OTOTEN 2022: "空気録音"配信への挑戦
コロナ禍をきっかけに、音楽コンサートのみならず、オーディオ•イベントもインターネット配信されることが珍しくなくなってきました。スピーカー再生を通じてオーディオ機器の違いを聴くことを主目的とするオーディオ•イベントの配信には、音楽コンサート配信とはまた違った難しさがあります。今回は2022年6月に行われた「OTOTEN 2022セミナー」配信について、主に技術的な側面から解説していきます。
空気録音とは
オーディオ機材を比較評価することを目的として、スピーカーの前にマイクを設置し、オーディオの出音を録音するーーこれがいつの頃からか「空気録音」と呼ばれるようになりました。空気録音にはこれと言って確立された手法や基準はありませんが、2021年夏に元ソニーの西尾文孝氏が「JAS JOURNAL」に「空気録音を考える」という考察記事を寄稿。2021年末に日本オーディオ協会による実践動画が YouTube で公開されています。
個人的にも空気録音動画はよく観ていますが、実はなかなか難しい問題を抱えています。
配信をスピーカー視聴した場合、空気録音されたものを再度別スピーカーで二重に再生することになり、音像も遠くなる
バイノーラルで空気録音したものをスピーカーで聞くと、違和感を感じる
現場で聞いた時より録音音源の方が部屋の反響が大きく聞こえ、肝心な機材の音が不明瞭になる
録音時のノイズはもとのスピーカー再生には含まれていないので、録音機材は徹底的に高S/Nであることが求められる
(おおよその傾向はこれでも分かりますが)せっかくの高級機材の音を圧縮音声で聴かないといけない気持ち悪さ
Live Extremeはロスレス/ハイレゾ音声での配信ができるので、最後の課題は簡単にクリアできますが、他の4つについても解決した「究極の空気録音配信」を行ってみたいとずっと思っていました。そんな折、幸運にも日本オーディオ協会からチャンスを頂き、遂に実現することができました。
OTOTEN 2022セミナーについて
「OTOTEN」は日本オーディオ協会が毎年開催している国内最大級のオーディオとホームシアターの祭典。コロナ禍を乗り越え、2022年6月11~12日に3年ぶりにリアル開催されました。日本のオーディオ業界の発展に寄与した「全日本オーディオフェア」をルーツに持ち、今年で60周年を迎えた歴史あるイベントです。
第1回の全日本オーディオフェア(1952)では、NHKラジオ第一放送と第二放送の2波を使い、ラジオでステレオ体験する実験が行われたそうですが、今年のOTOTENでは、その発展系である空間オーディオ (NHK 22.2ch, Dolby Atmos, Sony 360 Reality Audio, Auro-3D) がフィーチャーされていたのが印象的です。
イベントセミナーは、東京国際フォーラムG701とG410の2ヶ所で常時行われていました。このうちG701では麻倉怜士先生による「キーノートスピーチ」や雑誌社主催セミナーを含む7つのプログラムが組まれ、そのうち配信許諾を得られた以下の6つのプログラムをLive Extremeで生配信することができました。
インターネット配信概要
空気録音手法について解説する前に、まずは今回の配信の概要について記します。
映像配信フォーマット
本配信で設定された映像フォーマットは以下の通りです。カメラやスイッチャーは29.97fpsで動作していましたが、今回は動きの少ないセミナー配信ということで、低速インターネット環境でも快適に視聴できるよう、Live Extreme Encoder内で23.976fpsに変換し、比較的低ビットレートである2Mbpsで送出しました。
音声配信フォーマット
Live Extremeには複数の音声チャンネルを同時送出し、ユーザーに再生チャンネルを選択してもらう機能が備わっています。今回の配信では以下の4種類の音声を同時配信しました(音声コーデックは全てFLAC & ALAC)。視聴者はプレイヤー内で任意の音声を選択して再生することができます。
ステレオ音声 (48kHz/24bitロスレス)
ヘッドホン視聴用バイノーラル音声 (48kHz/24bitロスレス)
ステレオ音声 (96kHz/24bitハイレゾ)
ヘッドホン視聴用バイノーラル音声 (96kHz/24bitロスレス)
ポイントは空間オーディオをベースとしたバイノーラル音声を配信したことで、今年のOTOTENのテーマにも合致しているのではないかと思っています。また、通常のステレオ音声も同時配信したことで、前述の「バイノーラル音源をスピーカー再生した時の違和感」を回避しています。
OTOTEN 2022における空気録音
本配信の空気録音手法については、サウンドエンジニアの峰岸良行氏と、機材の選定や手法を含めて一から検討しました。配信の回線図から、音声に関連するものを抜粋すると下図のようになります。Live Extreme EncoderはDanteからの音声入力にも対応しているので、マイク収録からミックス、配信に至るまで、音声回線はDanteで完結させることができました。
以下、音声信号の入力から出力まで順を追って説明していきます。
ORTF-3D & スポットマイク収録
セミナー会場に設置されたメイン•スピーカーは FOCAL Scala Utopia で、これをいかに収録するかが空気録音の鍵となります。今回、ソニーの協力により、50kHzまで収録可能な SONY ECM-100U を8本用意することができたので、3Dオーディオ収録方式の一つである「ORTF-3D」を構成し、客席の最前列中央に設置しました。これにより、360度全方位から到達する音を余すことなく収録することが可能となります。
一方、前述の「音像が遠くなる」「現場で聞いた時より録音音源の方が部屋の反響が大きく聞こえ、肝心な機材の音が不明瞭になる」という問題点を解決するために、上記メイン•マイクとは別に、SONY ECM-100NMP もステレオ•ペアで用意し、スピーカー近くでスポット収録も行いました。クラシック録音などで一般的な「メインマイク•プラス•スポットマイク」という収録方式を空気録音にも取り入れた格好です。
10本のマイク音声はマイクスタンドの足元で RME 12MIC (マイクプリ / ADコンバータ) に入力され、その場で96kHz/24bitのPCMに変換。MADI接続された RME Digiface Dante により即Dante化され、配信用ミキサー (Pro Tools) に送られました。高性能なマイクとマイクプリを組み合わせ、最短経路でデジタル化したことで、前述の「録音機材は徹底的に高S/Nであることが求められる」をクリアしています。
バイノーラル化
今回の配信で、いわゆる配信用ミキサーに当たる機材は、M1 Macbook Pro上で動作する「Pro Tools Ultimate」でした。ORTF-3Dの8本のマイクと、2本のスポットマイクの音は、Pro Tools HD対応オーディオ・インターフェイス「Focusrite Red 8Pre」経由でPro Toolsに入力され、メインマイクとスポットマイクのタイムアラインメント(遅延時間補正)を施した上で、峯岸氏の手によりステレオ•ミックスおよびバイノーラル•ミックスが生成されました。(詳細は「JAS Journal 2022年夏号」の「Live Extreme実施リポート」をご参照ください)
ORTF-3Dの8chオーディオ信号は一旦「IEM Plug-in Suite: MultiEncoder」により3次アンビソニックに変換された上で、「IEM Plug-in Suite: AllRADecoder」によりバイノーラル/ステレオ化されています。これにより、会場に来られない方も会場の雰囲気をよりリアルに味わっていただけたと思います。
生成されたステレオ•ミックス (96kHz/24bit, 2ch) とバイノーラル•ミックス (96kHz/24bit, 2ch) の計4chは、Danteネットワークを通じてLive Extreme Encoderに送られ、映像と合わせてインターネット配信されました。
そのほかの特筆事項
原盤利用
リアルなオーディオ•イベントにおけるCD原盤の再生は「演奏」と認められるため、JASRAC等の著作権管理団体への手続きのみで利用可能です。しかしオンライン配信の場合は、別途権利者から原盤利用の許諾を得る必要があり、高い障壁となってきました。空気録音が盛んなYoutubeでも、JASRAC管理楽曲を「演奏」する分には問題ありませんが、権利者の許可なく「CD原盤を利用する」ことはできないので注意が必要です。
今回の配信で利用した「eContent」は、日本で初めて、オンライン生放送での原盤利用に対応した配信プラットフォームです。(参考:日本初、オンライン生放送での原盤利用が可能に~eContentがエルマークを取得し、原盤利用オプションの提供を開始~)今回の空気録音配信では、この原盤利用オプションを用いて、正規の楽曲利用料を支払い、コンテンツを合法的に利用しました。
蓋絵音声
一般に配信開始前や休憩時間に表示される静止画は「蓋絵 (ふたえ)」と呼ばれています。今回の配信はオーディオ愛好家向け、しかも最高96kHz/24bitのハイレゾ配信だったこともあり、蓋絵表示中のBGMの音質にも拘りました。
コンテンツは、日本オーディオ協会より発売されている「音のリファレンスシリーズ」および「音のリファレンスシリーズ II」より、96kHz/24bitのWAVファイルをご提供頂き、それをハイレゾ対応ポータブル•レコーダー「KORG MR-1000」で再生。MR-1000のアナログXLR出力に直結された「Neutric NA2-IO-DLINE」で96kHz Dante化され、配信用ミキサー (Pro Tools) に送られました。
ストリーミング•プレイヤーの埋め込み
Live Extremeはハイレゾ配信システムとしては珍しく、ウェブ•ブラウザでの再生に対応しています。ストリーミング•プレイヤー設置用のiFrameタグも用意されていますので、専門知識がなくとも、指定のタグをHTML内にコピー&ペーストするだけで、任意のウェブサイト内にLive Extremeプレイヤーを設置することが可能です。
今回の配信では、日本オーディオ協会のOTOTEN特設ページ内に、セミナー配信視聴プレイヤーを設置させてもらいました。
まとめ
このたび、60周年を迎える伝統的なオーディオ•イベントのライブ配信を担当させてもらい、新たな空気録音配信手法を提案・実証できたことは、オーディオ•メーカーとして大変光栄に思っております。
2022年前半はオンデマンドや疑似ライブ配信の案件が多く、ライブ配信としては半年ぶりでしたが、自ら配信を行うことで新たな発見がたくさんありました。より魅力的な配信システムとなるよう、これからもLive Extremeの開発を続けてまいります。
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