長崎そよを囚える条件付きの愛情の仮説 - コミカライズを読んで思ったこと
コミカライズ『BanG Dream! It's MyGO!!!!! 雨にそよいで晴れを請う』の第1話を読んだ。この第1話で、長崎そよの生い立ちや抱えていた心情について、アニメでは描かれなかった部分が描かれていた。それを読んで長崎そよについて思ったことをアニメでの描写とあわせて語ってみたい。
※コミカライズおよび 『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』全編のネタバレを含みます。
長崎そよの不運は、優秀すぎたこと、そして自分に求められることを何でもできてしまったことだろう。
そよは親の離婚のときに「いい子でいないと、役に立たないと認めてもらえない」という条件付きの愛情の仮説に囚われてしまった。その後そよは家では家事を完璧にこなして仕事で多忙な母を支え、学校でも勉強も吹奏楽も優秀にこなしてクラスメイトたちの役にも立ついい子でい続けた。
そのためそよは「いい子でいられなくても認めてもらえる」経験ができなかった。そよは条件付きの愛情の仮説が反証される機会を得られなかったのだ。捨てられないためにいい子でい続けようとして、それを完遂できてしまったために、仮説を自己成就していたともいえる。
客観的に見れば、アニメや漫画で描かれるそよの母や友人たちの言動は、そよを素直に慕っているものに見受けられる。そよに向けられる愛情や好意は条件付きのものではないだろう。
しかしそよがいつもいい子でいるあまり、彼女に向けられる言葉は「自慢の娘」「人間出来すぎ」のように、どうしても褒め言葉や称賛になってしまう。そのような言葉に囲まれていたため、「いい子でなければ認めてもらえない」という思い込みが破綻することはなかったのだろう。
そよの一番身近にいる母親が、そよのためにがんばって仕事を成功させられる人だったことも、そよの思い込みを強化しただろう。人に見捨てられず認めてもらうためには、母のように(少なくとも仕事においては)完璧で役に立つ人でなければいけないのだと。
母のそのような姿を見るあまり、その母が離婚のときに言った「そんなことしない。絶対約束する」という言葉にこめられた無条件の愛情は、残念ながらそよには届かなかった。それに仕事で多忙な母と手のかからない娘という組み合わせは、条件付きでない愛情といった心理面のことを教える機会を失わせただろう。
そんなそよの仮説を否定したのが、CRYCHICの解散、そしてMyGO!!!!!の結成だった。
そよはCRYCHICを復活させようと奔走したが、結局CRYCHICの解散を覆すことができなかった。そよにしてみれば「役に立つ子でいても認められない」経験、すなわち「いい子あるいは役に立つ子」でいることが「認められる」ことの十分条件ではないことを知る経験となった。
そしてCRYCHIC復活のために手段を選ばなかったそよは、愛音と楽奈に対して悪いことをした。にもかかわらず愛音と楽奈はそよを必要としてくれた。そのようなMyGO!!!!!結成のいきさつは、そよに「いい子でなくても認められる」経験をもたらした。すなわち「いい子あるいは役に立つ子」でいることが「認められる」ことの必要条件ではないことをそよは知ったのだ。
余談
ここまで長崎そよが囚われていた仮説とそこからの解放について語ってきたが、これに関して余談を2つつけ加えたい。
一つ目はそよがアニメ第8話で祥子に言った「私にできることなら何でもするから」という言葉について。
この言葉は勢いで出た軽はずみな言葉ではないだろう。祥子に否定された後にそよは食い下がって「でも私本当に…」と言っている。自分のいる場の人々に貢献しようと何でもすることは、今までのそよの生き方そのものだった。だから彼女にとって当然のこととして口から出た言葉だろう。
だからこそCRYCHICのために何でもやってきたのに自分を見捨てていく祥子のことを、そよは認められなかっただろう。そして条件付きの愛情という誤った論理を押し付けられた祥子にとっては、そよの言い分は身勝手なものとなる。
しかしながらそよの「何でもする」は、後に報われることになる。それは後にMyGO!!!!!となる、そよにとっては仮初めのバンドにおいてさえそのように振る舞っていたからだ。そよの行動は結果的には、CRYCHIC結成からずっとバンドのために何でもしてきたことになり、第12話の燈のMCでの「バンドのことずっと大事に思ってくれて」という解釈が成立する。
二つ目の余談は、条件付きの愛情に囚われ続けた長崎そよが不幸な子だったかということだ。不幸かどうかは主観的な判断になるが、私はそよが不幸な子だとは思わない。
そよの思い込みとは裏腹に、そよは無条件に愛情を注いでくれる母や友人たちに囲まれていた。そのことにそよは気づいていなかったとしても、間接的に彼女の精神の成長を助けていただろう。
そよは自分が大切にされていることを無意識のどこかで感じていただろう。だからCRYCHICのことをあれほど大事に思うことができた。何かを大事に思う心は育まれていたのだ。
またそよに頼りきる友人を他の友人が嗜める描写があるように、そよの友人たちは彼女の献身を都合よく利用するようなことはしなかった。
そういう友人たちに囲まれていたから、そよはCRYCHIC復活のために愛音や楽奈を利用したときも、客観的に筋の通らない言動はしなかったし、罪悪感も抱いていた。
そよの心はたしかに条件付きの愛情に囚われてバランスを欠いてはいたが、ちゃんと愛情の相互作用の中に彼女はいて、人として大事な心は育まれていたのだ。