櫻坂46「隙間風よ」MVの(たぶん)最速解説
昨日放送されたNHKスペシャル「OSO18”怪物ヒグマ”最期の謎」に見入っていたら完全にMV公開を忘れていました。さすがNHKと言わんばかりのドキュメンタリー。ドローンを駆使した大自然の映像に國村隼さんの不気味なナレーションは完全にコクソンでした。確信犯だろ。
さて、公開された「隙間風よ」のMVもなかなか見ごたえのあるものでした。表題曲の「承認欲求」とはガラッと異なるテイストで非常に対比しやすいです。
池田一真さんの得意技詰め合わせ
監督は池田一真さん。「摩擦係数」「流れ弾」「静寂の暴力」など櫻坂のみならず、乃木坂・櫻坂の作品も多数手がける、縁の深い映像作家さんです。
今回のMVを見て最も近いと思ったのは乃木坂の「最後のTight Hug」でした。一部でミッドサマーと言われた、薄ら明るい野外ロケに宗教的なモチーフを多用した映像です。
池田監督の特徴といえば、ワイドなカメラと硬軟織り交ぜたカメラワーク。多くのメンバーを横幅いっぱいに映したり、雄大な景色をとらえたりと、今作でもその長所をいかんなく発揮しています。
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均整の取れた画面を見せつつ、手ブレを感じるカメラワークでセンターの小林さんに徐々に近づくカットが生み出す絶妙な緊張感も見事です。
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正面カットの連続から生まれる異質な雰囲気
このMVの大きな特徴に、正面のアップが多いことがあります。前半から中盤にかけて、メンバー同士のビンタが何度も繰り返され、そのたびに正面カットが出てくるのです。ざっと分類すると、以下の2パターンに分けられます。
①真正面を向いた一人だけが映るもの
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②やや斜め向きで二人が向かい合った状態を同時に映すもの
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映画をはじめとする映像芸術において、「人同士の対話」を表現するのは難しいと言われています。向かい合った二人の顔を同時にとらえることができないためです。一般的にはカットを分けて、「イマジナリーライン(想定線)」と呼ばれる視線の方向を意識した切り返しが行われることが多いです。
しかし、そこからあえて外れた映し方で印象を残す作家も存在します。その代表格が小津安二郎です。「東京物語」など戦後を代表する日本映画監督の一人ですが、黒澤明に比べると知名度が低いかもしれません。淡々とした人間ドラマの映画が多いのも要因でしょうか。しかしこの人、撮影方法がおかしいのです。とにかく、会話シーンでイマジナリーラインを無視した真正面の表情が多用されまくるのです。Zoomミーティングみたいと言われたのも記憶に新しい。
これを見せられると、観客にとっては「視線の先に相手がいない」「なぜか自分が話しかけられている気がする」といった不自然な印象が出てきます。キャラクター同士の感情のやり取りを受け取りにくくなるので、本来多用は避けられるべきですが、それを逆手にとって代名詞にしてしまったのが奇人変人小津安二郎です。
また、真正面を避けて少し斜め向きにしたり、あるいは引いた手前の位置からカメラを向けたりすると、向き合った相手の一部を画面に収めることができます。しかしアップを映すレンズの特性上、一人にしかピントが合わずもう一人がぼやけることが多くなったり、表情が見えなかったりして、こちらも100%スッキリはしません。この効果を極端に活用したのが、テレビの「ウルトラマン」などで有名な実相寺昭雄さんです。人の視線をあえて邪魔するものを配置しまくった通称実相寺アングルで知られています。
脱線しますが、庵野秀明監督はアニメのエヴァシリーズ、また実写映画でも「シン・ゴジラ」などでこれらのカットを多用しています。コミュニケーションよりも音声情報をひたすら詰め込むタイプのストーリー運びを支える演出ですね。
従来の池田監督の作品だと、もちろんミュージシャンやアイドルのMVなので顔をアップにしたカットはありますが、ここまで極端に登場するのは「隙間風よ」くらいだと思います。この演出を池田監督が採用した理由を推測すると、歌詞で描かれたテーマに行きつくのではないかと思われます。
これまで秋元さんが何度も歌詞にしてきた「大人に理解されない」「周囲と分かり合えない」「自分の本音に素直になれない」といったコミュニケーション不全の心情を映像として表現するにあたり、直接的なビンタに加えて、顔の映し方でも不完全な感情を醸し出す工夫を施したのではないでしょうか。
極めつけは1番サビ前のモノローグパートで、目・口だけのアップに、突然現れたモノリス(石板)の間で歌い踊るメンバーたち。瞼、唇、石の間の空間といった視覚要素が曲名の「隙間風」ともリンクし、メロディーだけなら落ち着いているところを絶妙に不安にさせます。ファンでないと個々人を識別するのも難しいくらいの時空間の見せ方が見事です(ちなみに私、あんまり分かりません)。
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モノリスは何を表すのか?
ビンタや真正面カットに加えて、1番と2番のサビで象徴的な存在感を放つモノリスたち。「2001年宇宙の旅」では真っ黒でしたが、このMVでは真っ白です。ほぼ間違いなく意識して作ったのではないかと思ってしまう、キューブリックオタクです。
「2001年宇宙の旅」に登場するモノリスは、原生人類に知能を与えたり、宇宙のゲートを開いたりと、人類の英知をはるかに凌駕した超自然的な知的存在(雑に言い切ってしまえば「神」のようなもの)として描かれていました。完璧に磨き上げられたつやと幾何学的な形状もその証です。
そして、このMVに出てくるモノリスも近い存在かもしれません。歌詞に照らし合わせると「完璧な自分」「理想像の塊」ではないでしょうか。全く同じモノリスがメンバー一人一人の前に立っている点から踏み込んで推測すると、「一人一人が個性を求められているけれど、その実期待される役割は結局均質的になっている」という暗喩のようにも見えます。その無機質なモノリスに向かって問いかけ、また祈るようなしぐさを見せるメンバーたちは「期待像や理想像との葛藤」を表しているのかもしれません。こうしたシチュエーションは過去にも多く出てきましたが、激しい動きやダンスに頼らず静的な物質とのやり取りで表現した例は極めて珍しいと思います。
また、冒頭でメンバー花束のような草木を持っており、それらをモノリスの前に置きながら千切っているのですが、何かしらのお供えや弔いのようにも見えます。後述する燃える建造物のシーンとも合わせて、全体的に葬儀のような雰囲気が漂いますが、これが何を意味するのか。「理想像=虚像=巨大な亡霊」ということでしょうか。そう考えると、燃えていたものが欅坂の象徴とする説も納得いきます。
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2番のBメロから夜のシーンにが始まりますが、照明によって陰影がダイナミックに動いています。ここもワイド画面ならではの迫力です。でも山の野外ロケで夜間撮影、さらにこんな大規模な照明ってできるんでしょうか。夜のシーンは別撮りなのか。そもそも、昼のシーンでもこれだけ大きなモノリスを10枚以上運べるのかな…教えて、偉い人。
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燃やしたものは何だったのか
2番サビ前から、何かを燃やすカットが始まります。最初は小さい火で、その後にモノリスのシーンが再登場するのであまり印象には残りません。
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ここから展開が一変するのがCメロ以降。メンバー全員が横に並び、小林さんのところでメンバーの視線の先にカメラが向くと、それまでなかった巨大な建造物が燃えています。なんと30秒近いワンカット。短いカットが続いていた分、この見せ方は強烈でした。
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これ以降モノリスは一切登場することもありません。Cメロの歌詞からして、「窮屈な理想や期待の殻を破った」というシチュエーションだと思います。一人一人に押し付けられたものをまとめて燃やした(個々のモノリスではなくその大元にあるような社会そのものを倒した)とも考えられますし、欅坂の最後のライブステージと形状が似ていることから、欅坂という存在に対峙したと考える向きもあるようです。前半でお供えしつつそれを千切ったうえに燃やすって色々危なくない?とも思いましたが、小林さん出演の舞台にもなった黒澤明の「隠し砦の三悪人」に出てきた火祭りみたいなものと捉えても良いかもしれません。色んな解釈があっていいポイントだと思います。
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最後は燃えかすを捨て去るように立つシーンで終わります。最初のカットと比べると、メンバーの並びの均一性が崩れ、空は曇っていて霧がかかり、地面も荒れています。これも推測ですが、「周囲からの抑圧を吹き飛ばして自分の心のままに生きること」もまたいばらの道であり、別種の孤独との戦いになることを表しているのかもしれません。「人は(自由に見える状況であっても)本質的に孤独」というメッセージはB'zの稲葉さんの歌詞にもしばしば登場します。表題曲の「承認欲求」ではSNS社会の周りの目を皮肉っていましたが、ここへ来て「いや、そもそもみんなが想像する自由も実は焼け野原だよ?」なんて言ってきているとすれば相当たちが悪い。なんなら「Start over!」の痛快な未来像に対するクギと考えることさえできてしまう。でも正論。秋元さんの歌詞ではそこまで明言してないですが、池田監督がそこまで仕込んでいるとしたらえげつないです。もっとやれ。あるいは先ほどの燃えている建造物に寄せて考えれば、「欅坂にとらわれることをやめて櫻坂として新しく生きる」という表現とみなすのが妥当かもしれません。でも、それって今まで何度も言ってきてるしなあ。
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ヒデジン監督対池田監督の見事なコントラスト
ここ最近2つのシングル、「Start over!」と「承認欲求」では表題曲を加藤ヒデジン監督が、カップリング曲「静寂の暴力」と「隙間風よ」を池田監督が手掛けています。二人とも素晴らしい映像作家さんですが、特にこの2作では
・ヒデジン監督→ファンタジックな空間が舞台、スタンダードサイズのカメラ、強烈な動きとカットでサスペンス風のパンチを与える
・池田監督→日常に近い空間が舞台、ワイドカメラ、一見落ち着きながらも生々しくドラマチックな余韻を残す
という形で綺麗なコントラストができています。同じPICSに所属されているお二人、これからも見ごたえのある映像を見せてほしいです。