彩風咲奈さんのODYSSEY千秋楽挨拶への感謝
宝塚歌劇団雪組公演「ODYSSEY」千秋楽の彩風さんの挨拶を聞いて。
ーーーーーーーーーーーー
万人の 身の内籠る 黒の玉(ぎょく)
硝子溶かして 常(とこ)降る癒気(ゆき)よ
ーーーーーーーーーーーー
自分が思っていること・感じたことを言葉にするのが少し苦手なのですが、短歌の形で表すとスッキリすることが多くて。
なかなかスッキリしなかった(今でもまたスッキリし切ってはいないけれど)そんな思いを、少しでも形にするとちょっと変わるものだなぁと思う。
短歌の形にしてみたら、少しずつ言葉が出て来たので書き留めておこうと思う。
ーーーーーーー
1月の公演が全部中止になって、みんな心の中になんとも言えない気持ちをずっと持っていたと思う。それって、持っていてはいけないものではないし、でもずっと持っていたいような気持ちのいいものでもなかったと思う。
でもでも、それは元々は「大好き」から来ている素敵な気持ちであって、本当の宝物の気持ちだったと思う。強く望まれた宝物への期待の気持ちは、失うかと思うとあまりに恐ろしくて持っていられないほど熱くて重くて、手が、体が、焦げそうになっちゃうよね。
そんな危なっかしい宝物を抱えたまま迎えた公演では、あまりに感動した気持ちと、どこかで別の人を想像しながら観劇する自分の存在に気づいて、あぁやっぱり真っ白なままでは見られないんだって、少しの罪悪感と寂しさも感じた。
そんな中で迎えた千秋楽。
毎日毎日祈って祈ってしょうがなかったこの日。万感巡って、劇場(映画館)に着いた時からもう泣いてた。
最後の挨拶で、彩風さんがどんなことを言ってくれるんだろうと楽しみでしょうがなかった。
泣いてた。
あの彩風さんが、涙を必死に堪えながら話す姿は、私だけでなく、周囲にいる人々の嗚咽も誘ってた。
涙を拭くこともなく、流れるままに任せながら、「ぽつぽつと」語られるその思いに、なんて優しい方なんだろうと思った。
自分のこと、自分たちのこと、お仕事としての範囲、求められる役割。いろいろあると思う。
そんな中でもファンの私たちのことをめちゃくちゃ考えて寄り添っていてくださる。その言葉たちにどれだけ救われたことか。
叶うことなら、その言葉の全てを、言葉の形のペンダントにして、胸に抱いて持ち帰りたかった。
「水に流すんじゃなくて、なかったことにするんじゃなくて、あぁこんなこともあったなぁってあとから思えるようになる日がきっと来る」
「願っていれば絶対叶う日が来る。それがわかった。」
「1日だって同じ日はない」
「あぁ、また終わってほしくない日が来てしまいました」(だったかなぁ)
あの空間が、本当に好きなんだなぁと、そう思えた。あれだけの観客と、直接は繋がらないカメラ越しの無数のファンを抱え、どうしてあれだけの優しい空間を保てるだろう。彩風さんの器量の大きさのおかげで、私は今日も癒され、涙しながら癒されて生きていく。
私たちの思いを掬い上げてくださり、そして無事に公演をし続けてくださり、本当にありがとうございます。
存在に感謝。