見出し画像

この夏僕が車を買った理由と昔の話

今年のお盆休みを利用して、車を買い替えた。

きっかけは、お盆休み初日の8月11日に日帰りのドライブ旅行をしたことだった。
いつもは助手席に座る妻がその日は仕事で不在だったため、僕の子供3人に加えて近所に住む母を誘って千葉県にあるホキ美術館に日帰り旅行をした。

普段は遠出に誘うと「ガソリン代がもったいない」「あちこち連れまわされると疲れる」と憎まれ口を叩く母が、その日は久しぶりの遠出だったらしく、口には出さずとも機嫌がよく楽しそうにしていた。
その日の道中で母が「半年前に〇〇ちゃん(10年買った飼い犬)もいなくなったから、『ようやく自由に旅行にいける~』と思ってたのに、いざとなると腰が重くてどこにも行けていないよ。一人じゃ張り合いがなくてねえ」とこぼしていたのも気にかかった。
本当は僕の家族5人の外出に付いていきたいが、我が家のフリード(HONDA)は5人乗り仕様のため、妻がいるときは諦めていたのも知っていた。

今のフリードは今年で10年選手になるが、週末利用のみの我が家では総走行距離は5万8千キロ程度で現役バリバリだ。昨年の車検時には、「大きな問題はないため、まだ3年~5年は乗れるでしょう」と整備担当者から言われていた。子供の教育費負担は我が家でも悩みの種だし、いざとなれば大型車をレンタカーで借りることもできるので、フリードには動かなくなる最後のその日までお世話になるつもりでいた。しかし、大型レンタカーを借りるとなると「もったない」星人の母を外出に誘うハードルが一気に高くなる。
「そうだ、京都に行こう」のノリで突然外出を決める僕にとっても、レンタカーの予約や手続きは絶妙な面倒さもある。

そこで車の席数の拡充を目的に、車の買い替えを考え始めたというわけだ。
結果、お盆休みの3日間で3店舗のディーラーを回って7人乗りのシエンタを購入することに決めた。

車を買ってみて僕が思ったこと。

振り返って考えてみると、僕は決してシエンタが欲しかった訳ではなかった。
元々それほど物欲のない僕は、車に対しても特にこだわりはない。(だから新車も妻の好みで決めた笑)
僕が叶えたかったことは、「母が健康なうちに外出する機会を増やしてあげたい」という、愚息の気まぐれな親孝行だ。
つまり「モノ」ではなく「思い出作り」に対価を支払うだけの”価値”を感じたのだ。

車探しのプロセスで、1社目の商社マン時代のことを思い出していた。当時の業務内容は鉄板を売り買いする仕事だったが、日々PCにかじりついて膨大な手配業務をするだけの仕事に意義を見出せず、6年間勤めた会社をあっさりと辞めた。
僕が鉄板を売っていたお客様はトヨタの部品メーカーの1社だった。だから、大きくとらえると車づくりのサプライチェーンを支える仕事をしていた。それでも、車自体にそれほど興味もなかったし、年も若かったため車を買う人を身近に感じる機会も少なかった。上司に伝えた退職理由は「モノではなく、もっと人の役に立てる仕事がしたいから」だった。

それから6年の歳月が流れた。その間、2度の転職を経験し家族も増えた。
もし今6年前に戻って、当時の自分と話すことができるなら、こんなことを伝えたい。
「よく聞け、オレ。お前がやっている仕事はPC作業ではない。鉄板売りでもない。車づくりですらない。それは、車を買う人が車に求めている”価値”づくりなんだ。それは限られた人生の『かけがえのない思い出作り』という価値かもしれない。家族のために働く父ちゃん母ちゃんの『通勤のパートナー』という価値かもしれない。思春期の子どもを学習塾へ送る移動時間にささやかな会話を交わす『親子のコミュケーション空間』という価値かもしれない。そうした色んな背景を持つ人々の人生の中で、車を買い求める人が必要とする価値を想像してみろ。目に見えてる狭い世界で仕事の意義を考えてんじゃねぇ」

仕事は分業化されるほど、仕事のやりがいは感じにくくなる。

特に商社のようなBtoBビジネスや本社の管理業務のようなナレッジワーカーは、直接サービスが生み出される現場から遠いため、自分の仕事の意義を感じにくいとされている。
だからこそ、意識的に自分の仕事の意義について考えていないと、仕事は無意味な作業の連続になってしまう。その時に大事なことは、自分と同じように様々な事情や想いを抱える購入顧客が、仕事が生み出した価値を受け取ったときの変化や感動を具体的にイメージすることだろう。
今回の僕のように、自分が顧客になってみたり、顧客体験をした知人にインタビューをするのは、価値を体感する最も有効な方法だと改めて感じた。

「仕事は客のためにするもんだ。 ひいては世の中のためにする。 その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる。 自分のためにした仕事は、内向きで卑屈で醜く歪んでいく。」
僕の尊敬する半沢直樹先輩のしびれるセリフだ。
また僕が仕事の意義がわからなくなったときは、この言葉を思い出したい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?