掌編 タイトルなし。その2。
彼女とFacebookでやり取りを始めて半年が経っていた。
出身校を入れたら、簡単に懐かしい面々と繋がることができ、誰がどこに勤務していて、週末はどこで過ごしているか、今晩の晩飯のメニューまで把握できるようになった。
その中に彼女の名前を見つけたときは、キーボードに触れる指が微かに震えた。
高校時代の彼女は静かな人気があった。
静かなというのは、取り巻きがいるような人気ではなく、皆が彼女にひそかに憧れていて、心の中で大事にしていた、そういう人気だった。
どうしてそれがわかったかというと、彼女は、毎日のように放課後誰もいなくなった教室でヴァイオリンを弾いていて、それをそっと聴いている者が数多くいたからだ。男女比率といえば、男の方が多かった。容姿も可愛らしかったこともある。
その当時、自分自身がバンド活動をしていて、校内でライブなどを行っていて少々目立っていたために、ひっそりとヴァイオリンを奏でる彼女に声をかけづらく、なかなか親しくなる機会がなく、そのまま卒業となってしまった。
だから、Facebookで友達になれたときは感動のあまりしばし動けなかった。
その彼女が新規に動画をアップした。
『久しぶりに、ばよりんを弾いてみました!』
くすりと笑う。
ばよりん……か、かわいいなあ。
――JUPITER。
放課後によく彼女が弾いていた曲だった。
クラシック音楽に歌詞をつけてポップスの曲にした斬新さと特徴ある歌手の声が受けて大ヒットしたものである。
その主題部分を朗々と弾いていて、聴き入ってしまう。
動画が終わるか終らないかというところで指が勝手に動いていて、コメントを入れてしまった。
『相変わらずいい音色。聴き惚れた』
すると大喜びしている顔文字が並んでいて、「うれしい」が羅列のコメントが返ってきた。
高校時代は物静かな印象だったが、コメントから受ける彼女の印象は底抜けに明るい。
だが――。
時間を見ると、深夜2時。
SNSをやっている場合ではない、眠らなくては。
彼女は仕事については語っていないので、もしかしたら仕事をしていないのかもしれない。専業主婦……。
しかし、夫がいたらこの時間には起きてはいないはずだと思った。
身辺を探りたくなる衝動に駆られる。
独り者であることを望んでいる自分を抑えられない。
……なにを馬鹿な……。
卒業以来一度も会ったことはなく、単にFacebookでのつながりだというのに、なんだ、この動揺は……。
独り者……。
元々独り者、再独り者、再々独り者、どの独り者も皆傷を負っている。
だから、親しくなろうという相手にはついそれを求めがちだった。
幸せな姿が眩しすぎてとてもカップルには近づけない自分が嫌いだったが、どうしようもない感情だった。
Messengerに切り替えて、思い切って書いてしまう。
『こんばんは。随分遅くまで起きているね。眠れないとか』
すると、すぐ返事が返ってくる。
『こんばんは! DM嬉しい! うん。なかなか寝付けなくて。お酒飲んでも眠くならなくて』
『何を飲んでいるの?』
『焼酎でーす』
『それ、太るかも』
『え? そうなの? やばい! なにかおススメあるなら教えてくださーい』
『寝酒ならばウイスキーが』
『うーん、それはパパのだから飲めないなあ』
笑い顔の顔文字を返答すると、うきうきと心が弾んでいく。
……こりゃ、眠るどころじゃないだろう……。
明日の仕事のことは頭をよぎったが、どうでもいいと思った。
『ヴァイオリン、続けていたんだ。楽団とかに入っているとか?』
『ううん、趣味で弾いているだけで。腱鞘炎でしばらくお休みしていて』
『ああ、それは皆が抱える悩みで、俺もよく』
自身の腕を触る。
『バンド、続けてるのね。今度ライブに行きたいな』
『マジ? 是非是非! お客はみんな同級生ばっかりで毎回同窓会みたいなんだよ』
『あ、私、Facebookやる前は殆どみんなと交流なかったの。だから尻込みしちゃうなあ。ボッチだし……』
やばっ、まずった…。
『あ、いや、とにかく来てもらえたらめっちゃ嬉しい!』
『はい。では行けるようならば予約するね』
明るい顔文字が痛々しいくらいの気まずいクロージングの気配が漂った。
『酒』
『はい?』
『今度一緒に酒飲まない? 東京駅とか』
『え?』
『確か東京駅はそんなに遠くないよね?』
何かのスイッチが入って強引すぎる自分は自分でも止めようがない。
『うん……』
『東京駅の構内で旨い日本酒を飲ませてくれるいい店があるんです。ちょっとだけつきあってくれませんか』
『旨い日本酒?』
『そう! よくそこに立ち寄ってから帰ったりする。いい店なので紹介したいなあ』
『いいかも』
ガッツポーズをする。
ノリでも何でもいいから、独り者でもダンナありでもいい、とにかくこのチャンスは逃がしてはいけない、そんな気がした。
*****
17年ぶりの彼女はイイ女になっていた。
可愛らしいという部分は残りながら、熟成された酒樽が醸し出す芳香のような雰囲気を纏い、まさに「いい女」と形容するのがいいと思った。
ただ、どこか荒んだような印象が拭えないところがあり、それが気になった。
「食事をする時間って無駄だと思うの。それに当てる時間があるならもっと他のことをやりたいと思ってしまうわ」
約束した東京駅構内にある小さな酒飲みバーのカウンターに並んで座り、挨拶をして、世間話をして、少ししてから、彼女はそう言った。
目の前にはグラスに注がれた純米酒と刺身盛り合わせ、塩辛とたまり漬けがあった。
マスターがこの広島の純米酒は美味しいと勧めてくれたもので、確かに香りがよく切れがあり美味で、つまみもよく合い、それを堪能しつつ飲み進めていた。
彼女が溜息を吐くと、どきりとする。
「お腹が空くからとりあえず食べるけど、カプセルとか飲んで済むならいっそそうしたいわあ。必要な栄養素が入っていて、それさえ飲めばいいとか」
「カプセル? ……まるでロボットみたいだね」
「そうそう。アンドロイドに憧れていて、実はね…」
彼女が嬉しそうに話し出したのは、1963年に連載していた漫画のことだった。
電子頭脳に殺された刑事の脳が移植され、死んだ刑事はロボットとして甦ったという話で、超音波も聞き取れて、壁も透視できて、3,000kmを一時間で走れるスゴ足を持ち、紫外線を放射することができるスーパーロボット、数々の怪時間、難事件を解決するヒーローで、アニメ放映もされ、人気を博したということだった。
「昔の漫画って面白いなあってこれを見て思ったの。これの女バージョンがあったらいいのにー」
……いや、人間であってほしい。
返答に困っていると、くすりと笑われてしまう。
「でも、一緒に食事をしてくれる人がいるというのはこんなにも楽しいものなんだなあ。私ずっと一人だったから」
美しい微笑みを浮かべた。
「お酒も普段よりおいしく感じる」
突然、Facebook上で流れていた「JUPITER」が耳に甦り、教室で弾いている姿が脳裏に浮かんできた。
懐かしさが込み上げてきて、あのころに戻りたいという思いに溢れ、心の内を明かしたくなる。
どれほど季節が通り過ぎようとも、まばゆい記憶とともに残る青春の日。
勢いが後押しし、がむしゃらに生きていた若かった日々。
「俺もずっと独りで」
家族がいたときもずっと独りだった。独りぼっちだった。
無視され続けるという孤独は救いのない地獄だった。
仲間と飲み歩いても、その後の寂しさが倍増された。
酒の旨さを味わうのではなく、浴びているだけの飲み方だった。
その寂しさを意識しないように職場でもどこでも明るく振る舞ってきた。
そうしないと、飲み込まれてしまい、身動きできなくなるからだ。
だから、何でも楽しもうとしていた。
何でも打ち込めるものがあればいいとしていた。
「そう。では、寂しい者同士にもう一度乾杯!」
明るく言った彼女の微笑んだ顔は、泣き顔のように見えた。
<了>