プロレス名言活用研究所~ボブ・オートン編

(出典名言)
 「それに耐えるだけの肉体を作るのが、プロレスラーだ」
 
 この名言は、ビッグOことボブ・オートンの言葉である。
 力道山が国内で本格的にデビューする前、全米を遠征しプロレスラー修行をしていた頃のことである。強烈な空手チョップに、おののいたレスラーたちが「あのチョップは反則だ」と抗議し、空手チョップ禁止を訴える動きがあった。それに対し、オートンが、
 「あの打撃技にやられたのなら、それに耐えるだけの肉体を作るのが、プロレスラーだ。それを禁止してくれ、と泣きつくような弱虫は、プロレスラーをやめてしまえ」
 と言ったのだそうだ。そして、実際に力道山の空手チョップを正面から受けたそうだ。
 まさにビッグOである。オバケのQ太郎の弟は、O次郎である。バケラッタ。僕の友だちに大月君という人物がいるが、あだ名がO次郎であった。彼は喫茶店でアイスミルクを注文して、「これ牛乳じゃん」と言ってみたり、ゲーセンで人形型のパンチング・マシンを、足も使ってボコボコにしていたら、店員に「壊れるじゃねえか」といきなりボコボコにされかかったり、愛すべき男なのである。
 
 ボブ・オートンと言えば、息子はご存知ボブ・オートン・ジュニアであり、孫はボブ・オートン・ジュニア×2(キョンキョン風に)ではなく、ランディ・オートンである。
 ボブ・オートン・ジュニアと言えば、アドリアン・アドニスとのタッグは、センセーショナルであった。ハイジャック式のパイル・ドライバー、バックドロップ&ネックブリーカー等、テンポよく大技が繰り出され、子ども心に鮮烈な印象が残っている。ちなみにやられていたのは主にキムケンであった。
 このタッグは、長くは続かなかったけれど、ブラック・ハーツ、ステイト・ポリス、ディートン・ブラック組、双子のケリー・ツインズなどと並ぶ心に残る名タッグであったことは間違いない。多分。
 
(使用例)
「残業すると疲れますね」
「何を言っているんだ。それに耐えるだけの肉体を作るのが、サラリーマンだろ!」
「そ、そうですね。すみません」
「ところで、オレは腹が減ったから帰る。後は頼んだ」
 ほぼ実話です。
 
 彼女とベッドイン。
「大丈夫?もう三回目よ」
「それに耐えるだけの肉体(一部分)を作るのが、男だ!」
「さすがビッグOね」
 
(総評)
 まさに男気あふれる名言である。実際のオートンも男気あふれる大物で、息子のオートン・ジュニアもその血を引き継いでいるそうだ。ランディについては、レジェンド・キラーと呼ばれていることと、史上最強の助っ人と呼ばれていることぐらいしか知らない(ランディ・バースである)。
 ランディがキムケンと対戦すれば、データが入るのは間違いないのだが(無理)。ランディよ、キムケンから逃げるな!(アメプロ・ファンの皆さん、すみません)
 
 しかし、このオートンの言葉がなければ、力道山は空手チョップを使わなくなった可能性もあり、実は大きな意味を持つ名言だったかもしれない。この逸話は当時のアメリカのレスリング雑誌でも大きく取り上げられたそうで(菊地孝さん情報)、ビッグOの影響力は偉大であり、力道山も助けられたであろう。
 力道山と言えば、米国ではリッキードウゼンなんで呼ばれたりしたらしいが、最近「南海の黒豹」リッキー・スティムボートが、華麗にアーム・ドラックを連発している夢を見た。夢占い的にはどういう意味があるのだろう?(間違いなく意味は無い)。そのうち耳鳴りでライディーン(リッキーの入場曲)が聴こえてくるのだろうか。
 
 プロレス記者で解説者の菊地孝さん。その名前が出たところで、ほとんどの方が思い出したであろう、カツラを・・・いや、違った。プロレス解説といえば、田鶴浜弘さんを。プロレス・マスコミの草分けと言われ、全日本プロレスの解説で活躍された田鶴浜さんの名言と言えば、これだ!ワン、トゥ、スリー
 「僕はねえ、ドリーが好きでねえ」。
 ただの私的な発言である。
 
 ところで、力道山と言えば、当時人気絶頂だった、プロ野球ジャイアンツ戦になぞらえて「ファンは王や長嶋のホームランを見たくて、球場に行くのだろうが、毎試合ホームランは打てない。だけど、俺の空手チョップは毎試合見れる」と言ったそうだ。
 この言葉を聞いて、地方の6人タッグで、最後ちょこっとだけ出てきた猪木が、延髄切り一発で試合を終わらせてしまったことを思い出した。相手のアニマル浜口は、やる気まんまんで出てきて、一発食らって、ひとりサマーソルト・ドロップ。そして、カウント・スリー。誰もが温かい時代であった。

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