結婚

noteで生まれた縁。


「うちはどうします?」

 相方に訊いてみた。

「ええ? 別に言わなくてもいいんじゃないか?」

「でも、イブライブを知らない人が多くなってきているわけで、どうして二人はいつも絡んでいるんだろうって思われるかも……、言っておいたほうがいやらしくないんじゃないかしら?」

「うーん。どうなんだろうなあ。そこまで気にしないんじゃないか?」

「うん、隠しているような堂々としているような、そういう中途半端さが好きじゃないんです」

「うーむ。そうか」

 日曜作曲に、相方にサポートしてもらった拙い曲をアップし、大満足していたら、婚約発表記事がシェアされてきて、それを読んで急に焦りを覚えたのだった。

 noteで生まれたご縁。

 うちもそうであるし、皆のコメントを読むにつれ、もしかしたら公に告げておいた方がいいのかもしれないと悩んでしまった。

 きっかけはこれであった。

 なんのことはない。
 私の書いた小説にメロディをつけてくれたという、note内で頻繁に行われているコラボのひとつである。

 しかし、この曲の贈呈は私にとっては大きな意味があり、救いとなった。
 だから、その恩返しをしたいと思って、メールでお礼をしたところ、返信でワンマンライブをすると知らさせてくれたので、花を届けて、それで終止符を打とうとしていた。

 それが、毎晩酒を飲み合うことになるとは縁とは不思議なものである。

 何かに引っ張られ、引き合わせられたようで、夫婦というものを超えているような、元々そうなるよう仕組まれていたような気さえし、たまたまnoteで出会ったということで、もしかしてnoteでなければ、道端だったのかもしれない。

 隣町に住んでいたし、職場も近いところでうろうろしていたし、相方の友人がソムリエをしているレストランにはよくランチに行っていたし、街中ではよくすれ違っていたことだろう。

 あれから二年経つのか……。

 その頃にやり取りしたコメントがまだ残っていて、やがていい思い出になるのだろう。noteがなくならないかぎり。

 大々的に婚約発表するカップルの影で、こっそりと事後報告しているというのが何とも小さく背中を丸めている感じがするが、noteで生涯のパートナーが見つかるというのは他にもあることだろう。恥ずかしくて言い出せないだけで。

 他のカップルの末永い幸せを祈る。
 どうか幸多かれと。

 しかしながら、うちの場合は……。

 十字架背負っている者同士には、「祝いの言葉」は重すぎる。
 結婚というものが幸せの終止形であるかと問われれば、それは違うと言えるだけの経験をしてしまっているし、受け入れたもの、耐えたもの、壊したもの、拒絶したもの、逃げたもの、何が悪かったのか、何が良かったのか、どうすれば良かったのか、いかにすれば最悪の結果に至らなかったのか、それでもこうするしかなかった……、そんな経験を経ている者には、祝福の言葉はきついものとなるのだ。

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