vol.6 西院春日神社
「春日神社って、奈良の?」
「ううん、京都の」
カウンターに背を向けて、100円のおしゃれな入れものにスプーンやフォークを並べる。
忙しいランチタイムを過ぎ、一息つける貴重な時間。
ランチタイムの助っ人も帰ったあとなので、プライバシー もそれなりに守られる程度のスタッフしか残っていない。ちなみに今は3人。私と穂香と奥に1人、無口な男性スタッフが黙々と食器を片付けていた。
「え? 春日神社でしょ?」
「そうなんだけど。春日大社じゃなくて。西院春日神社ってとこで、京都にあるの」
「へー」
興味なさそうな返事に、少し不安になる。
「それで、いつにするの?」
「今度の祝日! 一緒に休みとったじゃん!」
ああ、やっぱり忘れてるよ!
休み前に話をふって良かった。西院駅で待ちぼうけを食らうとこだった。
忘れ去られた悲しみと確認がとれた安堵感に頭を垂れていると
「いらっしゃいませー」
穂香が扉についた鈴に反応して、振り返った。
阪急西院駅から徒歩5分。
ネットで駅の出口の番号まで調べたおかげか、迷わずに辿り着くことができた。
とはいえ、まだ社務所しか見当たらない。社務所が近づくと、社務所の向こうから男性の声が漏れ聞こえてきた。あちらが境内だろうか。手水捨について、杓子に水を満たす。あ、先にハンカチ出しておけば良かった。鞄の中を捜しながら、何度も繰り返した後悔に肩を落とす。
「春日大社って縁結びだっけ?」
「春日神社は厄除けと病気平癒だったと思うけど」
「春日大社とはなんの関係もないの?」
「え、どうだろ」
私は慌ててスマホをとりだすと、すぐに検索をかけた。穂香は鞄からハンドタオルをとりだして、手を拭いていた。
「全く関係ない訳じゃないみたいだよ。春日神を祀ってるから春日神社って呼ばれるんだって」
「それで?」
「春日大社からかんせい? をうけた神様を春日神って言うらしいよ?」
「だから、春日神社っていうの?」
「そうなんじゃないかなー?」
穂香はハンドタオルを仕舞いながら、私のスマホを覗く。
「なに見てるの?」
「ウィキ」
「へー」
私は穂香が見易いようにと、体を傾けた。少しして、近づいた体が離れていく。文面を読んだ気配はない。
社務所前の道を抜けると、境内の全貌が見渡せた。
社務所横の赤い布をまとったベンチで、おじさんからお兄さんまでが団体で何かを話し込んでいる。今まで参拝した神社でたまに見かけた光景だ。神社がご近所さんの憩いの場になっているんだ。私はその風景にただ和んでいたのだが、穂香はそれを見て昔ながらのいい風景だと、おばあちゃんみたいなことを言っていた。でもどうやら今回は、穂香のいう昔ながらのいい風景ではないらしい。話し込んでいる人たちは、一様に法被を羽織っていた。
「なんかお祭りでもあるの?」
「なんか、色々やってるっぽいよ?」
参拝をするのに邪魔になるスマホを鞄の中にしまう。
「なに情報?」
「ウィキ」
さっき見てたやつかと、興味なさげな相槌だけが返ってきた。
「なんか、私たち意外にもいるね。御朱印ガール」
拝殿に向かう途中、もうひとつの鳥居を見つけた。その鳥居から二人の女の子が歩いてきた。すれ違って、彼女たちはきょろきょろしながら社務所の方へ向かっていく。
「ガールに遭遇するのはじめてじゃない?」
「そうだね。見るからに遭遇しましたって感じは初めてだよね」
本殿を前にして、穂香が立ち止まる。つられて私も立ち止まった。
「どういう意味?」
「いや、参拝客が御朱印ガールだけなのはってことだよ。普段ならおじいさんが談笑してたりさ、いや、お寺の人じゃなくてだよ?」
「うん。それは分かったよ」
穂香が小銭入れをとりだして、5円玉を準備する。
「まあ、たまたまだろうけど」
「なんか、嬉しいね」
階段を登り、立ち止まる。
一礼して賽銭を挙げ、1歩下がる。
本殿と向き合い、二礼して二拍手。
そっと目を閉じる。
そして、一礼。
再び本殿と向き合い、階段を降りた。
穂香は先に終え、階段の下で待っていた。
「おまたせ」
「御朱印帳買うんでしょ?」
「そう! すごく楽しみ!」
「なんか間違ってる気がする」
あまりにテンションが上がりすぎたせいか、穂香から不審な目で見られた。
慌てて言葉を探す。
「いや、もちろん分かってるよ。御朱印はスタンプラリーじゃないって。神聖なものだって。気軽にやっちゃダメだよね! じゃないか! 軽い気持ちでやっちゃダメだよね! 楽しいってだけでやっちゃダメだよね! 行楽気分なんてもちろんダメだよね! まさか自己満足だけなんてそんな! だって私、お願いはしてないよ!?」
「お願いがないだけじゃなくて?」
どうこの気持ちを表現すればいいのだろうか。答えがはっきりとでていないせいで、グダグダな言い訳をのべるだけで終わってしまう。
だから、穂香はさらに不信感を募らせたのだろう。私はただただ、肩を落とすしかない。
「確かに。ないね、お願い。みんなどんなこと話してるんだろうね、神様に」
「私はお礼してる」
「ああ、だから早いんだね。穂香は」
「なんであんなに遅いの? あんたは」
砂利道を踏み鳴らしながら、社務所に向かう。
「なんか、無を待ってる」
「お経でも唱えてんのかと思ってた」
「お経はねー。なかなか覚えられないよねー」
「試したんだ?」
「うん。お経じゃなくて祝詞だけど」
「凄いね」
普段通りの穂香なのに、心のこもってない相槌に寂しくなった。
社務所に着くと先程の御朱印ガールが何かを待っていた。脇に立ち、私たちも静かに待つ。少しして巫女さんが御朱印をもって出てきて、御朱印ガールに手渡した。
そして私は御朱印をお願いした。
巫女さんがまた、中に入っていく。
ふと、台に張られた紙に目が止まる。
張り紙には概ね、こんなことが書かれていた。
【授与品は頂戴するのではなく、受けるものです。】
私はさっき、なんと言っただろう。
「御朱印帳を頂けますかって、ダメ、だったかな」
聞くと、穂香は張り紙を確認して、
「そうかもね」
なんともない声で返事した。
そしてすぐに境内に目を向けた。
「摂社があるみたいだから、後で行こう」
私は今度こそ、泣き出してしまいそうだった。
「紗奈?」
「礼節ってなんですか」
泣きそうな私の顔を見て、穂香がドン引いたのが分かった。めんどくさそうな顔をして、穂香はため息をつく。
「大丈夫じゃない? そんな心狭かったら、神様なんてできないでしょ」
なんだ、偉そうに。
「穂香のバカ」
「礼節より、語彙力磨けば?」
怒りに涙は引っ込んだ。
「穂香のバカ」
「はいはい」
言葉で頭を撫でられている気分だ。余計に腹立たしいが、穂香は口が悪いだけで悪意はない。悪意はない。自分に言い聞かせながら、わざと頬を膨らませた。
神様は私じゃない。神様はきっと、心の広い人だ! でも、甘えずにいこう!