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夫ポルノから考えた、夫婦って最高か。

結婚して2年半、付き合って11年目。毎日夫が愛おしい。夫の一挙一動をずっと見ていたいので、できれば生き霊になって付き纏いたい。一緒にいる間、何気なくぼーっと彼を見ていたら、「これは、一種のポルノかもしれない」と思った。


朝、私がお弁当を詰めていると、絵に描いたように目を擦りながら起き出す。秋にユニクロで買った”くまのプーさん”の、もこもこパジャマを着て。私は悶えながら、これは可愛い顔をつけた大きなクマさんだなぁと思う。自分でこのパジャマ選んでたよなぁ。

私「おはよう」

夫「うん」

「おはよう」には「おはよう」で返してと何度も注意したのに、まだ直らない。しかし、私の心は愛と優しみでじんわり温まる。今日も2人で生きてる、神様ありがとう。

会社までの車の中、運転席の夫の横顔が綺麗。鼻がスーッと高いので見惚れる。信号待ちで名前を呼んでこちらを向かせて、正面からの顔も堪能する。「なんだよ笑」も嬉しいオマケである。

会社から帰るときにも、時間が合えばたまに迎えに来てくれる。近くのローソンで待ち合わせ。31歳男の「甘酒買っといて」のメールが可愛い。コンビニの駐車場へ見慣れた車が乗り上げてくると、運転席には見慣れても見飽きない夫の姿。今日も一日お疲れ様。

夜は夫がリラックスモード全開なので、片時も目が離せない。上下ヒートテック姿でうろちょろ、冷蔵庫を開けて何もしないで閉める、正座でゲーム、ねこ抱っこ、頻発する「ねぇねぇ、見て見て〜」。かぶりつきたいほどなので、どれだけ仕事で疲れていても、全部が可愛いに変わる。この家には愛おしさが溢れていて苦しい。


私は夫ポルノを語ることによって、"夫"が素晴らしいから最高、と言いたいわけではない。"夫婦"が最高なのだ。別々に生まれ育った人間同士が、これから一緒に生きていきましょう、同じ未来を目指して歩みましょう、と愛の協定を組み、一日一日の苦悩や喜びを慰め合ったり分け合ったりできるシステムがとても優しい。

私のような軟弱な人間は、一人っきりではこの厳しい世の中で生きていけない。ポンと投げ出されたら頼れるところもない。あと何十年間、自分一人で上手いことやって生きていくのは無理だ。しかし、夫と夫婦である今は無敵感しかない。彼と一緒なら、どこへでも行けるし、何でもできる、ような気がする。それは経済的な理由もあるし(実際、2人なら所得も補い合いえる)、精神的な理由もある。想い合う2人以上の共同体になれば、何でもできる。少なくともそんな気持ちには絶対なれる。アダムとイヴ、イザナギとイザナミありがとう!

お互いを一生のパートナーと認識した瞬間から夫婦になれるとしたら、結婚という制度も不要かもしれない。それは必ず男女という性別は問わないし、必ずしも2人である必要もないだろう。(一つ文句を言うとしたら、"夫婦"という漢字が時代遅れであるということ)大好きな誰かと衣食住を共にする。相手を想いながら今日を生きる。最終的に帰ってくる場所が一緒だということが重要だと思う。大好きなグザヴィエ・ドランの作品『胸騒ぎの恋人』(2010)に「大切なのは、誰の隣で目覚めるかということ」というセリフがある。

夫の愛おしくて堪らない一挙一動は、彼の隣で目覚められる私の喜びの象徴なのだ。5年後、10年後、30年後、夫婦の形が変わっても、シワが増えて力が衰えてきても、隣に居られる幸せを常に感じながら生きていきたい。


そろそろ夫がワカサギ釣りから帰ってくる。さっき「思ったより釣れなかった。お腹が空いたからお蕎麦を食べに行こう。」と電話があった。釣れない夫も、空腹な夫も、お蕎麦を食べたい夫も愛おしい。外は猛烈に寒いけれど、お蕎麦を食べる夫が見たいので、着替えて出かける支度をしよう。

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