見出し画像

母とパンナコッタ。私とプリン。

今日は母の日。今年は贈り物を贈ることができなかった。「ゆうかは、母の日に何もしなくていいの?」と言う夫に「6月はお母さんの60歳の誕生日だから、そのプレゼントが本番ってことで、いいの」と言い訳した。

_________

どんどん私は母に似てきた。料理が好きではないところ、床の汚れが気になるところ、あまり社交的ではないところ、平穏を求めるところ、飽き性でなかなか続かないけれど、新しいものが好きなところ。もともと似ていたのかもしれないし、母の影響を受けて、私がそういう人間に育ってきたのかもしれない。とにかく、私は、母2号になりつつある。

_________

母は、"栗原さんちのおすそわけ"が好きだ。スーパーのスイーツコーナーで買えるアレ。中でもパンナコッタが大好きだった。一緒に買い物に行くと、いつの間にかカゴに入っていたり、私が一人でお遣いに行くとき「ほかに欲しいものは?」と聞くと、よく「栗原さんちのパンナコッタ」と返ってきた。

栗原さんちのおすそわけ とろけるパンナコッタ | 商品のご案内 | 雪印メグミルク日々忙しい生活を送る女性が、ちょっとひと息つくときに食べたいこだわりデザートです。www.meg-snow.com

私は、プリンや杏仁豆腐、カスタードクリームのような白濁したゼリー状のものが何故か苦手で、”パンナコッタ”という得体の知れないネーミングゆえに、それ自体は嫌煙していたけれど、母の美味しそうに食べる姿は見ていて幸せだった。目をつぶって一口一口じっくり味わい、一口ごとに「美味しい」と言う。私も美味しくて少ないものを食べるときにはそうやって食べるようにしている。

_________

1年ほど前、静かにシュークリームが私の中でブームになった。中でもコンビニで売っている生クリームとカスタードクリームが一緒に入っている"ダブルクリームシュー"と呼ばれているものが格別。かつて、ベアードパパの店舗の前を通ると、強烈なカスタード臭に吐き気を催すほどだった10代の頃の私には信じられない革命が起き、失われた時間を取り戻すようにコンビニに通ってはシュークリームをアホほど食べた。

そのブームが過ぎ去り、私は今、プリン時代に突入しようとしている。カスタードクリームを克服したあの時の、「材料ほぼ一緒なんだから、プリンもいけるかもしれない」という予感は正しかった。約1年経った今、実際に食べてみると、本当にいけた。めちゃめちゃ美味しかった。

_________

今日スーパーでスイーツコーナーを覗いたら、なんと"栗原さんちのおすそわけ"のプリンが、パンナコッタの横に並んでいた。今日はアイスと決めていたので、買うのは次回にしたけれど、思わず手に取って、また棚に戻した時、なんだか母と私が並んでいるように見えた。私がそれを食べるときには、パンナコッタを食べる母のように、一口一口、濃厚に味わいながら食べよう、と決めた。

_________

華やかなものを求めた東京時代。週末に飲み歩いたり、誰かとつるんで動き回っていることこそが、ストレス発散の術だと思っていた。転じて札幌に来てからは、穏やかなものに憧れるようになった。熱いお茶を入れてぼーっとしたり、夜な夜なキッチンを掃除したり、主婦のラジオで共感して笑ったりするような、そういう日常の中の平凡や平和が、何より心を癒してくれると知った。

きっと母もそういう気持ちでパンナコッタをカゴに入れて、夜のデザートとして食べていたんだろう。今日の苦しみや明日の不安を、100円の小さな安らぎで少しの間だけ忘れようとしたんだろう。

似てきたからこそ、母がどんなふうに感じて、どんなふうに悩んでいたのか、少しだけ分かってきた気がする。私が想像できるのはほんの一部に過ぎないし、実際の苦労は想像を絶するほどだったろうと思うが、尊敬し、大好きな母に少し近づけた気がして、それが嬉しいのだ。

_________

母の日と誕生日は別物なのに、ちゃんと向き合わずに準備しなかったことが悔やまれる。しかし出来た妹が、黄色いカーネーションを贈ってくれたそうで、勝手に姉の心は少し救われた。まだ今年の母の日は終わっていないけど、来年、母にとって"30回目の母の日"の計画を今から立てよう。来年の母の日は5月9日だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?