今日も明日も、フランシスに負けてない。
『フランシス・ハ』、大好きな映画。
自由奔放に生きるフランシスが失敗しては立ち直り、愛し愛され、壊して直して、あっちやこっちをグルグルしながら微かな答えを見つけていく姿が、素直に羨ましい。
儲からないけど好きなことする。
大好きな女友達を恋人みたいに慕う。
まる見えなヤキモチを妬く。
突然街中で走り出して踊り出す。
突然海外に出かける。
空気の読めない発言でその場を凍りつかせる。
そんな風に、その瞬間をめいっぱい自分の思うままに生きられたらいいかもしれない。
待て待て待て。きっとこれは、やろうと思えば私にだってできる。
”自由”とは、奔放に生きることなのか?
何故か私は頭の中で"自由"というものを勝手に読み違えてしまっていたようだ。
何となく、奔放に生きる人をスクリーンの向こうに観るたびに「羨ましい」なんて感情を抱いたりする。でもそれは、自分が敢えて選ばない選択肢の行く先であって、私にも選べたはずの並行世界の話かもしれない。
(さすがにアダム・ドライバーとの同居は無理だけど笑)
そんなことに気付いた今日。この一日も存分に"自由"だったなと振り返る。
朝、スタバでデカフェのホットを頼んだら「抽出までに7分かかります、アイスならすぐにご用意できます。」と言われたけど「ホットで」と意思を貫いた。
ランチは東京純豆腐。「野菜チヂミ」のハーフサイズも付けた。
久々に髪を切った。思いっきり短くしてもらった。
そもそも今日は有休だった。
ほら私、フランシスに負けてない。多分、今までもこれからも。
小さな失敗を繰り返して少しずつ成長していくのも、大好きな人に大好きと伝えたり伝えられなかったりするのも、フランシスも私も、みんな一緒じゃないか。
そう思うとこの作品の見え方が変わってくる。形は違えど、フランシスの物語は私たちの物語。この世界に存在するすべての生き物に、物語があって意味がある。
そうやって改めて観てみると、フランシスを愛おしいと思うと同時に、私の人生も愛おしいと思えるはず。
『フランシス・ハ』2012 アメリカ