ぼくは勉強ができないを読んで
題名を見て、高校生の男子が主人公だと想像した。
ちょっとおバカな高校生の青春小説かなと思って読み始めた。
実際に読み進めてみると、やっぱりおバカな男子高校生の日常だった。
しかし、幸せに生きる能力は人一倍高いと感じた。
母子家庭で、決して裕福とは言えない家庭環境のようだったが、本人はとて
も楽しそうで充実しているように伺えた。
幸福度に環境はあまり関係ないのだと思えた。
幸せの尺度は人それぞれであり、他人と比較するものではない。
そんな当たり前なことを忘れて、周りと比べて落ち込んで、どこか満たされない毎日を送ってしまっていたことに気が付き、とても反省した。
これからは、もっと自分の尺度の幸せを大事にしたいと思った。
主人公の母は、バリバリ働くキャリアウーマンで、色恋沙汰が絶えないお調子者。
祖父もまた陽気で恋多きおじいちゃん。
そんな2人に育てられた主人公は、周りの空気を読んで行動したり、大人の言いなりになったりせず、自分の意見をしっかり持って、大人と対等に接する少年だった。
学生時代、わたしは果たして自分の意見をもって大人と接してこれただろうか。
勉強はたしかにできないけど、彼は勉強よりももっと大事なことを知っていて、自覚してそれを大事にしている。
なんて大人びた感覚を持っているんだろうと思った。
大人のいうことは正しいと思ってなにも疑うことなく生き、自分の頭で思考することを放棄していた学生時代を思い返して自分自身が少し恥ずかしくなった。
勉強ができることがすべてだと思っていた学生時代、私は大切なことを忘れてしまっていたのかもしれない。
日本は同調文化が強い。
無言の圧力がそこにはたしかに存在していて、みんな物心ついたときから圧力が自分にかからないようにする術を身に付けている。
それが一番楽であるからそうするのだろうけど、比例して自分で考えることを放棄して自分自身の色を失っていくように思う。
まとまりのない文章になってしまったけど、今日はここまで。