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Perfect Fanを読んで
前作「素直になれないナリタタイシンとオルテンシアの花言葉たち」に続き、アマデウスキー先生のタイシン本を手に取らせていただきました。
もうまずね装丁の美しさですよ(そこ)
メロンブックスさんのビニールから出した瞬間「ふぉぉぉ…ッ!」となりました
以下、単なるウマ娘とナリタタイシン好きオタクの感情が溢れ出しただけの拙文となりますがご容赦ください(ネタバレも回避してるのかなんなのかよくわかりませんが、おそらく作品を読まないと理解できない文章となっております)。
そもそもナリタタイシンというキャラクターのイチャもデレも大好物なわけですが、先生の描くクールでサバサバしたタイシンが自分の持つイメージにどハマりなんですよね…
しかも今作は人妻タイシン…
大人になってさらに落ち着いた雰囲気を醸し出す人妻タイシン(ハァハァ
しかもタイシンだけじゃなく、ハヤヒデとチケット!彼女たちも子を持つ親になってるわけですが「らしさ」を失わずに大人になってるというか。
そうそうこういうこと言いそうだよね!絶対こんな感じだよね!というね……
解像度がやべえんですのよ……
レースが始まる前のハヤヒデの台詞クッッッソ好き…
原作(not史実)のタイシンストーリーは、周囲によって歪められてしまった(あるいはそう思いこんでいる)一人のウマ娘が、在るべき姿も目指すべき指標も見つけられないまま踠き苦しみ、しかし「そのままでいいんだよ」「それこそがキミなんだよ」「そんなキミと戦いたいんだよ」と救済されていく物語でした。
本作品で、トレーナーと結ばれ子どもを授かり、レースから遠ざかっていたタイシンは、ハヤヒデからの誘いに応じるものの、他の二人と比べてやや逡巡している様子が見受けられますが、おそらく、現役時は自分の存在証明のために走り続けてきたタイシンにとって、何のために再び走るのか意味を見出しかねたのではないでしょうか。
ハヤヒデやチケットの言ってることはわかる、自分もまた二人と走れるのは嬉しい。
だけど…何のために?
アタシは何を証明するために走ればいい?
トレーニングを始めたものの、走るという行為が、タイシンの様々な記憶を刺激します。
トレーナーやライバルとの日々という幸福な記憶だけではなく、あの頃も自分を苦しめた数々の辛い記憶……
(そしておそらくですが、おまけページにも繋がると思われる悲しい記憶も?)
走るために、アタシはまた「アイツ」と向き合わなければならないの?
けれどタイシンは意味を見出しました。
他ならぬ自分の存在証明の結晶として産まれてきた我が子のために。
自分以外の誰かを走りで勇気づけるために、そしてそれこそが現在の自分の存在証明なのだと言わんばかりに…
そんなタイシンの思いに、夫であるトレーナーもまた、かつての姿をダブらせて、あの頃の暑苦しいテンションを取り戻す…
泣いた…
あとがきでも書かれているとおり、ラムちゃんはタイシンとは違うんですよね。なぜなら彼女には一番近くに、目指すべき指標であり自分を肯定してくれる存在がいるから。
そしてそんなラムちゃんもまた、タイシン自身を「そんなあなたのようになりたい」と肯定してくれる存在であるということ…
いや泣くでしょこんなの……
全タイシンの民泣くでしょ……
アマデウスキー先生の描くタイシンは、原作(not史実)とすごく地続きな感じがして、キャラストーリーを定期的に読んでは目から汗を流している身としては、すごく響くんですよね…
(極めて勝手な想像ですが、ページ数が増える増えるとおっしゃっているのって、そのあたりのこだわりによるものなんじゃないかって…)
かわいいだけじゃない、ツンデレなだけじゃない、この重さとストーリー性こそがナリタタイシンの魅力だと思います。
…と、偉そうに語っていますが完全に自己満足の解釈ですので…
そういうことじゃねえよという部分はご容赦いただきたく…何卒…
とにかく、こんなにも感情が溢れだす作品を産み落としてくださったアマデウスキー先生に心から感謝するとともに、先生の描くタイシンをこれからも楽しみにしたいと思います。
ダラダラと長文失礼しました。