生・死・性と向き合う私
10歳のとき当時20代のいとこが亡くなり、死体や大人たちの大きな悲しみに、長年自分の感情を失うほどショックをうける。会話が不得意で、動物が好き。獣医師を目指す。
思春期から書く、描く、歌う、着る、舞台に関心をもち、大学では生活環境デザイン学科で、アーバンデザイン、建築、和紙、音楽など広く浅くものづくりに接する。一方、妊婦の美しさに惹かれ続け、夢は母になること。助産師やドゥーラに興味をもつ。
卒論では親学と食農教育をつなぐ、というテーマで、世田谷プレーパークや吉村医院の両親学級など行きたい場所に足を運びレポートする。性教育すなわち人権教育こそ育ちの土台と直感。
在学中20歳で父が急死。その後祖父母や友人の突然死を経験。死別の悲しみや派生する様々な感情に向き合い続ける。その中で「(とくに親の)死という最大のギフト」という考え方に出会い「自身を解放する」ことに意欲的に取り組むようになる。
父の生業であった学習塾業界へ就職するが、心身を病み退職。
2010年 第一子を吉村医院でお産。
妊娠中〜産後の半年間に独学で保育士資格取得。
第二子出産後、女性たちのためのタブーを語るサロン月草や、親子向け幼児からのいのちの講座を開始。
流産や死産についてシェアするサロンを数回開催。その後自身も流産を経験し、予備知識や心の準備が、その後の心の整理に大きな影響を与えると実感。
第三子妊娠期より、自分を満たすということに真摯に向き合い、踊ること、発声や身体の癒す力に信頼を強め各所で学びを得る。
性的マイノリティ、Xジェンダーという自認が一番しっくりくると、ありのままのセクシャリティとも向き合えたのは産後だったと思う。
やれることはやり切ったのに、心は満たされているのに、どうしてかまだ日常はヘトヘト。
断乳を経て10年続いた妊娠授乳を終えてもなお、パニックになりがちで、鬱が再発し精神科で診断を得る。
それまで30年以上自身の過敏さに気づかず、自己イメージと現実の能力のギャップに疑問を持ち続けていたと知り、かなり楽になった。
人や環境との境界を持ちづらいことが、本質的生きづらさの原因とたどり着く。だからこそ、
自分を知りたい
という本能的な飢えが強烈で、日々本当に些細なことを書きこぼしながら、自分をたもとうとしている、そんなころにnoteを開設した。
いまは、さらに見えない世界とつながってしまって、、すべては才能。つながっていたと実感してたのしいです。笑
このあたりのつづきはまた後日。