癒されたふりするの、やめた。
先週から、野草茶を煮出して飲むようにしたの。
山梨にある果梨というところの野草茶。
そうしたら、
今体調が優れなくて、メンタルも優れない。
自分を愛する過程をまた丁寧にやってる。
こう言う時に、わたしはあえてツールは使わない。
自分に意識を向けて、何を感じているのか、
感じて、沸いてくる記憶ごと自分を抱きしめる。
そして、体と向き合う。
わたしはね、体の細胞一つ一つに記憶がある、と感じてる。
水は記憶を持つし、人間の7割が水だ。
だから、体のデトックスを始めると、
過去の経験での傷や感情が沸々と沸いてくる。
まだまだいる。
わたしを見て欲しかった。
こんなわたしでも愛して欲しかった。
愛されるためにいい子になるのは苦しかった。
だから、いい子じゃないわたしを見て欲しかった…
そんなわたしが。
ねぇ、わたし、こんなだけど、
それでも愛してるって言ってくれますか?
って、試していたようだ。
そんな小さなわたしの頭を
愛しい人が撫でてくれるように、
自分でも撫でてみる。
癒されたふりするのやめた。
癒されたら、何かできるのか?
癒されたら、超人になれるのか?
違うだろ。
死ぬまで人と出会って傷ついて、
癒し切ることなんてないんだ。
傷付くと体も心も凹むけれど、
その凹みで出来たスペースの分、
本当に必要なものを受け取れる。
本当の望みを思い出せる。
だから、感じていること、
本当は嫌だと思っていること、
小さな小さな我慢をひとつひとつやめていく。
傷に執着することとは違う。
誤魔化すのをやめるということ。
軽やかに動いていく周りに、
自分も軽やかそうに装って付いていくのをやめる。
マジでマジで、
誰かに憧れるのをやめる。
あの人みたいになりたい
なんて2度と言わない。
わたしはわたしになりたいよ。
未来のわたしを追いかけていたいよ。
先を行く人たちに感謝や尊敬こそすれ、
自分のゴールには置かない。