大学のテニス部での3年間を通して 振り返り
皆さんこんにちは。kentiiです。10月14日より、大学でのテニス部を引退することになりました。(厳密には仮引退です)今回はこの記事を通して、3年間のテニス部でのあんなことやこんなことを振り返っていきたいなと思います。
1.テニス部を選んだ理由
大学1年生の時にさかのぼりますが、元々はテニス愛好会、いわゆる「テニサー」に入るつもりでした。というのも、大学の部活はレベルが非常に高く、高校時代はそこまで強豪校だったわけじゃなかったので、ほどほどにテニスに打ち込めたらいいなと思っていました。しかし、テニス愛好会は週に1回しか練習を行わないところだったので、さすがにモチベが上がらないと思いました。3日ほど真剣に考えて、苦しい思いをしてでも、テニスにちゃんと打ち込める環境に身を置けるだけマシだと思い、テニス部への入部を決めました。
2.どんな部活だったのか、練習頻度はどんなだったのか
僕が所属していたテニス部は、想像の遥か斜め上を行くほど規約が厳しいものでした。代表的なものは「罰ラン」「メールの返信ルール」「有休制度」です。今では緩和されましたが、僕が1年生の時はこんな感じでした。罰ランとは文字通り特定の行為をしてしまうと課せられる罰走のことで、審判のコールミス、部旗をうっかり地面に落とす、遅刻、先輩に対する接し方などをしてしまうと課されていました。(どれくらい走らされたのかは僕個人に聞いてもらえれば教えます。)
有休制度は年ごとに変わっていました。「年3回」→「月1回」→「年15回」という感じで、僕が部長になったときにかなり緩くしました。年3回とか月1の時はとにかく休める日が少なすぎて、大学生なのに旅行に全く行けない感じでした。実際、これが理由で辞めていった同級生もいます。僕は当時スマブラばかりしていて旅行なんて行こうともしなかったので、有休制度に関してはそこまで苦ではありませんでした。
練習頻度は週4回です。月、水、木、土でした。練習時間は平日は1時間ほど、週末は2時間半ほどでそこまで長いわけではありませんでした。なので僕の場合は部活がない週3日間を使ってスマブラをやり込んだり、バイトや教習場に行くといった日々を過ごしていました。
3.同級生がいなくなった部活動
もともと僕の同級生は自分含めて4人いました。ところが、僕が大学1年生の10月に入る前の段階で既に僕1人になっていました。別に仲が悪かったとかではありません。むしろ普通に談笑するほどの仲でした。にも拘らずみんないなくなった原因は先程も述べた部活のルールの厳しさだったり、家庭の事情だったりと色々です。当然ながら、辞めてほしくないという気持ちはありましたが、彼らの意志を尊重することにしました。僕1人になってからは、基本的に部活の準備も僕1人でやっていました。コートのネット上げ、ボールの準備、シングルスポートの用意、練習後のコート整備などです。先輩方もいくつか手伝ってくださりました。同級生がいないのは結構寂しくて精神的にも辛いところはありましたが、先輩方からの気にかけもあり、なんとか頑張れていました。僕が部長になるまでは。
4.地獄まみれの部長
タイトルがかなり極端ですが、マジで地獄でした。理由をいくつかに分けて話します。1つ目は、身近に気軽に話せる人がいないことです。これは以前からでしたが、部長になるとどうしても心のダメージが大きくなるので、気軽に話せる人、要は同級生と話すことで気を休めたいという願いがありました。しかし、周りは後輩とOBしかおらず、その願いは叶いませんでした。部活に関する相談事も後輩にするのはかなり抵抗がありました。だから長期的に抱え込んでしまうことも少なくありませんでした。2つ目は我の強い後輩が多すぎることです。とにかく言いたい放題で思ったことや怒りを容赦なくぶつけてきます。僕が優柔不断なのと、意志が弱いこともあり、最初はどうすればいいか分からず、メンタルが崩れてしまい、部活に行くのが鬱になることがありました。「ああ、今日もあいつらに文句言われるのか」「何しても誰かから意見が飛んでくる」「俺おらんほうがええんちゃうか」とか思っていました。拒絶反応の一歩手前まで来てましたね(笑)3つ目はOBの存在です。部活でめんどくさい事ランキング圧倒的1位に入ると思います。僕は部員のみんなが楽しく取り組める部活を目指していました。しかし部活には伝統や厳格さもあるので、たまに様子を見に来られるOBの方から「ここちょっと緩くなってない?」みたいな小言を言われます。部長はどれだけ頑張っていても基本的に小言は部長に飛んでくるので、これが結構キツイです。
5.どうやって部長として成長していったのか
優柔不断、意志が弱い僕は本来なら部長になりえない人間です。ただ、1人しかいない以上、やるしかなかったんです。そんな僕がどうやって部長として成長したのか。一番はOBからの助言です。僕自身が持つ部長のイメージと本来の部長のイメージは大きく違っていました。僕が持っていた部長のイメージとは、「全役割を満遍なくこなす」「すべての事項を部長が決定する」等でした。しかし本来の部長とは「部員から部活に関する意見を聞いて、話し合って実行に移す」「役割をみんなに割り振り、進行状況を聞いたりして状況を把握し、報告をするように伝える」など、意外と聞き手に回ることが多かったです。あとは「しっかり自分の意志を伝える」ことでした。これは少し時間がかかりましたがある程度まではできるようになりました。部員の意見を部活に反映させるために、毎月のミーティングで「今月の反省」と「来月の目標」、「各々の課題点」を聞くようにしていました。また、見返せるようにメモもするようにしてました。このようにして、少しずつですが、部長として自信を持てるようになっていきました。
6.まとめ
これまで部活の中で多くの苦難があり、何回も辞めたいと思ったし、親に泣きながら電話で愚痴を吐いたこともありました。それでも辞めずにここまで踏ん張り続けれた理由は「テニスが好きであること」だと思っています。1人で辛かった、加えて後輩からは言いたい放題、非力な自分に何度も打ちのめされた日々。それでも、「俺は心の底からテニスが好きなんだ」「中学時代に経験した地獄の日々に比べりゃこの程度がなんだ」と己を奮い立たし、最後までやり抜く一心でここまで来ました。部長としてひとつ心残りがあるとすれば、結果を残せなかったことです。大学3年間を通して、僕は大会で勝てた記憶がありません。Twitterでは「部活頑張った」とか呟いてましたが、大した結果もなく、実際そこまでテニスが上手いわけじゃありません。一般的に見れば僕のテニスでも上手いと思ってくれる人はいると思いますが、テニス界隈で見れば僕なんてごま粒をさらに砕いたようなものです。「頑張った」のは間違いありませんが、せめて1つは結果が欲しかったです。これからもテニスは出来るときにやっていきたいと思っています。テニスは生涯スポーツなので、当然社会人になっても趣味で続けるつもりです。
記事は以上になります。読んでくださりありがとうございました!
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