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からっぽのランドセルを背負った大人

昭和の子供時代、スマホやゲームはなかったが、それでも今の子供達よりもはるかに、やんちゃで自由だったと思う。
あの頃の私は、いったい何を思い何を考えていたのだろう。


今日も夕方、ランドセルを背負って運動靴やらスケッチブックやら荷物をたくさん持って歩いている小学生を見かけた。
家に帰って、これからまた塾へ行くのだろう。

チビだった小学生の私は、学校ではいつも前から2番目だった。
初めて背負ったランドセルはそれはもう大きくて、ランドセルが歩いているかのように見えたことだろう。
小学1年生の教科書が何冊あったのか記憶にはないが、私にはかなり重かったのだと思う。
初めて教科書を受け取ったその日、私は全ての教科書をそのまま学校の机の中に入れて、からっぽのランドセルを背負って家に帰って来た。
これで毎晩時間割の教科書を揃える必要はないだろう。
宿題の教科書だけを家に持って帰ったら、毎日重い教科書を持ち歩かなくてもいいだろう、と考えていたのかも知れない。
もちろんその後、親にこっぴどく怒られたのはいうまでもない。

そして私は、社会には従わなければならないことがあるということを学んだのだった。


noteの中で、優しい色使いの素敵な手書きのイラストに出会うことがある。
最近のAI画像にはびっくりするものの、やはり私は手書きの作品が好き。

初めて絵の具で絵を描いた小学生の時の図画工作の時間。
絵の具セットの中には、いろいろな色の絵の具チューブが並んでいた。
しかし私はいったいどのくらいの量の絵の具を、パレットに出したらいいのかがわからなかった。
だからちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ絵の具を出して、筆には水をたっぷり付けて私は絵を描いた。
たぶん町の風景だったと思う。
やがて皆の描いた絵が壁に貼られた。
もちろん目立ったのは色があるかないかのような、うっすい色の私の絵だった。
その後、先生が私のパレットに絵の具をニュ~ッと出し、その量に私は驚くのだった。
今になって思えば、あの絵は水彩画としてあれはあれで良かったのではないかと思う。
決して芸術とまではいかないが、芸術とはそういうものなのではないかと思う。

そして私は、皆と同じでなければならないということを学んだのだった。


いつも鼻歌や歌を歌いながらニコニコご機嫌の人。
そんな人が私は羨ましい。

それは小学校高学年の音楽の時間だった。
自分ではちゃんと歌っているつもりだったのだが、先生の目に留まってしまった。
「もっと大きく口を開けろ!」
「もっと大きな声をだせ!もっと、もっと」
先生は持っていたチョークを私の口の中に差し込み、何度も何度も「あ~」の発声をさせられたのだった。
その時間の長かったこと。
クラスの皆が黙ってその時間を待っていた。
それ以来、私は歌を歌わなくなった。
今でも私はカラオケに行くことはない。
そして私はあの頃から、クラシック音楽を聴くようになり多くの素晴らしい曲に出会うことができた。
音楽室にはバッハやモーツアルト、ベートベンの肖像画が飾られていたのを思い出す。

そして私は、人生にはクチパクでごまかすということも必要だと学んだのだった。


世の中の先を常に見通し、考え行動できる人は素晴らしいと思う。

全校マラソン大会という体育祭があった。
どのくらいの距離だったのかは覚えていないが、
毎日、犬を連れて走って散歩をしていた私には少し自信があった。
一人抜き、二人抜き、やがて私はトップを走っていた。
そして最終コースに入った時だった。
私の後ろにピタリと付いていた数人が、ものすごい勢いで私を追い越して行ったのだ。
私にはもうその人達を追う余力はなかった。
結局、賞を取ることは出来ずマラソン大会は終わったのだった。

そして私は、人生は、やみくもに走るのではなく戦略というものが必要だということを学んだ。


様々なことを学び、大人になった今、
子供の頃の学びは、いったいどれだけ生かされて来たのだろう?
今でも心の中のどこかに、小学生の頃の自分がいる。
もしかしたら本質は何も変わっていないのかも知れない。
からっぽのランドセルを背負った大人の私。
どうやらこれが私という人なのだろう。


お茶にしましょう
子供の頃のおやつといえば
金のくちばし 銀のくちばしおもちゃの缶詰は
当たらなかった チョコボール ♪〜
やめられない止まらない〜
かっぱえびせん 🎶


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