なりたくなかった自分になった私へ。
先週末は東京に帰省して、友人の結婚式に参列するはずだった。が、インフルエンザを発症して実家で存分に看病されて北海道に帰ってきた。
発熱した初めの方は、きっと外に出られず暇だろうから映画をたくさん観ようと思ったけれど、インフルエンザウイルスはそうさせてくれず、かなり延々と高熱にうなされていた。
その間、ずっとラジオを聴いていた。私はTBSラジオリスナーなので、ラジオクラウドというアプリでアーカイブを延々と。『アフター6ジャンクション』『たまむすび』『安住紳一郎の日曜天国』『ジェーンスーの生活は踊る』『セッション22』…
ラジオを聴いていていつも思うのは、「世の中には驚くほどニッチな専門家が、驚くほど沢山いるもんだなぁ」ということ。そして、彼らの専門分野を語る雄弁さよ。
換気扇研究家、ボーイズラブ研究家…(もっと沢山お話を聞いてきたけど、いざ挙げてみると思い浮かばない笑)
かつての私が描いていた“私の未来像”は、きっとあっち側の人だったと思う。誰でもない誰かになって、誰にも語れない物語を語る誰か。憧れていたのはいつもスーパーヒーローで、ありふれた日常を淡々と生きる生活などは、むしろ嫌悪していた。
小学生のころの夢は、映画監督。中学の卒業文集には、10年後、国連職員となり、貧困を撲滅させるために世界を飛び回る自分の未来を語っていた。高校でも、国連で働くために外国語を専門に学べる大学を目指した。第一志望の大学に無事合格して、必死で語学を勉強した。
しかし、現在の私は、ありふれた日常を生き、平穏を心から望み、彼らの物語をラジオの前で享受する。
20代も残り200日弱。振り返ると、社会人として就職してから、なりたかった自分と、成り果てた自分のギャップに幻滅し、なれなかった何者かになった他人に嫉妬したり、遅れを取り戻そうと努力してみたり、しかし、日常の波に呑まれ、何も出来なかったり…正直色々悩んだ。
ところがここ数年は、諦め、というと少し違う、開き直り、というか、今の自分をちょっとずつ受け入れられるようになってきた。
今の私はというと、かつて嫌悪さえしたOLという職業につき、夫について日本列島を大移動し、今は企業に勤めることにすら限界を感じている。
しかし、そういう私も私で、ただ夢見てたあの頃は知らなかった私、と認められるようになった。15年分しか自分を知らなかったあの頃の私より、29年分知ってる今の私の方が、より私を語る上で説得力があるじゃない?
映画が大好きで、貧困問題にも環境問題にも敏感、家族が何より大切なところは、あの頃も今も変わらない。でも、思春期や大人の初期段階でいろんな経験をして、私は実はとても臆病なこと、どちらかというと保守的なこと、コーヒーとチョコレートや、良い匂いのハンドクリーム、些細なことで満たされる人間だってことを知った。
そういう経験の中で出会った人たちに大事にされ、結婚式にはその人たちが一人残らず参加してくれた。そして今、最高のパートナーと暮らしている。これほどの幸せが待ち受けていることを、15歳の私は知ってた?
だからもう、なりたくなかった自分になった今の私を否定しなくていい。もっと今ある生活を胸を張って過ごしていいよ。
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