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「骨を掘る男」 @桜坂劇場

2024.6.22(土) 晴れ時々強風

 本日より公開の奥間勝也監督のデビュー作「骨を掘る男」を観てきた。上映後に監督と被写体の具志堅隆松さんの舞台挨拶もあり、作品に対するそれぞれの思いを聞くことができた。
 奥間監督は知り合いの知り合いだったり、同世代でもあることから、勝手に親近感を抱きつつ、恐れながらまるで知人が創り上げた作品を観るような気持ちで鑑賞させてもらった。

 舞台挨拶の中で奥間監督が語っていた言葉がとても印象深い。
「具志堅さんが掘るのを逐一見るという経験は結構今までなかった。TVの取材だとどっちかというとハンストとかの方が多い。僕は映画で、こうやって真っ暗闇で、大きいスクリーンで観て頂ける時間を貰えるんだったら、やっぱり同じく真っ暗なガマに皆さんをお連れして、具志堅さんの背中を見ながら、そこと皆さんと、沖縄の大地にもしかしたら眠っているかもしれない人達との時間を創りたかった。」 
 感想になるが、奥間監督のこの語りは、私が勝手にこの作品に込めていた期待を監督自らが言語化してくださったようなものだった。
 これまで、遺骨を掘りに行こうと思ったこともない私は、具志堅さんが普段何を思い、どうやって遺骨を探し、そして掘り起こしているのかがただ単に知りたかった。そしてこの映画を観たことで改めて気付かされたのは、映画は個人では成し得ない体験を簡単に叶えてくれる追体験の装置であるということ。観客は被写体とともに鳥の声を聞き、雨土の匂いを嗅ぎ、錆びた砲弾の破片の冷たさに触れることができる。そして骨が見つかった時、そこで亡くなった人々の生前の姿を、被写体に追随して思い描くのだ。

 最近、メディアでも取り上げられている牛島司令官の辞世の句問題を、舞台挨拶の中で具志堅さんは語られていた。そして自作の琉歌を返歌として披露してくださった。
「島の青草や 皇軍が枯らち 戦骸骨(イクサカラブニ)や 土(ミチャ)になゆる」

 79年前、日本軍が沖縄の人々を戦争に巻き込んだのは事実であり、摩文仁の丘の平和の礎に刻まれた人々は、その多くが未だ沖縄島南部や遠い外地のどこかで眠っている。それがわかっていながら、彼らが眠っているであろう土を新しい米軍基地建設の為の土砂として使用するということは、眠っている彼らのみならず現代に生きる沖縄人の感情を完全に無視した暴挙であることは言うまでもない。
 幸いにも、私の祖父母は、かの戦火を生き延びた4分の3の1人だった。そして私が今日この文章を書くことができるのは、その祖父母が命を繋いでくれたお陰でしかない。その時間軸の中で、繋がれた命に報いる生き方を私はできているのだろうか。遺骨収集を40年も続けてこられ、更にハンガーストライキまでして権力に抗う具志堅さんの生き様の前に、只々、恐れ慄くことしかできないでいる。

 明日は6/23。摩文仁の丘に岸田首相が来る。戦火を逃れられなかった幾千もの人々の生き血か染みたその土地で、今尚、計画の白紙化を求めハンガーストライキを実行する男がいる。岸田首相には、その事実に関心を持ち、誰かと語り合う時間を持って欲しい。一国の首相にその心の余裕があれば、この国はもっと穏やかに隣国と向き合えるのではないだろうか。

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