「水色諸事情」固定観念とそれが解けた話
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またまた水色諸事情の話です。(この記事の概要)
色んな所で書かせてもらいましたが、卒業公演という大事な時にanew りこぴんのために書き下ろしてくれた曲を2曲しかない自分のパートで披露してくれてとても嬉しかった。
私が言うのもおこがましいですが、anewというまだ小さなアイドルのしかもソロ曲がこんなに大きなステージで披露されている!!
この歌唱ではる陽ちゃんは主旋律を歌っているわけではないんですよ!
原曲のはる陽ちゃんパートのハモリの部分はそのまま歌っているのです!
私は水色諸事情が誰にも負けないくらい大好きです!!その好きが深まりすぎて思い入れがありすぎて聴きたいという欲求はありましたが、ソロで公の場で歌うことに対して正直複雑な思いがありました。
嫌だ!とかではなくて、聞きたいんだけど大事な物としてそのまま取っておきたい。みたいな感じです。
ただ今回の映像を見てそのわだかまりが解けて、生誕記念でできた水色諸事情という曲そのものの物語の広がりみたいなものを感じるようになったのでその辺について簡単に書いていこうと思います。
※あくまで個人的な感想・解釈です。
原曲を聞いてない人は必ず聞いてください。できれば歌詞を見ながら
ソロ歌唱のダイジェスト動画をはる陽ちゃん本人が載せてくれていますので見てください。
小さなガラス細工なのに覗き込むと数多の世界に見える(音源での曲の解釈)
この曲の成り立ちから、はる陽ちゃんの頭の中にあったメロディがりこぴんという存在と重なることで現実世界に表れたように受け取っています。
2023年のりこぴん生誕で初めて会ってほとんど話せなかった日から少しずつ仲を深めて、お互いを想いあって出来た曲。
初めて聞いた時から涙がぽろぽろと出るくらい、りこぴんの曲であり、はる陽ちゃんの曲であり、自分の曲だと思いました。
この曲には『君』と『僕』が存在していてそれがこの曲の最大の魅力であり、自分ごとになってしまう魔法と言ってもいいくらいの世界が込められている。
君と僕に何を当てはめても、自分の中に当てはめた対象への愛情があれば、あらゆる関係性を内包してしまう。そんなとんでもない曲です。
この曲は2人で歌っていますが、どちらかか僕でどちらかが君という明確な役割分担ではなく、どちらともが僕であり君であると思っています。
これを言ってしまっては終わりなのですが、聞き手の解釈次第、曲の中での自分の視点の置き場で決まるので、思った通りでOKです。
1コーラス目2コーラス目は、一人語りなんだけど、落ちサビの「金曜の夜 待ち合わせ」から君の存在が明確になって来て、ラスサビでははっきりと向かい合って認め合う
という流れはどんな解釈をしてもある程度共通認識として成立していると思っていました。
この流れと2人の歌声の重なりがあるからこそ、この曲がこの魔法が成立しているんだと。
そして最後の『恋しい』をりこぴんが歌うからこそりこぴんの曲であるんだと。
ここが自分にとってのこだわりでした。これがあるからソロに対して若干の抵抗感があったのも事実です。
もっと凄い曲なんじゃないか?(生歌での新たな解釈)
そうやって曲を聴き込みながら、前半パートで寂しい気持ちでになり、後半パートで救われるという輪廻転生みたいなことを涙流しながらしていたんですが、
10/5、17のanew全員生誕祭にて披露された水色諸事情にまた衝撃を受けました。
一人で音源を聞いてるときは前半パート、特に1コーラス目で悲しい気持ちになっていたんですが、生でりこぴんの歌声を聞いて表情を見たときに、「そういう気持ちを分かってあげられるよ」って優しく包み込まれた感じがしました。それを感じてからは、今まで曲から感じてた悲しさ・寂しさ、孤独みたいなものとは逆で慈悲や優しさが溢れていました。
特に落ちサビ以降の2人で歌う部分なんかは、愛はここにあるよ!!!みたいな幸せな空間で、凝り固まった自分の曲へのイメージも溶解してただただ2人が作り出すあったかい世界に心地よくて幸せっていう温泉に浸かってるくらいの気分でした。
この経験をしたことで、歌い方でここまで曲から受け取る印象が変わるのか!!!セカンドインパクトを受け、水色諸事情の歌い手への曲の委ね方、自由度が相当に大きいことに気づきました。
自分で歌うシンガーソングライターがゆえなのか、はる陽ちゃんがとにかくすごいのか。
そしてソロ歌唱
そうやってだいぶ自分の思考も柔らかくなっていましたが、君と僕、あたしとあなたについて2人で歌うから、そして恋しいをりこぴんが歌うから水色諸事情なんだという固定観念は若干ですが残っていました。
そんな中での、はる陽ちゃんのあの映像です!!!
正直ソロ気になるし聞いてみるか、というくらいの気持ちで再生しましたが、そんなレベルではありませんでした。
これが卒業公演であり、その人へ向けた歌だったからです。
2人で歌うべき曲を一人で歌う。
2人でハモるところは一人でハモリパートを歌う。
曲としては全然成立しているし、良い曲なんだけど、
圧倒的に君がいない!一緒に紡いできた思いが、持っていた感情が一方的に伝えることしかできなくて、あなたがいなくなることが浮き彫りになってて!!
愛情や感謝を送ることはできるけど、受け取る人が去ってくことも認識してしまう。
そんな風に、卒業ソングとして聴けてしまっているし、
恋しいがちゃんとリアルな恋しいで
この時の水色諸事情はこのための水色諸事情だった。
水色諸事情最高!!!!!!!
音源を一人で聞いているとき、その中で僕と君をいろんな関係性で考えたとき、
anew全員生誕祭で聞いた時
はる陽ちゃんのソロを聞いた時
全てが違ってすべてが水色諸事情でした。
大前提として紬祇りこのソロ曲としての存在が1番にあるけど、それでこの曲の広がりを制限するのは曲に対して失礼だなって思った。
まぁ、私になんの権限もないので何言ってんだ?って感じではあるんだけども、好きすぎて拗らせかけてたファンが曲の懐の深さと曲が広げていく物語に期待をもって改心した話でした。
はる陽ちゃんバージョンの音源出るの楽しみだしライブでも聞きたいね!
りこぴんの歌でもまた聞きたい!!
何回でも聞きたい!!!
水色諸事情最高!!!!!!!