来年の夏(短編小説)
暑くなると涼しい季節が恋しくなる現象に、そろそろ名前をつけたほうがいいんじゃないか。
最近は少し動くだけで額に汗がにじむ。
今年こそ絶対に白い肌をキープしてみせると意気込む莉央は、小まめに日焼け止めを塗りなおすのが習慣になっていた。
湿度がある関東の夏は梅雨よりも厄介かもしれない。
梅雨が明けてからバスに乗る頻度が減り、自転車で見慣れた通学路を往復する日々を送っていた。
あの日以来、バスの中で顔を合わせると莉央と光はお互い話しながら学校に通うようになっていた。
二人で車窓から外の景色を眺めては本当に田舎だよな、などと他愛もない話ばかりしていた。
「来年の今頃はもうこの景色をみることはないのかな。」
ある時、先輩は目を細めて独り言かのようにポツリとそう言った。
先輩はあと約半年でこの高校を卒業する。
私はここに取り残されて、雨の日に先輩と話せる楽しみもなくなってしまう。
その現実に気が付き、莉央は思わず視線を床に落とす。
雨の日以外にも先輩を一目でもいいから見たくて、校内ですれ違うことを期待しては裏切られる日々が続いた。
共通点の少ない他学年の人と校内で会える確率がこんなに低いとは。
先輩に会いたいその一心で、雨以外の日にバスに乗りたいと考えている自分すらいた。
けれども変に警戒されたくないという気持ちが勝り、実際に行動を起こす勇気は出なかった。
気が付くとあっという間に風が冷たくなり、衣替えの季節になった。
冬服の先輩にまだ会えていないのはこの秋晴れのせいだ、と清々しいほど青い空を睨みつける。
そんな莉央の思いを汲み取ったかのように、次の日は朝から雨だった。
学校に行く数十分がこれほど嬉しいと思ったことがあっただろうか。
ウキウキしてバスに飛び乗る。
「佐伯先輩、おはようございます。久しぶりですね。」
莉央はバスに乗ったと同時に光を見つけ話しかけた。
「おはよう。本当久しぶり。学校で全然会わなさすぎて、そろそろ本気で雨の日の妖怪かと思い始めてたところ。」
「ひどいなあ。それをいうなら妖精にしてくださいよ。」
ふてくされる莉央を見て、光は口の両端をやさしく上にあげる。
莉央は光が鞄にしまった英単語帳を見て、勉強の邪魔になっていないか若干心配になりつつもこの貴重な時間を譲ってもらえることに感謝した。
雨の日のバスでしか会えないけど、それだけでも充分楽しくて幸せだった。
だけど。
ずっと先輩と一緒に学校に通えたらいいのにと考えてしまう自分がいるのは確かなのだ。
冬の訪れは3年の受験シーズンの始まりを意味している。
もうすぐ自由登校になる先輩と今よりも会う頻度が下がるのは目に見えている。
暑いのなんてもうこりごりだとあんなに思っていたのに、これ以上涼しくならないでと願わずにはいられない。
佐伯先輩が卒業するまでにあと何回会えるのかな、頭の片隅でそんなことを考えながら莉央はいまこの瞬間を噛みしめていた。