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Z世代の虚無感の正体

<1999年生まれのごく普通の25歳が抱えるごく普通の、必ず同世代の個人が共有しているはずの空虚感・虚無感についてのメモ書き。>


 この瞬間がつまらなければ、次の瞬間もきっとつまらない。次の瞬間が積み重なって1分、1時間、1日、1週間になるということは、逆算すると今がつまらないということは明日もこの先もおそらくつまらないだろうという予感がする。そしてこの予感は、私の願いに反して現実になる。毎瞬間、予測していたあの平凡で何のドラマ性もない、のっぺりとした無害な未来が現在に滑り込んできやがる。もちろん何か工夫して、この現在を上手くコントロールして、それなりに面白い時間にしてやろうと必死に考えてみる。けれど突拍子もないことを思いついては「こんなの現代には無理だ、自分にはできない、親に面目が立たない、お金が足りない」などなど適当に常識的な理由をつけて、すんなりと諦めてしまう。そしてまた、あの何の物語もドラマも起こらない、味のしないガムのような時間を噛み続けることになる。私(たち)は、何度もあの全クリしたゲームを100回も200回も繰り返し、毎日エピソード1からプレイする。「もう既に知っている」ことしか起こらない世界と心の底で知りながらも、電車に乗り、学校に行き、仕事に行き、食事をし、風呂に入り、歯磨きをする。そしてこの先も「既に知っていること」しか起こらないと私(たち)はうっすら知っている。

 一度行ったことがある場所に行くことは、「冒険」とは呼べないし、行き先のことをよく知っていると、そこに頑張って出かける気が失せる。アメリカ大陸を発見した人のモチベーションは、その先のどこかに何か知らないものがあるかもしれないという未知性とその発見への好奇心だっただろうし、大谷翔平のモチベーションは、自分がどこまでいけるのかという未来の未知性への好奇心だろうと思う。行ったことのない場所・得体の知れない場所に「行く」、もしくはその場所を目指すことが人生の醍醐味だし、行ったことのない場所・得体の知れない場所が「たぶんあるな〜」と心のどこかで感じられることで身体に力が湧いてくる。

 SNSでアイドルの私生活をみると、アイドルになった先が見える。お金持ちの裏側をみるとお金持ちになった先が見える。行ったことがないのに、なんだか行ったことがあるような気がしてきて、自分が人生を賭けてそこに行く気が失せてゆく。インターネット以前には隠されていた、あの私(たち)をワクワクさせる不思議と刺激に満ちた未知の世界は、たった一度でも見てしまえば、未知から既知となり、「冒険」への扉は閉ざされ、なんとなく力が奪われていく。本当は知らないけれど知ったような気になっていることを、大きな犠牲にしてまで手にいれたいとは感じることができない(意志とは関係なく不能)。全身全霊を賭けて望めない、命を燃やせない、恍惚も憧憬もない。力に満ちながら生きたいのに、私をクラクラさせる得体の知れない景色を目指して全てを犠牲にしたいのに、あまりにも世界は予測可能にみえる、あるいはそう思わされている。

 既にやるべきことがやり尽くされたように感じられるこの世界で、どのようにして力を湧き起こして、毎朝目を覚まして生きるに値する時間を呼び戻すかを発見するために個人的に模索し、計画し、実践していくことが、どうやら今のところの、この病への最大の処方箋らしい。

 私への、同世代の若者たちへの、後輩への、友人への手紙を綴るように、どうにかして守りたい人々への願いと祈りを込めて、私の内側に空いた空洞と正面から対峙すること。誰もが立ち入らない深い暗い森に踏み入り、生きて無事に帰ることをひたすら勇敢に繰り返す。

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