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『光』を歌いながらお皿を洗う幸せ。

”先読みのし過ぎなんて意味のないことは止めて、今日はおいしいものを食べようよ”

「洗えてない」でお馴染みの、宇多田ヒカルの『光』PV。お皿に泡は回ってないし、スポンジでこすれてないし、流せてない。中途半端に投げ出して居なくなったり、突っ込みどころ多すぎ。そして幸福度が高い。

結婚3年目の私たちは、付き合って11年目になる。未だにお互いに飽きないので、休日はいつも一緒、平日もできるだけくっ付いて過ごす。2人とも好きという気持ちや言葉を素直に表現する方だと思う。

共働きでお互い忙しくしているので、家事は「できる人がやる」方式。平日のお弁当作りは私が担当するかわりに、休日は夫がおいしいご飯を作ってくれる。できない時はできないと素直に言えるし、反対に甘えられるのも嬉しい。

例によって特に分担されているわけではないけれど、私は食器洗いが比較的好きなので、進んでシンクの前に立つことが多い。リビングに夫、歌いながら食器洗いするというのが、私の幸福ルーティーンなのだ。

食器洗いって、幸せが爆発しやすい。自宅のキッチンは、リビングに対してこぢんまりしたカウンター式になっており、食器洗いしていると、テレビに向けられた夫の顔がよく見える。おしゃべりもできるし、手元をそんなに見なくてもできる作業なので、大好きな夫の顔を存分に見ていられる。毎日こうして、大好きな人と同じ釜の飯を食べて、お揃いの食器を洗える幸せ、明日もきっと朝がやってきて、仕事はお互い大変だろうけど、ちゃんとこの家に帰ってくるという安心。

そりゃぁ嬉しくて、宇多田ヒカルだって皿洗いもままならないよな。『光』を歌いながら、そんなことを考えたりする。あれほどまでに日常の幸せを的確に描いているPVって、少なくとも私は出会えていない。自分が好きな人とと生活できるようになって、歌詞やPVがよりしっくりくるようになった。

夫婦は、遠い未来を見据えて計画を実行したり、いろんな出来事や感情を共有してより強くなっていくものだと思う。私たちはまだ結婚3年目で、子どももいないので、いつまでも新婚気分に浸っていると言われると否定はできない。けれど『光』の歌詞にあるように、”未来はずっと先”なので、現在の幸せを噛みしめながら、”ワンシーンずつ”積み重ねていければいいやと思ってる。


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