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「仕手株」と四季報から消えた驚愕のコメントとは?
「資力」を尽くして戦う仕手戦は、天下分け目の「関ヶ原の戦い」のように、売り方と買い方がまさに「死力」を尽くして戦うガチンコ勝負だ(imasia)
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今回は【特色】欄について書いてみたい。ただ、今回は視点を変えて、以前は記載されていたが、現在はなくなってしまった気になるコメントについてである。
【特色】欄は、社名欄のすぐ左隣にある欄で、自己紹介で例えれば、社名は「私は○○と申します」の自分の名前にあたり、【特色】欄は「私は現在、○○をやっています」の自分の特色にあたる。この【特色】欄は、第3回コラム「【特色】欄に感動! へぇー、ほー、はー」ですでに書いているが、その中で紹介した「松井建設
の例を見てみたい。
同社の現在の【特色】欄は「1586年創業、社寺建設で優れた技術」となっているが、かつては「加賀前田家の城大工として創業」と書かれていた。城大工と書かれているほうが、なぜ「社寺建設で優れた技術」を持っているかの理由を理解しやすかった。
このように、以前は書かれていたが、現在はなくなってしまった【特色】欄の気になるコメントがいくつかある。記憶に残るほどのコメントは、自分自身でさらに突っ込んで調べてみるので、まったく違った、新たな発見に結び付くケースが多い。その具体例をさっそく紹介しよう。
四季報認定の仕手株
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まずは中堅医薬品メーカーの「科研製薬
だ。1985年2集から86年3集までの四季報【特色】欄には、「制ガン剤で話題、仕手株」と書かれていた。「仕手株(してかぶ)」と書かれると、ちょっとドキッとするが、古い四季報では「仕手株」と書かれている銘柄は少なくない。今では考えにくいが、いくつかの銘柄は会社四季報に「仕手株」として“認定”されていたのだ。
ではそもそも「仕手株」とは何か?
最近の報道では、出来高を伴って、突然株価が急騰したものを大抵「仕手株」と呼んでいる。しかし、本来の意味合いはちょっと違う。ウィキペディアでも、「仕手、あるいは仕手筋とは、人為的に作った相場で短期間に大きな利益を得ることを目的に、公開市場(株式、商品先物、外国為替等)で大量に投機的売買を行う者のことをいう」となっているように、仕手株とは人為的な相場の株であるのは間違いない。
ただ「仕手戦(してせん)」という言葉があるように、株価を買い上げたい「買い方」と、株価を売り崩したい「売り方」が、二手に分かれて、自分の財力の限りを尽くして、つまり「資力」を尽くして戦う、がっぷり四つの真剣勝負の意味合いが強いのだ。
さらに専門用語では買い方の総大将を「買い本尊」、売り方の総大将を「売り本尊」と呼ぶ。これは、天下分け目の「関ヶ原の戦い」のように、西軍の総大将(西軍の本尊)石田三成と、東軍の総大将(東軍の本尊)徳川家康が二手に分かれて、まさに「死力」を尽くして戦うのと似ている。
イングランド銀行とジョージ・ソロス氏との攻防も壮大な“仕手戦”だった(写真はイングランド銀行、imasia)
そう考えると92年秋に発生した、イギリス通貨ポンドが急落した「ポンド危機(別名:ブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日))」も、ある意味、壮大な仕手戦だったと言えそうだ。
ポンド危機の場合、売り方はポンドを売り崩したいと考える、世界的に著名なヘッジファンドのファンドマネジャーのジョージ・ソロス氏で、一方、買い方はポンド防衛のため何とかポンドを買い支えたいイギリス中央銀行のイングランド銀行という、超大物同士の一騎打ちだった。完全に本尊同士のガチンコの構図である。結果は売り方のジョージ・ソロス氏の勝利で、ポンドは急落し、ソロス氏は巨万の富を得たわけだ。
現在の日本の株式市場では、このような取引は金融商品取引法上で「相場操縦」に抵触するおそれもあり、ほとんどみられなくなった。健全な市場ということではよかったのかもしれないが、相場ということでは少し寂しい気もする。
薬品株乱舞の次に来るもの
さて85年当時の四季報で、科研製薬がなぜ「仕手株」とされたのか? それは当時「抗がん剤」が株式市場の一大テーマとされ、医薬品株に人気が集中し、科研製薬も「制がん剤の話題」で仕手株化し、株価が急騰したからだろう。
84年前後は医薬品株が軒並み大相場を演じた。中でも「持田製薬
」は抗がん剤の本命として、最後の相場師と呼ばれた超大物が「買い本尊」となり、それこそ本物の仕手株として株価はおよそ10倍になった。ちなみに1984年の年間売買代金ランキング1位も持田製薬で、2位の「大日本製薬(現・大日本住友製薬、)」と合わせ医薬品株がワンツーを占めた。
2014年の年間売買代金ランキングは1位がソフトバンク、2位がトヨタ自動車なので、当時の「抗がん剤」をテーマにした医薬品株がいかに人気化したか想像いただけるだろう。また株価は84年前後の1、2年で持田製薬が10倍、小野薬品工業が5倍、大日本製薬と科研製薬は4倍に大化けするというすごい相場だった。
最後に、この話題から何を発見したかだ。それは、医薬品株の大相場が出現した後は、株式相場全体が堅調な展開になることだ。そもそも80年以降の相場で、医薬品株がここまで人気化した例はほとんどない。科研製薬が「仕手株」とされるぐらい医薬品株が活況だった84年前後以降、日経平均は非常に堅調な展開になった。1万円強だった日経平均は、その後およそ5年で4倍弱の3万9815円の史上最高値まで上昇したのだ。医薬品株の活況は、あたかも来るべき大相場の前哨戦のようであった。
実はほとんどないはずの医薬品株の活況が、2013年前半に「バイオ相場の活況」として出現している。つまり「バイオ相場」の出現は、これから来るべき大相場を示唆しているのかもしれない。というより、足元で大相場はすでにスタートしていると認識して、銘柄選びをしっかりしたほうがよいのかもしれない。