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フリューゲルス
フリューゲルスを知っていますか??
1993年のJリーグ開幕から今年で27年になります。フリューゲルスは知る人ぞ知るチームでありますが、フリューゲルスの名を知る人はJリーグファンの中でも数限られるのではないかと思います。それもそのはずです。
なぜなら、フリューゲルスは今は無きサッカークラブだからです。
1993年のJリーグ開幕からの加盟10クラブ(オリジナル10)の1つであるフリューゲルスは横浜をホームタウンとしていましたが、1992年から95年までは横浜のほかに九州地方にも拠点を置いて活動していました。
しかし、1998年10月29日──フリューゲルスの経営母体である会社が経営不振を理由にクラブ経営から撤退することを表明。これにより、フリューゲルスは同じ横浜をホームタウンとする横浜マリノスに吸収合併され、消滅する事が決まったのです。このニュースはJリーグ史上最大の事件と言ってもおかしくありません。
合併発表後、フリューゲルスはリーグ戦を4連勝で締めくくりました。リーグ戦後に行われた天皇杯。フリューゲルスにとってこの大会は負けたらそこでクラブが終わるものでした。しかし、リーグ戦の勢いそのままにフリューゲルスは3回戦(vs大塚FC(現·徳島)○4-1)。4回戦(vs甲府○3-0)、準々決勝(vs磐田○2-1)、準決勝(vs鹿島○2-1)と勝ち星を重ねていき、迎えた1991年1月1日の天皇杯決勝(vs清水)。1-1で迎えた後半28分に吉田孝行の勝ち越しゴールでリードを奪い、このまま試合終了のホイッスル。クラブ最後の大会で優勝カップを掲げることが出来たのです。フリューゲルス最後の試合となったこの試合を中継していた、とあるテレビ局のアナウンサーはこの時こんな言葉を残しています。
私達は忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという、非常に強いチームがあったことを。東京国立競技場、空は今でもまだ、横浜フリューゲルスのブルーに染まっています。
1999年2月1日。横浜フリューゲルスは横浜マリノスと吸収合併し「横浜F·マリノス」として始動。これと同時にフリューゲルスは6年間のJリーグでの活動に幕を下ろしました。
そんなフリューゲルスでプレーしていた選手の1人である元日本代表GKの楢崎正剛さん。楢崎さんはJリーガーで唯一前所属に横浜F(フリューゲルス)と表記されていた選手でしたが、昨年2月に現役を引退。これにより、全現役Jリーガーの前所属名からフリューゲルスの名は姿を消しました。
前所属からフリューゲルスの名は無くなりましたが、現在もJリーガーで唯一横浜フリューゲルスでのプレー歴のある現役選手がいます。それは誰かと言うと、元日本代表MF·遠藤保仁選手(G大阪)です!
遠藤選手は鹿児島実業高校卒業後、1998年にフリューゲルスに入団。この年でフリューゲルスが消滅したため、フリューゲルスではわずか1年のみのプレーでしたが、その後は京都パープルサンガを経て2001年からガンバ大阪に移籍し現在に至ります。今年で40歳になる遠藤選手ですが、巧みなボールテクニックとパスは今でも天下逸品。まさに日本サッカーを代表するレジェンドです!
まだまだ遠藤選手のガッツ溢れる姿を見たいものですが、遠藤選手が引退したら、フリューゲルスに縁のあるJリーガーは姿を消すことになります。そして、フリューゲルスの名前は完全に無くなったことになります。
そんな事を言っている僕ですが、生まれは2001年。フリューゲルスが無くなった後に生まれた者です。なんでそんな奴がフリューゲルスを知っているのか?と思うかもしれませんが、僕が愛用しているお気に入りのトレーナーにフリューゲルスのトレーナーがあり、この服がフリューゲルスを知るきっかけになりました。
大学にも僕はこの服を着て行っていますが、多くの友達がこの服をきっかけにフリューゲルスの事を知ったと答えています。「何かのきっかけで何かを知る」ということはやはり大切な事であるなと思いました。