草津市・守山町組合立三和中学校(仮)に関するメモ
現在の草津市、守山市に校区が跨り、学校組合の解散により系譜が途絶えている中学校についての情報をまとめる。jawp 滋賀県中学校の廃校一覧 というページにわずかに記載がある。
まとめ
戦後の一時期に常盤村(現:草津市)と小津村、玉津村(現:守山市)の3村で学校組合を構成して中学校を運営していた。
1948年から1962年まで14年間存在した。
3村が合併で別々の合併相手を選び、校区が2市に跨ることになったことで組合が解消され、現在はまったく別の校区となっている。(守山中→守山南中、草津市立松原中→新堂中)
跡地はグンゼ守山工場となっている。
学校があった様子は当時の航空写真からも確認できる。
リンク集
統合先(のちに分離)の守山中学校の沿革
草津市(旧常磐中)地域の引受先(のちに分離)
グンゼ工場となっている学校跡地に記念碑の設置を求める守山市議会の議事録
不明な事項
正式な学校名…時期によって設置主体は変わっているものの、恐らく「〇〇組合立三和中学校」という名称であったはずだが正確な名称が不明
組合解散の経緯…昭和の大合併前の規模が小さい自治体が新制中学を設置するために組合を組むことはまま見られたが、のちに組合と異なる枠組みで合併した場合の多くは組合を解散して校区を再編している。この時代の市町村はかなり喧嘩別れのような形で組合を放り出すことがあった。(ex.大津市・瀬田町組合立田上中)市史などを調べると面白そう。
のちの分離新設の際の議論…統合先の守山中は校区の別の地域が再編後わずか12年で守山北中として分離新設され、三和中の守山市側の区域もその12年後に守山南中として分離されている。12年先の将来の13歳人口は逆算すれば分かりそうなものだが…
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