「マトリョシカ」感想(青春の庭のうさぎたち)
※ネタバレを含みます。
※劇団員の方・公演を見た人向けの記事だと思います。
45期の卒業生です。
自分自身が26歳の会社員なので、27歳コンビニ店員が生きる意味をどうたら…というフライヤーを読んで、観ないわけにはいかんと思って観劇してきました。
まずは、劇団員の皆様お疲れ様でした。そしてこんな素晴らしい作品をありがとうございました。
一言で言うと最高で、演技も演出も凄いし、スタッフの熱量も凄いし、何よりあの頃の雰囲気を感じられて最高でした。毎回のことですけど。
最高だったのは前提として、内容について、自分の価値観でどう思ったかをここでは素直に書きます。
偉そうな言い回しがあるかもしれませんがごめんなさい((
↓ここからめっちゃネタバレあります↓
物語の解釈
転生もの…って一言で言うと軽いですけど、そういう形式なんだろうなというのは序盤からすぐ予想してました。
だから結末が物凄く気になってました。
さあ本当の現実に戻った時に、和生がどういう決断をするのか。
そしたら結末が無かったんですよね。夢から覚めて終わり。
なるほど、つまり夢を見ていたのは高橋和生じゃなくて「貴方」で、
その夢は公演と同時に始まり、今、同時に終わったのか。
夢から覚めた後の話は、今から自分が作っていくのか。
だから「貴方のお話」なのか、と腑に落ちました。
俳優
最初の夢は俳優。
僕はここまでは「ドラえもんだ!」とめちゃくちゃ思ってました。
有名どころだともしもボックス。
マニアックな回だと「うつつまくら」というものがあって、これを思い出しながら見てました。
これはまさに思い通りの夢を見られるまくら型のひみつ道具で、
これを使ってのび太が理想の自分になった夢を見る話なんですけど、
終わり方がとっても不気味なんですよね…。
この話も、ドラえもんの通常回だったらきっと
俳優になったのび太が、皆に追いかけられた場面で「わあ!元の世界に戻して!」って叫んで現実に戻って終わり、という教訓的な内容になりそうですよね。
あ、別にコレはパクリやんけ、ということが言いたいのではなくて、
ドラえもんをリアルな、大人の物語にしたバージョンだなあという感動と、
結局人は何歳になっても心に「のび太」がいて、「ドラえもん」を求めてる節があるんだなあ、と改めての気付きがありました。
そういう意味では、この俳優のシーンは夢の内容以上に「夢をどういう視点で見たらいいか」という心の準備(?)をさせてくれる段階だったかもな、という風に思いました。
…凄い、よくできてますね。
セミ
2個目の夢はセミ。
あ、セミが来るってことはマジで何でもアリなんだな、というのを観客に分からせる効果がありそうで、流石だなあと思いました。
ひぐらしのセリフで
「ここから落ちていく仲間をずっと見てきた」というのがありましたが、
"ずっと"という言葉が好きでした。
1週間弱の間のことなのに"ずっと"という言葉を使っているのが、
人間じゃなく彼らの時間感覚だからこそ出てくる表現だなあと思って、
まあ理屈的には当然かもしれないんですけど、
でも特に説明せず、セリフだけで世界観を分からせていくのが、演劇の美しさだなあと思いました。個人的感動ポイント2位でした。
老婆
じゃあ個人的感動ポイント1位はどこなのかと言うと、
小学生に「おばあちゃんの大切なものは?」と聞かれた時の、
「…まだ、見つかってないんだ…。」
です。
(細かい言い回しは記憶違いがあるかもしれません)
これがカッコよすぎて…!
八十何歳になって、大切なものが見つかってないおばあちゃん、
まだ自分探しをやめていないおばあちゃんですよ。
めちゃくちゃカッコよくて、
自分も80歳まで生きてたらそうでありたいな…とめちゃくちゃ思ってしまいました。
おそらくこれは、中身が和生だからこういう返答になったんでしょうし、
だから製作陣の意図とは、物語の文脈とは違うかもしれないんですけど、
でも「見た目80過ぎのおばあちゃん」が「大切なものが見つかっていない」というセリフを発するその構図が、物凄くカッコよく見えて、
憧れの感情がぐわっと起こりました。
あの構図の破壊力凄かったな…。
ちなみに、唐揚げ棒+ハイボール+線香で442円はすこぶる妥当なんですね。
帰り道に真っ先にコンビニに寄ってしまいました。
「442円って安くね?」って思ったから笑
そしたら線香は110円だったので、あ、なら妥当だなと気付きました。
恐れ入りました。
せいら
せいら家族のシーンに関しては、
「泣いてる人がいたけど僕は泣けなかった」
という話がしたくて…。
みづき(姉)が怒りを露わにして、父親は体裁ばかり、母親は自分のことばかり、というそれぞれのエゴイスティックな部分が、観客に対して暴力的なまでに露骨に描かれるシーン。
あそこのシーン、僕が観に行った回では何人か泣いてる声が聞こえていました。
単純に、想像したら本当に悲しくショッキングな状況なので、それに対する涙もあったと思います。
また、それぞれの立場も分かってしまう。
利己的だけどそれぞれの抱える悲しみ、怒り、そして追い詰められた心理状態も理解できてしまう。
そのどうしようもなさに対する涙もあったのでしょうか。
僕は、
「うんうん、人間ってそうだよなあ、元々そうだからなあ」
としか思えなくて、感動とか涙っていう感情には全然ならなかったんですよね…。
面白くなかったわけじゃないです。
物凄く興味深かったです。
「正義感」とか「優しさ」「愛」の方がむしろ幻想で、こっちが本性だもんなあ。
このシーンを見て、普段は意識を逸らしている「本性」を見せつけられて感動する人がいるとしたら、
僕はその逆で、普段から思ってることをこのシーンが表現してくれて「そう!そう!」という気持ちになっていました。
それを残酷な考えと思う人もいるかもしれません。
というかそういう人の方が多数だと思うので普段は黙っています()
が、僕に言わせれば残酷でも何でもなくそれが現実だと思うんです。
だから僕は「愛」を信じたくない気持ちがあって。
愛や優しさを信じるより、そんなものを諦めた上で、現実を踏まえて貴方はどう生きますか、ということを考えたいと思っています。
そんなことを感じながらこのシーンを見ていました。
あ、あと泣く人がおかしい!という主張をしたいわけでも決してないです。
むしろあのシーンは見た人が何を思ったか、1番気になる所なのでよかったら教えてください…!
余談
ちなみに僕は、そういう価値観でいるからこそ、
明らかに本性を超越してるような利他的な行為には涙しやすいです。
最近だと、これ自分でもビックリしたんですけど、
「竜とそばかすの姫」の父親に号泣してしまいました。
すずにどれだけ反抗されても、ずっと見守り続けて、ラストシーンでも変わらず帰りを待ってくれていた描写。
あれが「愛」以外の何者にも見えなくて心を打たれちゃったんですよね…。
よく「醜いバケモノが初めて人間の優しさに触れた」みたいな物語あるじゃないですか。ああいうイメージです(?)
おわり
他にも色々思ったことはあるんですけど、長くなってしまうのでここまでにします。
読んでくださった方がいましたら、誠にありがとうございました。
最後に、改めてとにかく最高だったし、卒業して8年?経った今でもぶんじ大好きなので、良ければまた観に行かせてください。楽しみにしています。