東日本大震災復興の裏側で起こっていたこと。「生きる"大川小学校津波裁判を闘った人たち"」レビュー
「学校が子どもたちの命の最後の場所ではあってはならない。」
これは「大川小学校津波裁判」で裁判官が放った言葉です。
これは震災だけでなく、いじめ、事故、全てに言えることであり、この裁判はメディアに多く取り上げられました。
「砂にまみれた娘の目を自分の舌で清めるしかなかった」
「何度も何度も殺された気持ちになった」
「ゴミの中から我が子の遺体を掘り起こす気持ちがわかるか」
胸を突き抜けるような言葉が遺族の言葉として劇中で語られてゆく。走れば1分足らずで登れる裏山があったのに、なぜ我が子は死ななければならなかったのか。明らかになっていない学校側の過失、信じられないような市長の発言。ただ自分の子どもの最期を、その時何が起きたかを、真実を知りたい。その一心で遺族達は裁判に踏み切りました。
今回はその裁判で勝訴を勝ち取るまでのドキュメンタリー、「生きる"大川小学校津波裁判を闘った人たち"」のレビューをしていきます。
裁判に至った経緯
2011.3.11に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市の大川小学校は津波にのまれ、全児童の7割に相当する74人(うち4人は行方不明)と10人の教職員が亡くなった。地震発生から津波が到達するまでの51分、津波情報は学校側にも伝わり、スクールバスも待機していた。にも関わらず、この震災で大川小学校は唯一多数の犠牲者を出した。この惨事を引き起こした事実・理由を知りたいという親たちの切なる願いに対し、行政の対応には誠意が感じられず、その説明に嘘や隠蔽があると感じた親たちは真実を求め、石巻市と宮城県を被告にして国家賠償を求める提訴に至った。(本作パンフレットより引用)
原告となった遺族には「金が欲しいのか」と多数の誹謗中傷、さらには「殺す」「火をつける」などの脅迫文が送付され、逮捕者が出る事態にまでなりました。愛しい我が子を失い、真実のために戦う遺族に対したこうした誹謗中傷に対し、人間はここまで愚かになることができるのかと、本裁判を担当した斉藤弁護士はトークショーで涙ながらに語っていました。
また、日本における裁判では、どうしても「請求の内容を特定する」必要があり、いわばそれは原告である遺族らに対して「我が子の命の値段」をつける必要がある。無知な私はそれが必ず必要とされる国家賠償裁判の仕組みに愕然としました。
個人的感想
最初に強く印象に残ったのは、一番初めにドキュメンタリー映像として流れた、震災から8日経った後、遺族達へ向けた学校側による第一回遺族説明会の映像です。その映像に写っていたのは、学校側の謝罪と現場にいた唯一の教師の生存者、遠藤先生の「その時」の状況説明をする様子でした。遺族達の悲痛な声、真偽を疑う声や野次、またそれを止め最後まで先生の話を聞こうと促す他の遺族、さらには説明会中にまだ続いていた余震の様子まで写っており、あまりの緊張感や生々しさに息を止まるような思いで観ていました。余震が始まった時に一人の母親が、「まるで思い出させるみたい」と静かにそして嘆くように放った言葉に色んな背景が想像できてしまい、胸が痛くなりました。
映画の中では、そうした説明会の様子や教育委員会による誠意のない謝罪や現場検証の結果報告会の様子が淡々とながれて行きます。証拠隠滅や証言捏造といった不法行為が明らかになる中、石巻市長が遺族に対して放った、「これは宿命だ」という信じがたい発言。仕方がなかったとでも言いたいのか、ふざけるな。
そんな行政に対し、必死に真実を求めようと戦う遺族の様子は言葉にできない込み上げてくるものがあります。それと同時に、裁判が終わり、今も続く遺族たちの日常も描かれており、津波が来る前のごく普通の日常の片鱗や、波に揉まれてボロボロになった亡き娘のランドセル、娘が着ることができなかった美しいドレスを着た絵を飾る家族、妻も子供も失い漁師になって感情をおし殺してきたと話す父親。真実を知ったとしても、お金が手に入ろうとも決して言えることのない遺族たちの心の傷が真っ直ぐに描かれます。
遺族に焦点を当てて感想を書きましたが、その遺族に寄り添い必死で戦った弁護士の姿も非常に考えさせられるものが多くありました。
あまりに無知なもので彼らが劇中で放った言葉の意味をしっかり理解するため勉強中であります。遺族たちが提起した国賠訴訟で石巻市や宮城県の責任が認められるために証拠を集めることは、「我が子が死ななくてすんだ」ことを自らが証明することに他ならないと、齋藤弁護士は話しています。このような事実に耐え抜き、戦った彼らの10年間をぜひスクリーンでご覧ください。