大学生の夏。備忘録。〈追加〉
みんな違うバックグラウンドがあって、みんなちがって、みんな良くて、みんな分かり合えるはずがないのだ。しかし、これと相反する形で「対話」への可能を感じた。とても変な話だ。
2週間の合宿を通して、自分がいかに経験不足であるかを実感させられた。特に、人間関係のいざこざに関しては問題解決力が著しく欠如しているなと思わされた。微妙な空気の仲介者となる経験があまりにもなさ過ぎた。正直、全ては時間が解決してくれると信じている人間なのだが、2週間という限られた条件下に置いては時間など通用しないに等しいのだ。その微妙な空気をどこまで改善できるのか、切り替えの補助を私は経験しておくべきだったし、できたら、実施できる形に持っていけるようにするべきだった。私は今までの人生、人との対立は必要以上に避けてきたし、親であっても向き合う努力をしてこなかった。本当に後悔している。人間としての未熟さが露呈してしまった。私は場の空気を乱すことはしないが、必ず同時に我慢の犠牲者を生み出していた。私か誰が我慢すれば、穏便に事が進み解決するのだと。しかし、対話ないし世界の諸問題にそれは禁忌である。そうやって、世界情勢の均衡の為に虐げられた人々が今苦しみの声を上げているのだ。
私は今回このよう世界の諸問題を内面化してみたが、他人事と捉えない自分事にする!ということが必ずしも内面化することだと限られる訳ではないと思うし、お前はこんなところでモヤモヤ、うじうじしていたのかと呆れられてしまうだろう。賛否はあるだろうが、私なりの解釈にあなたの良心を向けてほしい。