのむというサービスを受けて終わったので食い逃げ・飲み逃げよりかは優良客だ。おばさんからしたらそんなにお金を絞れなくて不服だっただろうが、次の獲物に期待してほしい。その場の勢いでおごったり持ち帰ろうとしたりしたら翌朝後悔することになっただろうから、むしろ僕の勝ちである。
帰り道のついでに洗濯物を回収した。洗濯機を開けたら中身は服がたたまれたまま。ここに服を投入するときはたたんだ状態で放り込んだので、おそらく洗濯できていなかったということなのだろう。湿っているのも、汗の汚れである。気持ち悪いが、もうこれを着るしかない。少し後に女性が2人洗濯物を持ってやってきた。
「これどうやって使うんだろうね。」
聞こえてきたのは日本語だった。せっかく日本人に会ってしまったのなら伝えておこうということで、ボタンの各メニューが選択する水の温度を選べるということは教えた。2人とも日本人に出会ったことに驚いていたようだった。アドバイスしたとはいえ、自分の物は洗濯できていなかったので何の助けにもならなかったことだろう。
ホテルに戻って
その後はビニールに入れた汚い服を抱え、物乞いたちを華麗にかわしながらホテルへと戻った。ガラス張りのシャワールームは期待以上に清い作りになっている。持ってきたシャンプーたちは使わなくて済んだ。パソコンとスマホ、モバイルバッテリーはしっかり充電し、明日に備えた。キングサイズのベッドはこんなにも広いのか。うっかり間違えて2人部屋でも取ったのかというくらいには広い。大の字ならぬ土の字になっても横が余る。とりあえず明日はカッターシャツなので洗濯できていない服は気にしなくていい。今日はもう寝るんだ。明日の学会頑張ろう。
※1 この記事では入場したところを1階とする。実際は違うらしい。
※2 学会遠征編ショート版 第21話|シナモンパン (note.com)を参照
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?