スクリーンショット_2019-03-06_12

vol.03 「実体験を経て、生まれる本当の"リアリティー"」

 今回ご紹介する人物は、宗像在住の建築士である藤井昌宏さんと、その妻、藤井睦さん。藤井さんご夫妻は、「長崎ハウステンボス」の設計や、「阿蘇ファームランド元気の森」、「阿蘇ファームヴィレッジ」、「かしいかえんアスレチックコロンブース道場」など、様式や形式にとらわれないアイディアや設計で、建築物やレジャー施設などの幅広く建築物を手掛けている。 

 子供の頃、プラモデルが好きだった藤井昌宏さん(以下藤井さん)。プラモデルを組み立てるときに、組み立て方が見えるといった特別な感覚を持っていたという。周りの子供たちより立体が見える・立体感覚が鋭いと感じていたと藤井さんは語る。勉強も運動も苦手だった藤井さ ん。中学生の時、周りの大人にいろいろな進路を勧められたが、どうも乗り気がしなかった。理由は、「自分と同じ匂いがしない」から。しかし、当時ただ一人だけ「同じ匂い」を感じられた人がいた。親友の父親だった。その親友の父親は、一人で海外へ行ったり、海外の美術品を買ってきたりと、貿易の仕事をしている大人だった。藤井さんはその人が買ってくる美術品や海外の話に興味を持った。普通の人とは違うその親友の父親との出会いが、後に建築士になり、様式や形式にとらわれない様々な建築物を生み出す特別な感性を育てたのかもしれない。

 高校を卒業する頃の藤井さんは、特に将来について何も考えていなかった。ただなんとなく他が嫌だったという理由で、建築学科のある大学に進学した。その時、自分と同じ匂いがする唯一面白いなと感じた親友の父親の紹介で、ある設計事務所に連れて行ってもらった。それが後の師匠となる人物である、建築家の木原千利先生だった。それから毎日のように木原千利先生の設計事務所を手伝いにいくようになった。遊びにいくような感覚で、模型をつくったり、食事をつくったりしていたという。そのまま大学を卒業し、その設計事務所で働くこととなる。

 建築物を見るのは好きだった。日本の建築物は仕事やプライベートで見に行った。しかし海外の建築物は、インターネットがあまり普及していない時代だったので、本や雑誌でしか見られなかった。「この目で見たい」と藤井さんは思うようになった。お金を貯め、木原千利先生に「旅行に行きたいので休みをください!」とお願いをしたが、許可をもらえなかったという。「じゃあ辞めます。」と、藤井さんは旅行に行くために、事務所を辞めた。

ここから先は

1,673字 / 4画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?