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二人の覚書

古い商店街の路地裏にたたずむ骨董屋、月白堂。
その店の棚には、時折、不思議なものが姿を見せる。
店主も、店員の凛子も、その由来を知らない。
ただ確かなのは、必要な人の元へ届くべき時に、それは自ら姿を現すということ。

同じ商店街にある文房堂の二階で、啓介は古い手帳を開いていた。祖父の形見の万年筆で、今日も覚書を記している。
「凛子と花見に行く。行きたい場所を聞くこと」そう書いた途端、インクが淡く光を放った。

「え?」

驚いて万年筆を見つめる啓介。
いつもの深い青のインクが、月明かりのように輝いている。

「啓介くん、いるー?」

凛子の声に、啓介は慌てて手帳を閉じた。

「ああ、どうしたの?」

階段を上がってきた凛子は、古い箱を抱えている。月白堂の商品整理の途中だったようで、いつものセーターの上から、古い柄のエプロンをかけていた。

「これ、文房堂の箱みたいなんだけど……」

それは木製の万年筆ケース。表面に押された「文房堂」の焼印は、年を経て乾いた木の表面にかすかにのこる。
凛子が月白堂の奥から見つけたという。

「へぇ、うちの……」

啓介が箱を開けようとした瞬間、その表面と万年筆とがぽっと光を放った。手帳が音もなく開いた。
凛子も、その不思議な光に目を奪われる。

「これ……」

箱の表には、かすれた文字が刻まれていた。
「思いを込めた文字は、光となりて道を照らす」

啓介は小学生の頃を思い出していた。転校してきたばかりの凛子が、文房堂に万年筆のインクを買いに来た日のこと。

「あのね、手紙を書くの」と凛子は言った。
「お父さんに。遠くにいるの」

啓介は迷わず、祖父から譲られたばかりの万年筆を凛子に貸した。

「これ、いいよ。一番、かっこいいペンだし、色もきれいだから。
 遠くに、ちゃんと届くと思う」

それが二人の始まりだった。

「懐かしいね」
凛子が微笑む。

「あの万年筆、まだ持ってるの?」
「ああ」
啓介はポケットから万年筆を取り出した。

「毎日使ってる」

その時、万年筆が温かな光を放ち、手帳の文字も呼応するように輝きだした。

「啓介くん、これ……」

凛子が箱から一枚の古い写真を取り出す。文房堂の前で微笑む少年と少女。啓介の祖父が撮影した一枚だった。

「ねぇ、凛子」
啓介は光る文字に導かれるように、言葉を紡ぐ。

「今年の花見、一緒に行かない?」

凛子は小さく頷いた。

「うん、行きたい」

二人の間で、万年筆が優しく光を放っている。
月白堂の古い箱が結んだ、小さな奇跡。
それは、長年の想いが形になった瞬間だった。

窓の外は、まだ寒く、部屋の中は湯気で真っ白く曇る。
ストーブの上にかけられたやかんの湯気が、しゅーっと昇った。
店頭のショーウィンドウには、小さなハートの飾りが揺れている。

啓介と凛子は、目を合わせて、笑った。


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#万年筆 #想い #懐かしい時間

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