厨二病末期患者
子供の頃、死にたいって言う言葉が大嫌いで、そんな言葉を簡単に使っちゃう奴も嫌いだった
「そんなことないよ」って言われて、安い承認欲求を満たそうとする気が見え見えだからだ
別に、世界には生きたくても生きられない人もいるんだ!なんて高尚な説教を垂れる気はない
ただ、なんとなくいわれのない嫌悪感を感じてしまうし、ダサイ奴だなって思っていた
そんな自分だったが、今では口癖のように死にたいを言っている気がする
あんなに嫌いだった言葉を、胸にある空虚を埋める為の薬みたいに使っている
死にたいは劇薬だ、使えば使うほど、思えば思うほどに心が救われてるような気分になる
出勤が暦通りではなく、家路につくのが日を跨ぐ生活を送る自分にとっては、会いたい人にも中々会えず、好きな人の声を聞きたくても電話をかけられる時間がない
社会から切り離されたように感じる今の暮らしは、無気力症候群で空っぽの自分にとって寂しさと孤独を増長させるのに最適過ぎる
そんな耐え難い日々に死への欲求と恐怖が、自分を安心させてくれる逃げ道になってるんだろうな
まぁ子供の頃嫌いだった奴がこんなこと考えてるとは思わないけど
今も死にたいを誰かに聞いて欲しいとは思わない
誰にも言えない死にたいを抱えて、今日も生き延びていく
あー死にたい
p.s 16の時に書いた文章じゃないよね?モラトリアムはとっくに終わってると言うのに、この歳にもなってここまで香ばしい文を書けるなんて、もはや才能だよ
井の中のオタマジャクシとして死んでいけよ