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読書:東南アジアのチャイナタウン 山下清海 著

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東南アジアのチャイナタウンを構成する福建人、潮州人などの華人方言集団、華人の活動を支えてきた会館と廟、東南アジア各国のチャイナタウンについて。東南アジアのチャイナタウンを巡る際のバイブルのような本。著者がこれを出版したのが35~36歳と見受けられ、ただただ感心してしまう。

シンガポールでは、福建人が最も多く、潮州、広東、客家、海南と続き、同国での5大華人方言集団を構成している。1978年に実施されたある調査によれば、華人のうち、福建語を理解できると答えた者は全体の97%であった、とある。(およそ40年経った今では福建語を解するものはそれよりも大幅に少ないだろう、時代の移り変わりを感じる。)華人の経済活動においては、シンガポールでは、ゴムの取引はもっぱら福建人が担い、米・野菜・魚などは潮州人、珈琲ショップは海南人か福州人、など、方言集団ごとにもその移民のタイミングや、適性により住み分けがなされた。ショップハウスの道路に面した側は続いた長廊になっており、これらは騎楼と呼ばれる。シンガポールやマレーシアの華人はgo-kaki、kaki-limaと呼び、中国語では五脚基と表記される。英語ではfive-foot wayと呼ぶ。これは、シンガポール開港直後のラッフルズの都市計画に由来する。その計画では、すべての建物の前面に、覆いのある約5フィートの幅の歩道を設けることが要求された。(つまり、東南アジアの華人街に見られるこの騎楼あヨーロッパの都市計画から持ち込まれたもので、中国南方にも同様のものが見られるがこれも東南アジアを経由して華人が持ち帰ったものということになる。)特にシンガポール、マレーシア、インドネシアでは福建系華人が多いが、都市別にみると特色がある、例えばスズ鉱山の都市として栄えたクアラルンプールやイポー、タイピンなどでは広東人と客家人が多い。一方、東マレーシアでは客家人が有力だ。このように地域・都市ごとに構成する華人言語集団に特色があり、それがまた現地の華人社会のあり様に反映されている。例えば、シンガポールでは、福建語が言語集団間のリンガ・フランカとして機能し、クアラルンプールでは主要な広東人の広東語が同様に機能している。それ故、香港文化の影響を大きく受けている。フィリピン華人の9割は福建人であり、その半数が中国福建省晋江(泉州の近く)出身であると言われる。フィリピンの華人社会でも福建語が共通語として機能した。(その後、twitterのやり取りで知ったのだが、マニラから晋江へ直行便も飛んでいる。)横浜チャイナタウンには楼門があるが、これは観光地化されたチャイナタウンに見られるもので、マニラのチャイナタウンには東南アジアで唯一楼門が存在している。(ちなみに楼門があるのは観光地化されたチャイナタウン以外に、中国南方の僑郷と呼ばれる華人の故郷の村の入り口などでも見受けられる。これらに関連はあるのか?)東南アジアで他の国と少し異なるのがミャンマー、地理的な状況から雲南人が多く、また国民党軍残党として亡命した者も含まれる。このような華人により集落が形成され、黄金の三角地帯でケシ栽培が行われていた。(本が出版されたのは1987年、「行われている」、との表現になっている。先にも述べたとおり、東南アジアのチャイナタウンはその華人言語集団の構成により、似通っている点、異なる点などそれぞれ特徴があり、そういったことを意識しながら、食べ物、建物、聞こえてくる言語などに耳を傾けるのはとても面白いのだ。

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